日本会議と生長の家と安倍政権が教育勅語で国民を洗脳し改憲を強行する方法

陰謀系教育勅語, 日本会議, 洗脳

  1. 日本会議と生長の家と安倍政権はとっても仲良しです。
    かなり遠い昔から協力し合って地道な日本破壊工作を続けており、いまや李家の朝鮮半島系の人(ユダヤ系でもある)の支配体制を築いてきました。

日本会議にはたくさんの宗教団体が所属しており、そのなかの生長の家が本体となって工作活動をネチネチと行っています。

現在進行形で行われているのが、教育勅語を普及させ憲法を明治憲法のように改憲すること。
すなわち
明治憲法の復活=天皇を元首する国家体制づくり=李家支配体制の確立
を強行しようと躍起になっています。

その気持ち悪い最悪の支配体制を崩し、私たち一般国民の敵である上級国民すなわち特権階級の人を打倒するには、相手の情報を知る必要があります。

今回は日本会議がどのような団体で、どのような目的でどのように活動して来たのか?などの基本的な事の確認と、教育勅語の偽物の現代語訳についての情報をご紹介します。

日本会議の実態。動員力と地方まで張り巡らされたネットワーク力と弱点

私は日本会議については漠然と「日本を破滅に追いやるのが目的の極悪団体」という認識でいましたが、実際にどのような悪事をどのように行ってきたのかを、具体的に説明できるほどにははわかっていませんでした。

それをものすごくわかりやすく解説しているサイトを見つけましたので、そのサイトの紹介とその内容を音声にしました。
下記をクリックしてリンク先に飛んでざっと読んでもいいですし、ドライアイや疲れ目で辛い人はこの音声化したものをお聞きください。下記のサイトより全文転載します。
※読みやすいように適当なところで改行し、音声は項目ごとに区切っています。
音声はここからどうぞ。
日本会議説明

LITERA
『日本会議とは何か』著者・上杉聰インタビュー
「日本会議はものすごい“後ろめたさ”を抱えている」先駆的研究者・上杉聰が語る日本会議の最大の問題とは?

『日本会議とは何か』(合同出版)
 近年、安倍政権との深いつながりに注目が集まり、その正体を探る動きが高まっている、日本最大の右派団体「日本会議」。出版界も例外でなく、5月に発売された著述家の菅野完による『日本会議の研究』(扶桑社)を皮切りに、今後も各社から“日本会議本”が登場する予定だ。

 そんななか、約20年前から日本会議とその周辺の動向にいち早く気付き、注視し続けてきたひとりの研究者が、先日、『日本会議とは何か 「憲法改正」に突き進むカルト集団』(合同出版)という本を上梓した。部落史研究家で「日本の戦争責任資料センター」事務局長の上杉聰だ。6月、大阪の上杉の研究室を訪れた。

■「日本会議をたとえるなら“怪人二十面相”です」

 コーヒーを淹れながら、そう語り始めた上杉。『日本会議とは何か』でその結成の歴史を振り返りながら、とりわけ、日本会議が「千載一遇の機会」とする安倍政権下での改憲と、その下地作りである教科書採択運動について、強く警鐘を鳴らしている。

「日本会議というものを正確に捉えるためには、複眼的な視点が必要」と上杉は言う。

「日本会議が進めている運動には、憲法改正天皇『元首』化歴史認識教育靖国神社夫婦別姓反対領土問題安全保障など多数ありますが、彼らは課題ごとにそのつど運動の前面に立つ組織を結成します。

だからみんな同一の人物がやっている素の顔になかなか気付かない。たとえば改憲であれば『美しい日本の憲法をつくる国民の会』教育分野では『日本教育再生機構』などですね。みんな日本会議による運動の一環であることを社会的に秘密化しているのです」

 昨年11月、東京・日本武道館で1万人超の改憲大集会を開催した「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の共同代表には、こっそりと日本会議会長の田久保忠衛、同名誉会長の三好達が名を連ねている。

会場には日本会議国会議員懇談会に所属する政治家が多数詰めかけ、安倍晋三首相も改憲への意気込みをビデオメッセージで送ったが、一般の参加者に対しては後日、日本会議事務局から会員として勧誘する封筒が届けられる仕組みになっていた。

 しかし、こうした集会における“表の顔”は、櫻井よしこ文化人保守論壇で活躍する大学教授などの知識人が担っている。なぜか。

「日本会議に集う文化人財界人は、社会向けの権威付け、つまり広告塔にすぎません。ここにも日本会議が“宗教団体の連合体”であることをひた隠しにしたい強い意思が垣間見えます。この“徹底した秘密主義”が日本会議の特徴です。

実際には、日本会議の役員には神社本庁霊友会佛所護念会崇教真光念法真教黒住教倫理研究所モラロジー研究所などの宗教団体幹部が数多く名を連ねています。こうした宗教団体は、私が日本会議周辺を調べ始めた18年前から信者を秘密のうちに大量に動員していましたよ。

そして、その巨大な動員力を見せびらかしてロビイングすることが日本会議の政界への影響力に直結しています。当然、投票への期待につながるからです。

これらの諸団体や多面的な運動を統括するのが、事務総長の樺島有三生長の家旧学生グループ日本青年協議会です。彼らが事実上の日本会議の事務方ですが、普段は決して表にでてこない。この秘密主義は“意外な効果”をもたらしています」

