反日朝鮮半島系の人が教育勅語と李氏朝鮮時代の小中華思想と詭弁の相乗効果で洗脳工作する手口

陰謀系小中華思想, 教育勅語, 洗脳

前回古事記と神話を用いて、教育勅語の12番目の徳目 「国に危機が迫ったなら忠誠心を発揮してその身命を捧げ、それによって、永遠に続く天皇様の勢威を支えよ」を隠す方法で、教育勅語で日本国民を洗脳しようと活動している反日在日朝鮮半島系の人たちの工作活動の内容について書きました。

今回は反日在日朝鮮半島系の工作員どもの教育勅語による印象操作が、具体的にどのように行われているのかという事を書いていきます。

竹田恒泰氏を含め反日朝鮮半島系の人たちによる教育勅語の解釈(印象操作):序文

画像はコチラより拝借しています。

下のブログ記事はイケメン竹田恒泰氏が講演活動で広めている、教育勅語の解釈についての内容を教育勅語信奉者らしき人が備忘録として書いたものと見受けられます。

ただ、信奉者ではないどころか教育勅語の12番目の徳目全面拒否の私からすれば、突っ込みどころ満載なので、私のまとめと突っ込みをオレンジ色で下に書き加えていきます。

お読みいただければ具体的にどういうものを普及させようとしているのかが、ざっくりとおわかりいただけると思います。

竹田恒泰チャンネル特番「教育勅語」備忘録より一部転載します。

自分用の備忘録です
教育勅語とは?作られた背景
生き方の極意。
これがあれば自己啓発本いらない。

明治天皇のお言葉をまとめたもので、明治23年に作られた。
ちなみに、明治22年大日本帝国憲法、昭和22年日本国憲法。

修身・道徳・教育の根本規範となるもの。

日本国の実印=天皇が保持

明治天皇の言葉が正しい、日本国の実印を天皇が保持している、というのを前提に話を進めているようですが、その根拠はありません。
ファンタジーでしかない神話を元に無理やりこじつけているだけです。

井上毅(大天才)
詔(みことのり、天皇の命令)でなく、勅語(個人的な著作・お言葉)として出した。

明治天皇の発案ではなく、先人の知恵の集大成。

先人の知恵の集大成を元に明治天皇が勅語として出したとのことですが、先人の知恵の中に明治天皇はじめ支配者層の反日朝鮮半島系の人の願望一部混ぜ込まれていますね。
例:教育勅語の12番目の徳目

GHQが危険視。(戦争に駆り立てたとした)
日本人が一致団結しては困る。
昭和23年6月19日に廃止される。

これは真実も含まれています。真実を含めることにより、この主張全てが正しいと思わせるための印象操作です。

~~ここから有料切り替え~~

明治時代、教育がぼろぼろだったけど、教育勅語でV字回復
明治維新が目指したもの①文明開化、②神武建国の精神に立ち返る(天皇中心)

教育勅語でV字回復→何の根拠もありません。
いきなり天皇中心というのを前提にしています。ファンタジーでしかない神話を日本国民に押し付けたいだけで、反日朝鮮半島系の人の願望でしかありません。

西洋文明が流入することで②がおろそかになっていった。
日本の文化から遠ざかっていった。
日本の教育の現場をみた天皇が日本の将来を憂いた。
今と似ている状況。

西洋文化の流入で日本文化が変化したのは事実ですが、天皇が日本の将来を憂いたというのは何の根拠もなくでっち上げが可能ですね。
例:一般国民からは全然人気がないにもかかわらず、マスコミや工作員を使ってテレビや週刊誌、SNSなどで国民からの人気があるんですよと捏造し、無理矢理演出しています。

田原総一朗も下村文部科学大臣も素晴らしいといった教育勅語。

大日本帝国憲法を書いた人=井上毅が一人で書き上げた
日本の5本指に入る天才
他は、稗田阿礼、本居宣長ら。

有名で地位や名誉がある人から絶賛され、才能がある人たちが書き上げたから素晴らしいものなんですよと思わせるための印象操作です。

大日本帝国憲法第一条 しらす→統治す

伊藤博文も解説ではわざわざ「統治す」は「しらす」の事と明記している。
世界中の憲法を読み込んだ
フランスに留学して司法制度を学ぶ
古事記、日本書紀(漢文)、立国史・・・など読み込んだ(とんでもない量)。
日本とは何かを一言で表すなら何かを悩んだ結果が第一条になった。

