英才教育について考えたこと
私は20代後半に、スパルタ形式の英才教育を行う私立の幼稚園で働いていたことがあります。
0歳から3歳未満の未就児、3歳児、4歳児、5歳児の4クラスで構成されており、全体で80人弱の子どもたちが在籍していました。
主に、徹底した音感教育とフラッシュカードによる漢字教育のカリキュラムを指針とする園でした。
未就児はまだ小さいので、カリキュラムに軽く触れさせる程度でよかったのですが、年少、年中、年長(3、4、5歳児)クラスはかなり本格的に行っていました。
子どもたちはいつも死んだような目をしていました。
子どもたちは、カリキュラムから離れて園庭で遊ぶ時だけ、とてもイキイキしていました。
私は未就児クラスの担任だったのでだいぶマシだったのですが、他のクラスの担任の先生たちはかなりしんどそうでした。
子どもたちは健全な大人に育つのかな?と、とても気の毒に思っていたところ、その園は経営難により閉園しました。
心の底から良かったと思いました。
ネットで調べものをしている時に、ある意味すごい動画を見つけました。
北朝鮮の子どもたちの動画です。
あとこれもどうぞ。
この子どもたちのかなり不自然な、全く子どもらしくない表情がとても気になります。
しかも、どの子も同じような表情と動きをしていてまるでロボットのようです。
人間らしい感情が一切感じられないので、これではもう違和感しか覚えません。
これは北朝鮮ならではの国家単位での教育方針がそうさせているとは思うのですが、親はおそらくそれに抗う事ができないのかもしれません。
それにしても、どうやって教育したらこうなるんだろうと、本当に悲しくなってしまいます。
日本においては国単位ではなく個人がそれぞれ選ぶような感じで、英才教育というものがいろいろな形で行われています。
でも、実際に私が働いていた私立の幼稚園やインターネット上で公開されている動画のどれを見ても、生き生きとした目をしている子どもが見当たりません。
中にはそれが好きな子もたまにはいるのかもしれませんが、大半の子が内心は嫌で嫌でたまらずに拒絶したいけれども、保育園や幼稚園の先生や親の期待に応えようと必死になっているのがほとんどのように思えます。
子どもは親に認められたいという一心で、本当はあまり好きではないけれども親が喜ぶので親が望むような言動をとる事がよくあります。
例えば、私が以前子育て支援センターで働いている時に「大きくなったら何になりたいの?」という質問に対して、ある男の子が無表情で「お医者さん」と答えているのを見たことがあります。
その子は5歳児なのに妙に冷め切った目をしていたのが印象的だったので、よく覚えています。
聞かれたらそう答えるように教えられて言わされているか、自らの意志で親の要望に応えようとし無理しているんだろうなとしか思えませんでした。
他の子はとっても目をキラキラさせて「消防士」「パイロット」「ケーキ屋さん」などと答えていましたので、本心から出た偽りのない言葉だと思います。
お父さんが開業医のお医者さんでその跡継ぎとして期待されているお家なのかもしれません。
でも、物心つく時から人生のレールを引かれて選択肢がないというのは、子どもにとってものすごく辛いだろうなーと感じます。
私も子どもの頃に親の期待に応えようと必死になっていた時期があったので、よくわかります。
あと、それとは別の話になりますが、保育園には習い事をしている子どもたちが一定数いました。
自分からキラキラした目で「プールに行くから今日は早く帰るの!」と嬉しそうに話しかけてくる子もいれば
淡々と「英会話教室に行くの。だから今日は早お迎えなの」という子もいましたが、無表情でした。
多分、自分の意志で通っているのではないのかもしれないなと感じました。
子どもの頃から英語に興味を持っている子なら楽しいだろうなと思いますが、大した興味もないのに通わせられる子にとっては苦痛でしかないだろうなーと思います。
親にとっては子どもの将来を考えての事だったり、習い事をしている時間は家や他の用事を済ませるのに都合が良い等の事情もあるかと思います。
でも、本人が嫌々通っているのであればいくら頭の柔らかい賢い子どもでも、大して身に付かないと思いますし下手するとそれが嫌いになってしまうかもしれません。
嫌々勉強させられてもやる気が出る事はほぼないという経験を、大抵の大人は自分が子どもの時に経験している筈なのに忘れてしまっているのでしょうか。
自分が苦手だった事や自分の理想とする事を子どもに託している親御さんも時々見受けられますが、お子さんは小さくても一人の人間なので親の思い通りにはいかないものです。
できる範囲でお子さんの興味、関心のあるものが何なのかを見つけてあげて、それを好きなだけさせてあげればその子の個性や才能が伸ばせますし
それが単なる一つの遊びで終わったとしても、子どもの頃に自分のやりたい事を気の済むまでしたという経験は自分はここまでできるんだという自信や自己肯定感を高める事にもつながります。
習い事をさせるのは全く否定しませんが、させるのなら親の理想や希望などではなくて、子どもの好きな事をさせてあげて欲しいと思います。
一見、学校の勉強とは関係のない事であったとしても、自分の好きな事をひたすらする事で集中力を養う事ができますし、精神的にも満足できるので心も安定します。
その頃の経験を元に、何らかの形で学校の勉強に興味を持つようになれば学力も飛躍的に伸びます。
小学校の頃の成績は普通程度だったとしても、本人がやる気を出しさえすればいくらでも成績を上げる事はできます。
子どもは大人が考えているよりも大きな、とてつもない可能性を秘めているのです。
実際に私も沖縄で生まれ育ったので、子どもの頃に自宅のテレビで米軍放送を見ることができる環境にあり、英語での会話に強い興味関心でもって見ていました。詳細はコチラ。
それを誰にも止められる事無く好きなだけ見ることができましたので、英語の成績は他の科目と比べるとダントツに良かったですし
英語が得意になった事で、特に良くも悪くもなかった他の科目も集中すればできる筈だという自信にもつながり、結果的に英語以外の成績も高校受験の頃までにはかなり上げる事ができました。
いろいろな国で様々な形の英才教育が行われているようですが、子どもによって興味関心を持つものは当然違います。
合う合わないがあるのが当たり前だという視点を持った上で、何でもいいので子どもの好きな事を良い方向で伸ばせるような習い事を選んでさせてあげて欲しいなと思います。
そして、世界規模の間違った英才教育撲滅委員会が発足したらいいのになぁと心底思う、今日この頃です。
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