下記以降の音声はここからどうぞ。
日本会議を語るときに忘れられがちな「教育」問題

■日本会議を語るときに忘れられがちな「教育」問題

 日本会議の結成は1997年元号法制化運動などを行ってきた「日本を守る会」「日本を守る国民会議」という二つの右派団体が合流してできたものだ。この1997年は、「あたらしい歴史教科書をつくる会」(以下、つくる会)が始動した年でもある。

「自虐史観を払拭する」教科書の採択運動のために、藤岡信勝や西尾幹二を中心に発足した「つくる会」は、一見、保守系知識人・文化人の雑多な集まりのようだが、上杉はその背後に隠れる宗教右派の匂いと日本会議の影にいち早く気が付いていた。

「1998年の6月6日に、日本会議・大阪の設立集会が大阪市北区の大阪市中央公会堂で開催されました。私は、自分で行くことに危険を感じ、友人に集会の偵察へ行ってもらったのですが、後で報告を受けて驚きましたよ。

日本会議の集会のロビーには宗教団体ごとの受付窓口があって、入手した役員名簿を見ると約4割が一目で宗教者とわかったからです。会場は1400名超の満員でしたが、その大半は宗教団体の組織動員によってもたらされたものと考えられます。

そしてその翌日、同じ場所で『つくる会』のシンポジウムが行われた。参加者は1700名ぐらい。前日の日本会議の集会に、小林よしのりが来るというので若者が新たに300人くらい加わった数でした。そこで私は『両者は裏で繋がっていて、大半はほとんど同じメンツが来ているのではないか?』と仮説を立て、日本会議を調べ始めたのです」

「つくる会」創設メンバーのひとりである漫画家・小林よしのりは、このときの様子を〈当日は超大入り満員!〉〈すごい熱気なのである〉と書き、〈流れが変わり始めてるな…!〉とほくそ笑んだ(『新・ゴーマニズム宣言』第6巻/小学館)。しかし、それは本当に「時代の流れ」だったのか、上杉は疑義を呈す。

「新・ゴーマニズム宣言」第6巻(小学館)、88ページより抜粋。日本会議・大阪の設立集会の翌日行われた「つくる会」シンポでほくそ笑む著者の小林よしのり氏

「調べていくうちに、教科書以外の集会でも日本会議に所属する宗教団体が信者を組織動員していることがわかってきた。2003年1月には、『つくる会』の主要メンバーが日本会議と協力して『「日本の教育改革」有識者懇談会』(民間教育臨調)という団体を立ち上げます。

これは、教科書問題と隣接した教育基本法の改悪を目的とする組織です。東京で1200人を集めました。その中心となって全体を統括していたのが生長の家出身者です。

そしてやはり、民間教育臨調“裏の事務局”日本会議であり、集会の聴衆も関東の宗教団体を組織動員した形跡が見られました。日本会議が宗教右翼に支えられていると確信しました。東京でも、大阪の1997年の集会と同じ構造で右派運動が作られていたんです」

 こうした研究の成果を、上杉は「『宗教右派』の台頭と『つくる会』『日本会議』」(「戦争責任研究」2003年春号)にまとめ、発表した。当時「時代の流れ」とさえ思われていた右傾化の動きが、匿名化した実働団体によって作り上げられていたことを暴露したのだ。

先行研究がほとんどなく、情報の断片を集めてつなぎ合わせる作業は困難を極めたという。「宗教団体日本会議の名のもと集結し運動を行っているなんて、誰も信じてもらえないだろうと思っていました」と上杉は述懐する。

だが、2006年の「つくる会」分裂騒動で、実際に「つくる会」内部で日本会議がかなりの実権を掌握していたことが露呈。

「つくる会」はその後の運動方針をめぐって“藤岡信勝派”“八木秀次派”激しく対立、覇権を争って幹部の解任人事が相次ぎ、怪文書まで乱れ飛ぶ事態となったのだが、このとき八木秀次を担ぎ上げたのが、日本会議のメンバーの宮崎正治事務局長(当時)と4名の理事、つまり「つくる会」の中の“日本会議派”だった。

「扶桑社から出されていた当時の『つくる会』教科書は、2005年の2度目の採択でわずか採択率0.4パーセントという惨敗に終わりました。そこで藤岡たちは、打開策としてより激しい攻撃的な運動、つまり教育委員会に恫喝をかけてでも採択を進めるべきというようなことまで主張した。

しかし宮崎たち日本会議派は、右翼性を隠して静謐で中立的に装ったほうが教育委員会にも受け入れられやすいと考えた。この対立する路線をめぐって『つくる会』は真っ二つに割れたのです」

 藤岡信勝が裏についた当時のつくる会名誉会長・西尾幹二は、のちの対談本で日本会議を裏であやつる元生長の家学生グループ日本青年協議会「カルト」と指弾し、分裂騒動時には〈日本会議本部の椛島有三氏が干渉してきて〉、元生長の家活動家の理事4人に〈会はすんでのところで乗っ取られかか〉ったとまで語っている(『保守の怒り』共著・平田文昭/草思社)。

結局、この分裂騒動の後、日本会議派は八木秀次を理事長として「日本教育再生機構」(「教科書改善の会」)を設立。現在、扶桑社の教科書部門を独立させた育鵬社から教科書を発行している。