世界中の憲法を読み込んでとことん研究した上で編纂を積み重ねてきたから、この第一条は重要なんですよと思わせるための印象操作です。
仮に本当に読み込んだとしても、それにより正しい結論が出るとは限りません。

第一條 大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス

明治天皇が東京帝国大学(現東京大学)に行ったとき、修身を学ぶところがない、日本の政治を任せられる人が育っていないと嘆く。

明治天皇をまるで素晴らしい人格者のように書いていますが、諸説紛々として実態はわからないというのが現実だと思います。これがでっち上げである可能性は十分にありますね。
知られざる天皇家の「闇」をあぶり出した、ある女官の手記をご参照ください。

全国の地方長官(知事)を集めて、「教育」のことだけについて1週間会議やった。
よしかわあきまさ文部科学大臣が、陛下の名前で出す(勅語)ことを決め、なかむらまさなおに起草させた。
起草はイケてない内容(天が~神が~)だった。
内閣法制局の井上毅の元に届いて焦る。
なかむらさんはキリスト教徒。
神話を持ち込まない(神武天皇以降のこと)。
総理に指示される。
井上毅43歳の時。
助っ人、元田永孚(もとだながさね)(73歳)明治天皇の家庭教師だった人、顧問。
かねこしゅうたろうに相談(当時にハーバードに留学した人)「もとらず」「もとらざるべし」か言い切っていいか意見をきいた→「もとらず」

何をもって世界中で名を知られている世界宗教であるキリスト教を参考にしたものをイケてないとし、ファンタジーでしかない神話を持ち込まないのをよしとしなかったのかが不明です。

教育勅語全文解説
朕惟ふに

すべての段落にかかる

私(明治天皇)が思うに

我が皇祖皇宗

皇祖=神武天皇、皇宗=歴代天皇

国を肇むること宏遠に、徳を樹つること深厚なり。

徳のある国をたててはぐくんできた
歴代の天皇はすばらしかった
国家の歴史が長い順 日本>デンマーク>イギリス

ファンタジーでしかない神話を元に歴代天皇をほめそやし、国家の歴史が長いということを強調し、皇統が絶えた事がなく歴代の天皇はすばらしかったという設定ですが、それを根拠にするのはかなり無理があります。

我が臣民克く忠に克く孝に、億兆心を一にして世世厥の美を濟せるは

国民もまたすばらしかった
天皇がどんなことを言っても国民に通じなかったら実現しなかった
国民が天皇を忠誠を誓い、天皇にたいして孝行してきた
国民がいつもみだれることなく

此れ我が国體の精華にして

これはわが国体の昇華して完璧なものができた

まず、日本国民の気分を良くさせて洗脳するために、国民が素晴らしかったと国民を褒めて持ち上げます。嘘も方便。

そして国民が素晴らしかったとする理由が国民が天皇に忠誠を誓い天皇に孝行してきたからであり、それによって国体が完璧なものになった。という設定になっています。

これはファンタジーでしかない神話を元に、天皇に忠誠を誓い、天皇に孝行する事は正しい事だとする印象操作です。

教育の淵源亦實に此に存す。

教育の根本はここにある
先人たちの学びがあるから今がある
先人たちが正しい人間の生き方はどういうものか

爾臣民元田永孚

ファンタジーでしかない神話を元に、教育の根本は天皇を敬い従うことにあり、先人たちがそのように正しく生きてきたから今がある。という設定になっていますが、天皇を敬い従う事が正しいという印象操作です。

この序文を見ただけでも、明治天皇及びその関係者に有利な内容のものを恣意的に作っていったように感じます。次は中身を見ていきます。

竹田恒泰氏を含め反日朝鮮半島系の人たちによる教育勅語の解釈(印象操作):本文

教育勅語復活推進委員会より画像拝借しています。

教育勅語の中身。
重要なことから書いている。
なんじ=あなたたち
臣民=自由な民(臣たる民)一君万民の民、大臣と平民という意味ではない。親(天皇)の子供(国民)。おおみたから=国民

