第一集≪南京大虐殺館を見たり聞いたりして得たもの≫2

南京大虐殺中国共産党, 捏造, 日本軍

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12⽇下午我到⾬花台看了看,⾬花台本是古代的佛教圣地,据说因为云光法师
虔诚的讲经感动了上苍,落花如⾬,故⽽得名“⾬花台”︔⽽在⼆战结束⼏年之后
的1948年,这⾥却从佛⻔圣地变成杀⼈法场,在这⾥被处以死刑的⽇本⼈有少
尉向井敏明、少尉野⽥毅、上尉⽥中军吉、中将⾕寿夫。

12日の午後に私は雨花台を見に行きました。
雨花台は本来は古代の仏教の聖地です。

聞くところによると、神様への信仰心が厚い雲光法師が、雨のように散る花に感動した事から雨花台と名付けられた場所が、

なんとしたことか第二次世界大戦が終わって数年後の1948年に、仏門の聖地から死刑場に変わってしまいました。

ここで死刑に処せられた日本人に向井敏明少尉、野田毅少尉、田中軍吉大尉、谷寿夫中将がいます。

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⾬花台除了佛教圣地和杀⼈法场之外,还是⾰命烈⼠安睡园和红⾊旅游⻛景
区。真的是⼀⾝多职。
我以前在中国上学的时候,确实曾听说过“南屠馆”,不过“彼南屠馆”与“此南屠
馆”意思不同,彼南屠馆是共产党建政初期的1950年在南京⾬花台建成的,正式
名称叫“⾬花台烈⼠陵园”,据说是为了纪念国⺠党在南京屠杀的⼗万共产党员和
⼈⺠群众,并且有⽑泽东“死难烈⼠万岁”的题字︔
1979年建造了⼤型烈⼠群雕,应该是对⾯那九个背靠松树站在⼀起的⽯雕,但
是没写着都是哪⼏位烈⼠︔
1983年建烈⼠墓区,说是1927年蒋介⽯叛变⾰命后,把⾬花台变为屠杀共产党
⼈和⾰命志⼠的刑场,邓中夏、恽代英、罗登闲等⽆数中华⼉⼥在⾬花台被杀
害,并被埋葬在此︔
1987年在纪念碑旧址改建⾼42.3⽶的新纪念碑,上⾯有邓⼩平的题字“⾬花台烈
⼠纪念碑”,⼏⾏碑⽂可以想象当时国共两党你死我活的内⽃︔
此外还有三个刑场,各⾃取名“东殉难处”、“⻄殉难处”、“北殉难处”。
照此看来,南京这个地⽅因为被屠杀的⼈太多了,况且当时没有掘⼟机,应该
在地下浅层会⽩⾻累累。可是这⼏⼗年⼤搞⼟⽊⼯程,也没听说挖出⼤量⼫
⾻。

雨花台は仏教の聖地と死刑場であった以外に、依然として革命のために殉難した烈士の安眠する場所と共産主義の観光景勝地でもあります。
実に一人多職です。

私が以前中国の学校で学んでいた時、私はかつて確かに南京大虐殺記念館の事を聞いた事があります。

聞くところによると、あの南京大虐殺記念館とこの南京大虐殺記念館の意味が違い、

あの南京大虐殺記念館は共産党政権初期の1950年に南京の雨花台に建設したもので、正式名称は雨花台の烈士の陵墓公園と呼ばれているのに

いわゆる国民党が南京で十万の共産党員と人民大衆を殺し、なおかつ毛沢東の”殉難者万歳”の題言がある、1979年に建造された大型の烈士の群れをかたどったものは

松の木の正面の9つの石像と一緒に立てかけられるべきなのに、どの烈士なのかさえも書かれておらず

 

1983年に建てた烈士の墓地は、1927年に蒋介石が革命を裏切った後に、雨花台を共産党員と革命志士の処刑場に変えたので、

邓中夏、恽代英、罗登贤ら数えきれないほどの中国の子女が雨花台で殺されて、かつ、ここに埋葬されたということです。

 

1987年革命の跡地に42.3メートルの高さの新しい記念碑が建てられ、上面には鄧小平の”雨花台の烈士記念碑”という文字があり、

数行の碑文で、当時の国民党と共産党の両党の生きるか死ぬかの内部の闘いを想像できます。

 

この他にさらに3つの処刑場があり、それぞれが東の殉難地西の殉難地北の殉難地と名付けており、

これによって、南京というこの場所は殺された人が多すぎる上に、当時は掘削機はなかったので、地下には白骨が重なり合っているに違いありません。

でも、ここ数十年は、大規模な土木工事をして大量の骸骨を掘り起こしたという話は聞いたことがありません。

 

※これより以下の写真に掲載されている文章は、すべて中国共産党の支配下にあるインターネット上でダウンロードしたものであり、写真とその下の文字はすべてそこからの引用です。
筆者の如魚得水さんの説明ではありません。ご留意ください。

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雨花台は南京市の中華門城の堡南に位置します。


1927年蒋介石が革命を裏切って四・一二事件を起こしてから1949年までに新中国が成立する前夜に、

雨花台は国民党が中国共産党員と愛国人士を殺した処刑場に変わりました。

この22年間で、約10万近くの共産党員、労働者、農民、知識分子(インテリ)等の革命の志士が、これにより殺されたのです。

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中国の学術界においては、南京大虐殺についてほとんど研究されていません。

1957年の中国現代史の資料編集委員会が復刻している

≪”満州事変以来の国内政治形勢の進展変化≫と
1983年中国青年出版社の≪抗日戦争の史話≫
のどれにも南京大虐殺の事は出てきません。

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新中国成立後、20世紀の50年代から始まって、南京市の政府機関、学校などの団体は清明節において革命で命を捧げた雨花台に赴きます。

 

当時の雨花台の山の斜面の上には、毛沢東の”殉難者万歳”の記念碑、両側には松柏(常緑樹)が青々としており、厳かな雰囲気です。

 

人々は記念碑の前に花輪を置き、3度お辞儀をし、記念碑を一回りして故人を偲びます。