「育鵬社版教科書はその後、採択数を増やし、歴史、公民ともに2015年の採択では、その前の回の約1.5倍の大幅増を果たしました。その結果、業界でのシェアはいま、第5位につけています」

 育鵬社版教科書をめぐっては、最近、興味深い“事件”があった。前述した菅野完の著書『日本会議の研究』の発売直前に、日本会議事務総長・椛島有三の名義で、版元の扶桑社に出版差し止めを要求する申し入れ書が送りつけられたのである。

菅野はその一部をツイッターで公開したが、冒頭には〈日本会議では、扶桑社・育鵬社が発行する中学校教科書、季刊「皇室」など貴社の各種刊行物の普及拡販に協力してきた〉と明記していた。

おそらく版元に対する一種の恫喝が目的だろうが、はからずも、日本会議が長年にわたって教科書運動の中心的役割を果たしてきたことを当事者が暴露した形だ。

「日本会議がこれほどまでに教育に力をいれてきたのは、若者の精神性を改造し、彼らが目的とする憲法改悪と、そのもとで軍事をになう若者をつくるために他なりません」
 
 第一次安倍政権が教育基本法に「愛国心」を盛り込んだ改正をおこなったことについて、2007年当時、日本会議会長だった三好達は、雑誌のインタビューで「日本会議の十年の運動の中で最大の成果」と最高級に評価した。さらに三好は、日本会議が与党案に対して「国を愛する心」「宗教的情操の涵養」を挿入させ、「(教育行政の)不当な支配」という文言の削除を求めた結果、〈日本会議も受け入れられるような答弁〉を政府解釈として引き出したと誇らしげに語り、「教基法改正は改憲の世論形成のためだ」と明言している。さながら国民を洗脳する“現代の教育勅語”だ。

「愛国心」「伝統の尊重」「公共の精神」を謳った新しい教育基本法に基づいて道徳、国語、歴史教育をしっかりと受けた国民を増やしていく教育改革を進めていくとともに、これまで同様、草の根の国民運動の輪を広げていく地道な活動が必要です。〉

〈つまり内容で安易な妥協はしないけれども、多くの国民に支持されるような憲法改正案としなければならないわけです。これは実に難しい。だからこそ新教育基本法に基づいた国民教育充実させていきながら、本当に日本国にふさわしい憲法改正案を作成できる世論を形成していくことが重要となってくるのです。〉(「正論」07年11月号/産経新聞社)

下記以降の音声はここからどうぞ。
日本会議の改憲「論拠」を打ち砕くa
■日本会議の改憲「論拠」を打ち砕く

 このように日本会議は“結成元年”から「教育改革」の名のもと、畑を耕し、改憲の種をまいてきたのである。そして、約20年という時間を経て、ついにいま、安倍政権下でその悲願が結実する一歩手前までたどり着いた。上杉が力を込める。

「そう、行き着くのは憲法改正。日本会議について語るときに、これを避けては通れない。そして、その論拠を批判する必要もあります。彼らの改憲論理の中核は、育鵬社社会教科書にもあらわれている『押しつけ憲法論』です。

戦前日本の皇国史観を排し政教分離を徹底し、侵略戦争の手段を放棄した9条、これらからなる日本国憲法は過去の反省に基づいたものですが、日本会議はむしろ明治憲法的な価値観に懐かしさを感じている。

ゆえに、日本国憲法に対し『日本人が作ったのではない』なる“神話”を用いて攻撃を繰り返すのです。しかし、いまの憲法が『日米合作』であることは誰がどう見てもあきらかです。それは、日本国憲法の最終案を見れば瞭然です」

 『日本会議とは何か』の44〜45ページに上杉は、国立公文書館に所蔵されている「日本国憲法最終案」の画像を大きく掲載した。

『日本会議とは何か』44〜45ページより、国立公文書館所蔵の「日本国憲法最終案」の抜粋

 黒字になっているのは、GHQ案をもとに日本政府が帝国議会へ提出した改正案。その上から赤字修正している大半の部分が、当時の衆議院と貴族院によるものだ。

前文にも9条にも、徹底して細かな修正を加えていることがわかる。1946年10月7日、議会はこの最終案を枢密院へ提出。同年11月に日本国憲法は公布された。

「この文書こそ『日本会議とは何か』における“命”のページと言ってもいい。赤い文字は誰が書いたのか。日本のそれまでの歴史のなかで、もっとも民主的な選挙で選ばれた国会議員が書いたのですよ。日本人みんなが、書かせたんです。これを単純に『押し付け』だなんて言えるものですか。

日本会議も安倍首相も“違憲の疑いをかけられている自衛隊を、はっきり新憲法に明記しよう”と叫びます。しかしマッカーサーのスタッフたちが草案を作成する過程で、すでに自衛戦争の放棄を取り消し、日本側も現行の9条の2項《前項の目的を達するため》といういわゆる芦田修正を施しました。

これが専守防衛の根拠です。だから、日本会議と安倍政権が仕掛ける世論誘導に騙されてはいけないし、護憲派はそうした改憲派の論拠を徹底してつぶしていくべき。

いつまでも『憲法は自衛権をすべて否定している』という絶対平和主義の牧歌的な考え方のままでいれば、結果的に日本会議の思う壺ですよ」

下記以降の音声はここからどうぞ。
あらためて日本会議とは何か?a

■あらためて日本会議とは何か?