何の根拠もなくいきなり天皇国民その子供であると設定していますが、李氏朝鮮時代の中華思想或いは小中華思想を日本国民に植え付けるための印象操作です。

父母の孝に、

親孝行しなさい
人間にとって最も重要(大切)なことは親孝行。
先祖も大切にすることにもつながる
親は子供に対して有益なアドバイスしかしない

兄弟に友に、

兄弟なかよくしなさい

夫婦相和し、

夫婦はなかむつびあい

朋友相信じ、

友達同士は信頼しあいなさい

画像はコチラより拝借してます。

親孝行は人間にとって最も大事で、先祖を大切にすることにもつながる親は子供に対して有益なアドバイスしかしない。という設定になっていますが、何の根拠もなくいきなり李氏朝鮮時代儒教思想日本国民植え付けるための印象操作です。

兄弟仲良く
しなさい、夫婦仲良くしなさい、友達とも信頼し合い仲良くしなさいなどは
一般的な当たり前の道徳混ぜて詭弁がバレないようにカモフラージュしているだけです。

恭儉己れを持し、

わがままをいうな

博愛衆に及ぼし、

周りにいる人を愛しなさい
ここまで人として重要な事

自分の気持ちや意見を抑えてでも、周りの人の事を愛しなさい。人として重要な事であるという設定になっていますが従順な奴隷になるように洗脳し、李氏朝鮮時代儒教思想を日本国民に植え付けるための印象操作です。

學を修め、

社会の一員として重要な事
勉強すること
一生勉強

業を習ひ、

職業(仕事)を身につけること

以て智能を啓発し、

もののかんがえかた、知識・技術のうえの知恵

勉強仕事のための技術、考え方、知識、技術必要知恵を身につけなさい。これは社会の一員として重要な事という設定になっていますが、真面目な気質の日本国民を洗脳して、自分たちの都合の良い優秀な奴隷に育て上げるのが目的です。

徳器を成就し、

徳のある人間になれ
人の心の痛みをわかる人になる

徳のある人間になり人の心の痛みをわかるひとになりなさいという設定は
自分たちの悪事がバレた時に可哀想な被害者のフリをし、お人好しで鳩のように素直な日本国民の同情心を利用して言論を封じ洗脳して自分たちが逃げきれるようにするのが目的です。
例:美智子上皇が批判されると病気のフリをしますね。

進んで公益を廣め、世務を開き、

勉強して職業を身に着けて知恵を啓発して徳をもって、世のため人のために使いなさい
他者のために生きる

世のため人のために使いなさいという設定は、会社に尽くす、雇い主に尽くすなどの滅私奉公の精神を植え付け、真面目な気質の日本国民を洗脳して、優秀な奴隷に育て上げるのが目的です。
例:倫理法人会で行われている教本?万人幸福の栞を使用し滅私奉公の精神を植え付ける。

常に国憲を重じ、国法に遵ひ、

国民として大切な事
憲法を尊重して法律を守りなさい

一旦緩急あれば義勇公に奉じ、

もし国家が危機に瀕したら、勇気をもって自ら公のために尽くしなさい

国民として大切な事は憲法を尊重して法律を守る事であるので、もし戦争が起これば勇気をもって自分から進んで国のために尽くしなさい。という設定になっていますが

真面目な気質の日本国民(特に若い人中心)を、国のために尽くすのは正しい事だと洗脳し、従順な奴隷=兵隊に育て上げ、大量に死なせて戦争でぼろ儲けするのが目的です。

以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし。

未来永劫皇室を守っていきましょう

真面目な気質の日本人を洗脳し、天皇の従順な奴隷に育て上げ、永久にそれを維持搾取し続けるのが目的です。
例:皇室を批判する発言をすると不敬だーとか騒ぐネトウヨ(政治家?)がウザイくらいに湧いてきますね。

ここは天皇のために死ねと読めてしまうのが問題だが、当然そういう意味ではない
国防の義務があるから人権がある
最前線に立つ自衛隊を支えるのは国民
国民のために皇室(国体=日本)を守る

敢えて回りくどい表現にすることで、実際に戦争に行くのは自分ではなく自衛隊とであると、当事者意識が希薄になるように誘導し冷静な判断をさせないようにするのが目的です。

国防の義務を果たすには改憲が必要であると、上手く国民を丸め込んで洗脳するための方便に過ぎません。
国民のために皇室を守るはこじつけであり、単なる反日朝鮮半島系の人の願望です。

是の如きは

以降本文の締め
今言ってきたこと

獨り朕が忠良の臣民たるのみならず、

臣民だからやれということじゃないよ
天皇のためにやれということじゃないよ
あなた自身のためにやってほしい

ファンタジーでしかない神話を元に、ご先祖様がやってきた事が正しかったというのを前提に、詭弁も用いて混乱させて洗脳し、日本国民を天皇に従わせるのが目的です。

又以て爾祖先の遺風を顕彰するに足らん。

あなたたちのご先祖様がやってきたこと
それをやればご先祖様に報いることになる

ファンタジーでしかない神話を元に、ご先祖様がやってきた事が正しく、子孫が順守するべきであるというのを前提に、真面目な気質の日本国民を洗脳して従順な奴隷に育て上げ、永久にそれを維持するのが目的です。

斯の道は實に

以降は締めの文章

いままで実践してきたことは

我が皇祖皇宗の遺訓にして、子孫臣民の倶に遵守すべき所、

国民もそういう生き方をしてきた
順守すべきところ

之を古今に通じて謬らず、之を中外に施して悖らず。

こういった生き方は時代とともにかわるものじゃない
普遍的な生き方
地理的にかわるものでもない(西洋でもどこでも)

朕爾臣民と倶に拳々服膺して、みな其徳を一にせんことを庶幾ふ。

いろいろ言ってきたけど、天皇である自分が実践するから、みんなも一緒にやりましょう

明治二十三年十月三十日
御名御璽

転載ここまで。

口ではものすごく良い事を言っていますが、実際には天皇は国民と一緒にやる気は全くありません。
国民を
洗脳奴隷化するための方便に過ぎません。
その根拠:日本国民が貧困に喘いでいる中、天皇家は国民の血税豪遊贅沢三昧で暮らしている。

私のまとめと突っ込みはここで終了します。

どう考えても、ごく当たり前の道徳根拠のない前提を元に、天皇を崇めるように誘導し、詭弁を巧妙に組み合わせて本当の意味を悟らせず、自分たちの都合の良いように洗脳しようとしているようにしか思えません。

反日朝鮮半島系の人たちの印象操作や詭弁を見抜き、洗脳されないようにするためには


画像はコチラより拝借しています。

ウィキペディアに具体的でわかりすい説明があったので参照ください。

詭弁 ウィキペディアより、一部抜粋します。
※読みやすいように適当なところで改行しています。

詭弁とは、主に説得を目的として、命題の証明の際に、実際には誤りである論理展開が用いられている推論。間違っていることを、正しいと思わせるようにしむけた議論。奇弁、危弁とも。意図的ではない誤謬は異なる概念。

意味
日本語で日常的に使われる「詭弁」とは、「故意に」誤りのある論理展開を用いて、正しいかのように装った、発言者に都合良く導き出された結論、およびその論理の過程を指す[1]。

発言者の「欺く意志」があってこその「詭弁」であり、必ずしも意図的にではなく導かれる誤謬とは区別される。

解説
詭弁には、論理展開が明らかに誤っている場合もあれば一見正しいように見える場合もある。そして論理展開が正しいように見える場合論理的には違反しており、誤った結論でも説得力が増してしまう。

協働関係や社会的合意においては、論理的推論の整合性よりも話者が対象とする聞き手や大衆に対しての言説上の説得(説明)力がしばしば効果的であり、このため、説得や交渉、プロパガンダやマインドコントロールのテクニックとして用いられることがある。

途中省略

論点のすりかえ (Ignoratio elenchi)
A「スピード違反の罰金を払えというが、世間を見てみろ。犯罪であふれ返っている。君たち警察官は私のような善良な納税者を悩ませるのではなく、犯罪者を追いかけているべきだろう。」
B「トマス・ジェファーソンは、奴隷制度は間違いであり廃止すべきだと主張した。

しかしジェファーソン自身が奴隷を所有したことから明らかなように、奴隷制そのものは間違いではなかった。
論じている内容とはちがう話題(主題)を提示すること論点をそらすもの。

ストローマン (Straw man)
A 「私は子どもが道路で遊ぶのは危険だと思う。」
B 「そうは思わない、子どもが外で遊ぶのは良いことだ。A氏は子どもを一日中家に閉じ込めておけというが、果たしてそれは正しい子育てなのだろうか。」