 参院選で改憲勢力による3分の2の議席を獲得すれば、安倍首相は間違いなく任期中の改憲発議に打って出る。この危機感をどれだけの人が共有しているだろう。そして、その時が刻々と迫っている状況のなかで、私たちは日本会議の存在をどのように捉えればいいのだろうか。

一方で「政権を裏であやつっている秘密組織」のような謀略集団的なイメージで語られ、一方では「単なる草の根保守運動にすぎない」という意見まである。率直に尋ねると、上杉はこう答えた。

「私は、ある種の“陰謀論”的な見方も、“普通のおじさんたち”という見方も、どちらも完全に当を得ているわけではないと思います。たしかに日本会議の動員力地方まで張り巡らされたネットワーク力を見くびることは決してできません。

その集団の構成員の大半は純朴な信者か一般市民であることも確かです。しかし、その中心には元生長の家グループという核がいます。ただ、彼らはせいぜい歴史的な立場での共通性を持っているにすぎません。

だから『日本会議』と言った場合に、政治的な傾向は戦前回帰的なものに近いけれども、アベノミクスの是非を含む経済問題や、日米関係など国際問題はまた別の話です。また、現内閣の閣僚の約7割が日本会議の議連に属しているからといって、安倍政権の政策の70パーセントが日本会議に支えられているなんてこともあり得ません。

たとえば、日本会議の議員連盟の会費は年間で、国会議員であっても1万円にすぎません。付き合いで入っている人も大勢います。そうしたなかで、日本会議がどのように思おうが、万力のような強い国際関係や経済問題について安倍政権にできることとできないことがあります。

ですから、冷静な見方としては、日本会議はすべての分野で影響力を行使できるはずがない。一方で、安倍も選挙基盤として日本会議を切ることはできませんから、その意味で安倍晋三は、多重人格的に振舞わざるをえませんよね」

 そう“日本会議の限界”を指摘したうえで、上杉は「本体を隠しながら課題別の実働団体を駆使する手法」を単眼的に見るのではなく、「右派運動の総合商社、あるいはデパート」として全体的に把握すべきだと繰り返し強調する。

そして最後に「日本会議の弱点」について、こう示唆してくれた。「彼らが『日本会議』という看板を表に出そうとしないのは、ものすごい“後ろめたさ”を抱えていることの証左でもあります。この“後ろめたさ”こそ、彼らの最大のウィークポイント。だから、メディアは彼らをどんどん陽のもとに当てたらいいのですよ。彼らの実態宗教団体でありながら、目的外の活動をやっているんです。政教分離違反です」

 18年前から日本会議とその周辺を追ってきた上杉聰。研究を始めたころは孤立感さえ感じたというが、第二次安倍改造内閣の発足以降、朝日、東京、神奈川新聞など新聞メディアもその動向を積極的に報じるように変わった。

そして、ジャーナリストや在野の研究者たちが次々と各媒体で論考を精力的に発表するようになり、インターネットでは急速に日本会議の名前が取り上げられるようになった。

 この“日本会議ブーム”を一過性に終わらせてはならない。ひとつの見方に固執するのではなく、日本会議と安倍政権がいよいよ改憲の目前まで迫ってきているという事実を強く意識しながら、今後も継続的に様々な視点から連中を追及していく必要がある。
(梶田陽介)

 転載ここまで。

長年こっそりと姑息な手段を用いて工作活動してきたんですね。
次は軍国主義思想の教育勅語の正体を追求します。

教育勅語の本来の意味を隠し、生長の家シンパが作った”偽物”現代語訳で洗脳する


教育勅語を肯定する小籔千豊(フジテレビ『バイキング』16年3月7日放送回より)

教育勅語は、国民を洗脳して日本国憲法を明治憲法のように変えるためのツールである事は、先ほど引用した記事からもおわかりいただけると思います。

ただ、日本国民も長年に渡る国ぐるみの愚民化政策のもとにこれまで洗脳されてきたとはいえ、教育勅語の「天皇のために国民は命を捧げなさい」という悪い内容を、そのまま受け入れるほどまでには落ちぶれていません。

安倍政権を始めとする各宗教団体はその悪い内容を隠し、何とか国民を騙して何が何でも改憲に持ち込もうと躍起になっています。

奴らの思惑と隠蔽工作の手口を国民がしっかりと把握し、それを徹底的に容赦なく突っ込んでいけば、上級国民すなわち特権階級の人といえども憲法改正を強行する事は不可能となります。

そのために必要な知識を非常に分かりやすく書いているサイトがあったので、また全文引用します。

LITERA
籠池、稲田、小籔が絶賛!安倍政権が復活狙う「教育勅語」の正体(前編)
籠池、稲田だけじゃなく小籔千豊も「教育勅語のどこが悪い」 ならば教えよう、教育勅語はここが悪い!
より全文転載します。
※読みやすいように適当なところで改行しています。

音声でお聞きになりたい方はここからどうぞ。
「教育勅語」の正体_1

森友学園問題は籠池泰典理事長の突如の認可申請取り下げ表明で、政界との癒着疑惑がうやむやになってしまうのではないかという懸念が広がっているが、もうひとつ暗澹とすることがある。それは、森友学園問題を機に「教育勅語じたいは間違っていない、むしろ復活させるべきだ」という主張が頭をもたげてきたことだ。

 この期に及んで国会で「親孝行、友達を大切にする、夫婦仲良くする、高い倫理観で世界中から尊敬される道義国家を目指すもので、復活すべき」などと答弁した稲田朋美防衛相はもちろん、右派評論家連中も必死で教育勅語と森友学園問題を切り離し、復活論をがなりたてている。

 さらに、芸人の小籔千豊も3月7日の『バイキング』(フジテレビ)でこんなことをドヤ顔で述べていた。

「僕は教育勅語じたいは何にも悪くないと思います。なにを教育勅語に関して問題になっているのか、意味が分からないです。(略)お父さんお母さんを大切にしましょう、一生懸命勉強しましょう、まわりに感謝し、公の心で社会貢献しましょうみたいなことガッチリ書いてありますよ。何があかんの。ええことと悪いことがごちゃごちゃになってると思うんです」

 さすがネトウヨ芸人、籠池理事長が9日の囲み会見でまくしたてた「教育勅語、どこが悪いん? 12の徳目、夫婦仲良く、勉強がんばりなさい、それのどこが悪いん?」という主張とあまりにもそっくりで笑ってしまったが、しかし、これは笑い話ではすまされない。

小籔あたりまでがテレビで堂々とこんなことを口にし始めると、国民の間に「森友はおかしいけど、教育勅語は悪くないんじゃ……」なんていう勘違いが広がりかねない。

 だとしたら、こちらも今更だが、教育勅語の本質をきちんと指摘しておかなければならないだろう。教育勅語には、籠池も稲田も小籔も意図的にネグっていることがある。それは、明治天皇の名の下に発布されたこの言葉が、天皇のために命を投げ出すことを子どもたちに教え込むものだったという事実だ。

 漢文訓読形式で書かれている教育勅語は一読しただけでは意味がわからないが、冒頭、「皇室の先祖が国を始めたのは遠い昔のことで、徳を積み上げてきた」「億兆の国民が心を一つにして、代々その美徳を行ってきたこと、これが国体(天皇を中心とした国)の精華であり、教育の淵源もここにある」ということから始まる。

この時点で、天照大御神の神話を基とする皇国史観丸出しだが、勅語はさらに「12の徳目」などといわれている“教え”を列挙している。

 1番目の「親孝行せよ」から、「兄弟・姉妹は仲良くせよ」「夫婦は互いに仲睦まじくせよ」「友だちはお互いに信じ合え」「自分の言動を慎め」「広く全ての人に慈愛の手を差し伸べよ」「勉学に励み職業を身につけよ」「知識を養い才能を伸ばせ」「人格の向上に努めよ」「世の人々や社会のためになる仕事に励め」「法を守り国の秩序に従え」と続く11番目までは、たしかに小藪の言うように、当たり前の「ええこと」しか書いていないようにも思える。

 しかし、問題は、最後の12番目の徳目とされる〈一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ〉とそれに続く〈以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ〉だ。これは、「国に危機が迫ったなら忠誠心を発揮してその身命を捧げ、それによって、永遠に続く天皇様の勢威を支えよ」という意味。

明らかに国のため、天皇様のために命を投げ出せ、と言っているのだ。その考え方は、「天皇陛下のため」という言葉で国民に無謀な戦争に駆り立てた軍国主義思想そのものである。

 しかも、見逃してはならないのが、この部分こそが教育勅語の中核部分であるとういう点だ。〈以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ〉の「以テ」は、12の徳目すべてにかかっている。つまり、「親孝行」や「夫婦仲良く」とかいう、「ええこと」も、すべては「永遠の天皇様の勢威を支える」という目的のためにあるということだ。

 そして、教育勅語はこのあと、「このような心構え、行動がわたし(天皇)の忠実な国民であることを証明し、祖先の伝統を表す」と続く。

 いったいこれのどこが、「当たり前のええこと書いているだけ」ということになるのか。金日成への個人崇拝と主体思想を一体化させた北朝鮮の小学校教育とほとんど同じ天皇崇拝の強制以外の何物でもないだろう。

 実際、教育勅語が国民に天皇と国家のために身を捧げる教育を目的にしていたことは、その発布までの経緯を見ても明らかだ。

勅語が発布されたのは1890年。右派論客や明治神宮などは、「道徳の荒廃に心を痛めた明治天皇がご自身のお言葉で親しく国民に道徳のあり方を語りかけ、ご自身が率先して道徳を守ることを決意された」などといっているが、これはフィクションだ。

旗振り役は、明治政府の軍事拡大路線を指揮した日本軍閥の祖で、治安警察法などの国民弾圧体制を確立した、時の内閣総理大臣・山縣有朋。山縣は、自由民権運動を潰し天皇と国家神道支配の強化、富国強兵と中央集権体制の確立のため、自分の息のかかった地方長官会議に建議させ、井上毅内閣法制局長官や儒学者の元田永孚らに命じて、この教育勅語をつくらせたのだ。

 そして、国民を誘導するために導入されたのが、「親孝行」「夫婦仲良く」など、儒教をベースにした通俗道徳の類だった。教育学者の山住正己は著書『教育勅語』(朝日新聞社)の中でこう指摘している。