わら人形、わら人形論法、架空の論法ともいう。Aが主張していないこと自分の都合の良いように表現しなおし、さも主張しているかのように取り上げ論破することでAを論破したかのように見せかける。燻製ニシンの虚偽 (red herring)。

対人論証 (ad hominem abusive)
A「私は生活必需品の消費税を廃止するべきだと思う」
B「A氏はそんな事を主張しているが、彼は過去に傷害事件を起こしている。そんな者の意見を取り入れる事はできない」

Bの発言は、Aの主張そのものではなくA自身に対して個人攻撃することで反論しているため、対人論証となる。「Aが傷害事件を起こした」という事は、A自身の信用を失墜させる効果はあるが、Aの主張の論理的な正否とは無関係であるため、論理的には正しい反論ではない。

このように、論敵を貶めて信用を失わせようとする目的で行われるのが対人論証で、人身攻撃の一種。同時に、相手の主張の正否から「相手を信用できるか」への論点のすり替えでもある。

連座の誤謬 (guilt by association)
A「科学者Bの学説に対し、C教が公式に賛同を表明した。しかしC教は胡乱なペテン集団だ。B氏の学説もきっと信用には値しない」

これも対人論証の一種で、「その主張を支持する者の中にはろくでもない連中がいる。故にその主張は間違った内容である」というタイプの推論である。
どのような個人または集団に支持されているか、という事柄は数学的・論理学的な正しさとは無関係なので、これは演繹にならない。

自然主義の誤謬 (Naturalistic fallacy)
A「私達はこれまでずっとこの土地で協力し合って暮らしてきた。だからこれからもそうするべきだ」
B「Aさんはホットケーキが好きだ。だからホットケーキを食べさせてあげるべきだ」
Aの発言は、記述文(「XはYである」という形式の文)の前提から規範文(「XはYすべきである」という形式の文)の結論を導いている。

この形式を「自然主義の誤謬」(自然主義的誤謬)と言う。この推論はあらゆる場合に間違い(偽)というわけではないが、あらゆる場合に正しい(真)わけでもなく、この種の論法が論理的な推論法としてもし有効であるなら、あらゆる改革や変更は許容されなくなる。

Aの発言は「人類は多くの戦争と殺戮を繰り返してきた。だからこれからもそうするべきだ」という主張と論理構造が等しい。「である」という観察事実から「べきである」という指針を引き出すことはできないとの主張はヒュームの法則といい、この種の誤謬はIs-ought problem(である-べきであるの混同)とも言う。

また帰納法の誤謬を含めた広義の意味では「である」という観察事実から「であろう(予測)」という指針を引き出すことも出来ない(帰納法参照)。

同情論証 (ad misericordiam)
A「そんなふうに言うもんじゃない。B君がかわいそうだよ」
Aの発言は、「XをYするのはかわいそう。故にXはYすべきではない」という形式の推論で、これは同情論証という。同時に、かわいそうであるか、そうでないかという論点へのすりかえでもある。

伝統に訴える論証 (Appeal to tradition)
A「ぜいたくはだめだよ。昔から節約は美徳とされていたからね」
Aの発言は、「過去から使われている意見は正しい」という形式の推論。

不測の事態の発生を防ぐという先例主義という考え方もあるが、「過去にその意見は正しいから採用されたのか」「関係する状況は現在と過去で変わっていないか」の二点が立証されないと根拠にはならない。

新しさに訴える論証 (Appeal to novelty)
A「そのやり方はもう古いよ。最新の方法を使うべきだ」
伝統に訴える論証とは逆に、過去と現在では状況が変わっているとすることを前提にした推論。

科学の発展や流行の推移、社会事情の変化などで説得力を持たせようとしているが、新しいだけでは根拠にはならない。

権威論証 (ad verecundiam)
A「人間はBを敬うべきだ。哲学者のCもそう言っているだろう」
Aの発言は「専門家(または著名人)も私と同意見だ。故に私の意見は正しい」というタイプの推論。

権威に訴える論証とも。『専門家』や『著名人』は『常に真理を述べる者』と論理的に同値でもなければ包含関係にもないので、権威ある者の引用は厳密な証明にならない。反論として対立する権威が引用され、同じ権威論証で対抗されることもしばしばである。