自由民権思想を抑え、日常的に広範な民衆の言動をうまく規制できるものである必要があった。(略)それには身近にあった徳目を利用するのが近道であった」

 また、戦後を代表する政治学者・藤田省三も『天皇制国家の支配原理』(みすず書房)の中で教育勅語が儒教を利用したことについてこう書いている。

「勅語が内容的な『簡単』=原始性とすべての理論に対する超脱性を要求されるとき、それに応えて最も簡約化された道徳命題を理論の外から、提供するものは、日用化された五倫を措いて存在しなかったのである」

 しかも、その「親孝行」「夫婦仲良く」なども、あくまで家父長制と男尊女卑の明治憲法下のもの、つまり、女性の人権を認めず、家長である男性に家族全員が従うことを前提としたものだった。

そういった家族や日常生活での道徳を説くことで、その延長線上にある「日本全体をひとつの家族とみなしたときの家父長である天皇」に従わせる構造をつくりだしたのが、「教育勅語」だったのである。教育勅語が大事にしろと言っている「道徳」や「家族」は国家に奉仕させるためのツールのような存在だったといってもいいだろう。

 また、「森友学園のように小さい子どもに丸覚え、暗唱させるのはよくないけど、中身じたいはいい」などというもっともらしい意見があるが、そもそも、教育勅語は、小さい子どもに暗唱させて体に叩き込むことを、あらかじめ意図してつくられていた。

草案のひとつは内容の問題だけでなく長すぎて暗唱に向かないとの理由でボツにされており、丸覚え、暗唱という“洗脳教育”と切り離せるものではない。

実際にその後、教育勅語は、天皇の神格化と国家主義の基盤となっていった。各学校は天皇の御真影とともに教育勅語の写しを奉納する奉安殿と呼ばれる聖殿のような建物を建て、生徒には最敬礼を義務付けた。そして、塚本幼稚園の園児たちと同じように全文暗唱を強制した。

 先の戦争を引き起こしたのも、教育勅語を神聖なものとして子どもたちに叩き込み続けたことが大きく影響している。満州事変が起き、あの泥沼の戦争に突入していくのは、勅語発布の1890年に小学校1年生だった第一世代が40代となり、彼らを親とする第二世代が成人したくらいの時期。

この頃には、教育勅語による洗脳教育が完成され、日露戦争の頃にはまだ存在していた反戦の声をあげるような者もほとんどいなくなっていった。

 そして、日本は無謀な戦争に突入。教育勅語の神格化はさらにエスカレートし、軍国主義の支柱となって、国家総動員法や特攻隊を正当化する神聖な教典のような存在になっていった。

 そういう意味では、教育勅語はまぎれもなく、日本国民とアジアの人々を不幸におとしいれたあの狂気の戦争を生み出した元凶のひとつである。だからこそ、敗戦後、教育勅語はGHQから神聖的な取り扱いを禁止されただけでなく、日本の国会も反省に立ってその排除・失効を自ら決議したのだ。

 にもかかわらず、なぜ、ここにきてこの危険な本質をネグって「ええことを書いているだけ」というような明らかな嘘の解釈が垂れ流されるようになったのか。その背後には、教育勅語を復活させ、再び同じように、国家のために国民に命を投げ出させる戦前のような体制をつくりたいと考える勢力の意図があった。そしてその意図にもとづく、本質を隠した嘘の現代語訳の存在があった。その詳細については、後編でお伝えしよう。
(エンジョウトオル)

最終更新:2018.10.18 05:03

転載ここまで。

安倍政権と日本会議がやたらと改憲にこだわるのは、明らかに日本人を大量に殺し、ぼろ儲けできる戦争がしたくてたまらないからなのでしょうね。

あと、後半も引用します。これはもっとえげつないです。

籠池、稲田、小藪が絶賛! 安倍政権が復活狙う「教育勅語」の正体(後編)
籠池や稲田が持ち出した「教育勅語」の現代語訳は“偽物”だった! 作成したのは元生長の家シンパ
より全文転載します。
※読みやすいように適当なところで改行しています。
音声でお聞きになりたい方はここからどうぞ。
教育勅語の現代語訳は偽物

左・稲田朋美公式サイトより/右・フジテレビ『バイキング』16年3月7日放送回より

 

籠池泰典理事長や稲田朋美防衛相はもちろん、芸人の小籔千豊までが口にする「教育勅語は悪くない」論。前編ではそうした主張が明らかに嘘とゴマカシであることを指摘した。

 連中は、「教育勅語は親孝行しよう、友達を大切にしよう、夫婦仲良くしよう、一生懸命勉強しましょうと説いているもの。当たり前の道徳、いいことを書いているだけではないか」と口をそろえる。

たしかに、教育勅語には“12の徳目”とされるものが書かれており、11番目までは親孝行や兄弟、夫婦仲良くなどと、まあごく普通の道徳が書かれている。

 しかし、最後の12番目には〈一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ〉とあり、さらに〈以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ〉と続く。これは「国家のために勇気をもって身命を捧げ、永遠に続く天皇の勢威を支えよ」という意味だ。

 しかも、文章の構造を検証すると、そこまでの「当たり前のいいことが書いている」という徳目も、「以テ〜」以下にかかっており、すべての道徳が天皇を支えるという目的のために存在していることがわかる。

まさに教育勅語は天皇中心国家を確立し、国民に天皇のために命を投げ出す教育をするためにつくられたスローガンだったのである。

 では、なぜ連中はそのことをネグって、「当たり前にいいことを説いているだけ」などと平気で言いはるのか。

 実は、教育勅語復活論者の多くがもちだす「現代語訳」にその秘密がある。
たとえば、戦後まもないころから教育勅語の復活を訴えている明治神宮のHPに掲載されている現代語訳。冒頭はこういう風に始まる。

〈私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。〉 

 しかし、これは実際の教育勅語とは似ても似つかないものだ。この部分に該当する教育勅語の原文は〈朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ〉、つまり「私が思うに、皇室の先祖である天照大御神が国を始めた遠い昔より、皇室はずっと徳を積み上げてきた」というもの。

明治神宮の現代語訳にある「道義国家」に該当する言葉は一切出てこず、かわりに天照大御神を始祖とする皇国史観丸出しの文言が書かれている。

決定的に違う箇所は他にもある。それは教育勅語の核心である12番目の徳目〈一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ〉から〈以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ〉へ続く部分。

前述したように、これは「国家のために勇気をもって身命を捧げ、永遠に続く天皇の勢威を支えよ」という意味だが、明治神宮の現代語訳では、〈非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません〉とあるだけ。

「義勇」を「真心」と置き換える訳にもかなり違和感があるが、それよりもっと驚くのは、〈以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ〉の現代語訳、つまり「永遠に続く天皇の勢威を支えよ」という箇所がすっぽり抜け落ちていることだ。

 いや、この部分だけではない。実は明治神宮の現代語訳では、教育勅語の肝である「天皇のため」「皇室のため」という言葉は一切出てこず、他の表現もことごとくソフトになっている。

 明らかに教育勅語が天皇支配強化神格化という目的をもっていたこと隠すための詐術と思われるが、しかし、こうしたインチキな現代語訳を採用しているのは、明治神宮だけではない。明治神宮のHPに掲載された現代語訳の末尾には「国民道徳協会訳文による」との注釈がつけられている。

つまり、訳文は明治神宮のオリジナルでなく、「国民道徳協会」という団体の訳によるらしい。そして、「教育勅語は悪くない」と復活を主張する連中の多くは、なぜか決まってこの国民道徳協会の訳文を持ち出すのだ。渦中の塚本幼稚園も、田母神俊雄もこの国民道徳協会の訳文を使っている。

産経新聞の阿比留瑠比記者も13日、やはりこの訳文を提示して「どこが悪いのか」とがなりたてていた。

 稲田朋美防衛相も国民道徳協会の訳文を根拠にしているひとりだ。

稲田は8日の国会で「教育勅語の精神を取り戻すべき」という過去の発言を問われ、「教育勅語の核である、例えば道徳、それから日本が道義国家を目指すべきであるという、その核について、私は変えておりません」と答えていたが、教育勅語の原文に載っていない「道義国家」という言葉を使ったのは、国民道徳協会の訳文に基づいているとしか考えられない。

 では、この国民道徳協会というのはなんなのか。何か公的な団体かと思いきや、そうではなかった。

国民道徳協会は、戦後から1960年代頃まで自由党、自民党所属の国会議員だった佐々木盛雄なる人物がつくった団体で、佐々木はこの団体から『甦る教育勅語』(1972)という著書を自家出版。そこに書かれていた訳文がもっともらしく「国民道徳協会訳」として広まっているのだ。

 佐々木は戦前、報知新聞記者で論説委員まで務め、戦時中は海軍大本営に従事。戦後、政治家に転身すると、ゴリゴリの右派として鳴らし、

「学生暴動が起きるのは、教育勅語を廃止したせい」「家制度を廃止したから日本は弱体化した」「諸悪の根源は占領憲法」「国益を無視した個人の権利を主張するようになって一億総無責任」
「マスコミは偏った思想を押し付けている」「日本は食糧難なのに朝鮮人、韓国人に生活保護を与えている、強制送還しろ」「デモを規制しろ」

などと、籠池はじめ日本会議の連中の口癖とほぼ同じような内容を、50年以上も前にがなりたてていた。

この教育勅語の現代語訳もそのゴリゴリ右派の佐々木が、教育勅語を復活させるために意図的に天皇や皇室の部分を隠したマイルドな訳をつくり、それを発表したと考えられる。

 実際、佐々木は『甦る教育勅語』のまえがきで「今日となっては、政府による正式復活は、悲しいかな不可能に近いだろう。だから、せめてわれわれ民間人の手によって、日本人の心の中に、在りし日の栄光と、権威を復活したいと念じるのであって、それが本書の目的」とつづっている。

   しかし、議員引退後の佐々木は、評論、著述活動をしていたとはいえ、世間的には有名な存在ではなかったし、高い学術的見識があったわけでもない。著書も自費出版らしきものがほとんど。なぜそんな人物の、自費出版本に載っているだけの訳文がここまで広まっているのか。

 日本近現代史研究者の長谷川亮一氏はこの「国民道徳協会」訳の流布について、「発表直後に明治神宮発行のパンフレットに広く知られることになったのみならず、一九七九年頃からの神社本庁・「日本を守る会」等を中心とした教育勅語キャンペーンにおいても広く採用され、あたかも定訳であるかのような扱いを受けることになった」と日本思想史研究会で報告している。

「日本を守る会」というのは、1973年に発足した、明治神宮生長の家などが中心となって運営していた宗教右派団体で、日本会議の前身。そう。このインチキな訳文の普及には、あの日本会議につながる人脈が介在していたのだ。

 しかも、その関係はたんに普及に協力したというレベルではではない。問題の訳を作成した佐々木はもともと、「生長の家」創始者の谷口雅春と非常に近い関係があった

現在の日本会議の中心に、谷口雅春の極右カルト路線に心酔していた「生長の家」元信者たちが入り込んでいることは有名だが、佐々木はその頃の生長の家がつくった右翼組織「日本青年協議会」の機関紙『祖国と青年』にもたびたび登場している。

さらにさかのぼると、生長の家の出版部門である日本教文社から本を出版。

その中で「尊敬する谷口雅春先生」と記したこともある。谷口雅春のほうも明治憲法の復元を主張する著書『私の日本憲法論』のなかで、佐々木の著述を引用している。

 さらに、両者の関係を裏付けるのが、「道義国家」という言葉だ。前述したように、この言葉は教育勅語の原文には一切該当箇所がないにもかかわらず、国民道徳協会の現代語訳に唐突に出てくる。

「道義国家」という言葉自体は、戦前、軍部のクーデターにも関与したアジア主義者・大川周明が生み出したものだが、谷口雅春はじめ生長の家関係者は、戦後、侵略戦争や、国民の人権制限を正当化する大義名分としてこの言葉をしきりに使っていた。そして、いまも日本会議まわりの連中が使う典型的なタームとなっている。

 たとえば、日本会議会長の田久保忠衛は2016年7月13日の日本外国特派員協会での会見で「道義国家を目指す」と語り、外国人記者たちは意味がとれず困惑する一幕があった。

また神道政治連盟も「世界から尊敬される道義国家、世界に貢献できる国家の確立」を掲げている。そして、極右路線時代の生長の家の思想に心酔している稲田防衛相も先述したように、この言葉を国会答弁で持ち出した。

つまり、このインチキな現代語訳は谷口雅春に影響を受けた人物によってつくりだされ、谷口の熱心な信者たちが普及させ、そしていま、安倍政権でふたたび日本会議の連中によって教育勅語復活のツールとして活用されはじめているのだ。いわば、いま流通している国民道徳協会の訳文は日本会議をはじめとする右派勢力の組織ぐるみの詐術的訳文といってもいいだろう。

 しかも、気をつけなければならないのは、この教育勅語がインチキな現代語訳によってソフトになったからといって、彼らが目指しているものがソフトになったわけではない、ということだ。

 連中がめざしているのは、いまも、天皇、国家のために命を投げ出す国民を育てることだ。

 実際、稲田自身もいまでこそ、「親孝行の部分などは……」としか言わなくなったが、新人議員時代には「WiLL」(ワック)で「教育勅語は、天皇陛下が象徴するところの日本という国、民族全体のために命をかけるということ」と発言。国民に命を捧げさせる教育勅語の精神を復活させるべきと主張していた。

 ただし、それを直接的に言葉にすると、国民からは拒否される。そこで、そういった箇所をすべて隠し、親孝行などの徳目を前面に出し、言葉を「真心」などといったソフトなものに変換して目くらましをしているのだ。

 当の安倍首相の側近中の側近が、その手口を思わずもらしたことがある。憲法改正についての自民党プロジェクトチームの会合(2004年、第9回会合)で、加藤勝信一億総活躍相がこんな発言をしたのだ。

「個人・家族・コミュニティ・国という階層のなかで、日本人は国も捉えているのではないか。したがって、急に国に奉仕しろといわれても飛びすぎて、まず家族・コミュニティに奉仕をする延長線上のなかに国に対する奉仕も位置づけたほうがなじみやすいのではないか」

 自民党や日本会議などの右派勢力はいま、国民を国家に奉仕させるために、まず「家族」への意識から変えさせようとしている。最近の教育勅語復活の動きや、憲法に家族条項を創設しようという動きはまさにその一環といえるだろう。

 しかも、これは今から127年前に行われたやり口でもある。あのときも、日常に親しまれた「親孝行」などの徳目を利用して国民を戦争に動員させていったのだ。

 最後にもう一度いっておく。インチキな訳文を使って「教育勅語は親孝行などの当たり前の道徳、いいことを書いているだけ」などと甘言を弄する連中に騙されてはならない。

 「愛国は悪党の最後の逃げ場である」という言葉の正しさは、森友学園問題で醜態をさらしている自称愛国者たちが十分すぎるほど証明してくれたではないか。
(エンジョウトオル)

転載ここまで。

ホント、えげつないですね。

稲田朋美といえばこの動画

国民の権利没収改憲ムービー 自民党  元防衛大臣 稲田朋美 「国を護るには血を流さなければいけないんです!」  憲法改正の裏の顔

これらの情報から明らかに、反日朝鮮半島系の李家(ユダヤ系でもある)が、いかに教育勅語を利用して国民を洗脳し、日本国憲法を明治憲法のように変えて支配体制を完成させたいと躍起になっているかがよくわかりますね。

最後に稲田朋美繋がりでこのブログ記事をどうぞ。

安倍晋三・稲田朋美をはじめ緑の勢力が「第三次世界大戦」を引き起こそうとしている厳然たる事実。

次は生長の家倫理法人会の連携プレイによる、日本破壊工作について書きますね。

陰謀系教育勅語, 日本会議, 洗脳

Posted by sanae