論点回避 (Begging the question)
「喫煙者はいつでも禁煙できます。彼に必要なのは禁煙する能力なのです。」
推論の前提となる命題の真偽を問わず結論を真とする。あるいは前提に仮定を置いて得られた結論とする。

上の例では「禁煙する能力」について問うことなく「いつでも禁煙できる(結論)」を主張している。倒置法となっているが、論理構造は「もし禁煙する能力があれば、喫煙者はいつでも禁煙できる」である[注 5]。

論点先取 (petitio principii)
A「Bさんは勤勉な人だから、仕事を怠けるはずがないよ。」
Aの発言は、前提の中に結論を導く事が出来る情報を「あらかじめ」含めている。このように、見掛け上は『論理』の形になっているものの実際は同義反復の推論を論点先取と呼ぶ。

同義反復(「XはXである」という演繹)は恒真命題であるが、何かを証明する内容ではない。Aの発言は、「ルノワールは偉大な画家である。何故なら、素晴らしい画家だからだ」と論理構造が等しい(このように発言するだけでは、ルノワールについて何も証明した事にならない)。

論点回避の一つ。先決問題要求の虚偽。 論理構造としては、「(勤勉な人はすべて仕事を怠けないと仮定する。Bさんは勤勉な人であると仮定する。すると)Bさんは勤勉な人である。故にBさんは怠けない。」「(素晴らしい画家は偉大な画家であると仮定する。

ルノワールは素晴らしい画家であると仮定する。すると)ルノワールは素晴らしい画家である。故に偉大な画家である。」仮定の部分の論点を先取り(回避)した論理構成となっている。

循環論証 (circular reasoning)
A「B君の言っている事は詭弁だ(屁理屈だ・揚げ足取りだ)。だから間違っている。」
論点先取の中でも、「前提が結論の根拠となり、結論が前提の根拠となる」という形式の推論を、循環論証と呼ぶ。

Aがこの発言の後に、どのような理由から詭弁(または屁理屈)と言えるのか説明出来なければ、Aの発言は「B君の言っている事は詭弁だ。何故なら間違っているからだ。何故間違っているかというと、詭弁だからだ」と述べているだけの内容となるので、循環論証になる。こういった循環論証を、英語では”that’s a fallacy” fallacyという。論点回避の一つ[注 6]。

脅迫論証 (ad baculum)
A「黙って私に従えないなら、ここから出て行け」(※「裁判所法第七十一条(法廷の秩序維持)の規定に従い、法廷の秩序を乱す者は、ここから出て行け」 )
B「国境線はここだと主張しているが、そんなことは許さ(れ)ない。国境線はあちらだ。」

Aの発言は、「あなたがXしないなら、私はYをする。故にあなたはXすべきである」という形式の推論で、脅迫論証という。前件の仮言的命題と後件の命題は、論理的に同値でもなければ包含関係にもないので、この推論は演繹にならない。

Aの脅迫論証は「お前がすべき事は黙って私に従うか、ここから出て行くかのいずれかである。しかし、お前は黙って私に従わない。故にお前はここから出て行くべきである」という論旨なので、脅迫論証であると同時に「誤った二分法」(前述)にもなっている。

Bは「(なぜなら)○○条約によれば〜」などと論証すべきところを脅迫や威嚇の文言で置き換えており有効な演繹推論となっていない。

「ゆるされない」と自発の助動詞を挿入する事で、主語・主体を曖昧にすることで、あるかどうか分からない根拠を暗示・示唆する(未知論証)なり、権威論証(上述)、あるいは多数論証(みなが許さないといっている)なりに持ち込む方法がある。

たとえば「規則ですから」という漠然とした言いまわしは、その規則を制定した意志主体を曖昧にするもので、この方法の一種といえる。

制定法は議会によるものであれ主君(主権)の命令によるものであれある種の脅迫論証をつねに含んでおり、正当性の契機(法源)が重要となる。

 

多数論証 (ad populum)
A「B君も早くCを買うべきだ。もう皆そうしている」
Aの発言は「Xは多数派である。多数派は正しい。故にXは正しい」というタイプの推論。『多数派』は『正しい側』と論理的に同値ではなく包含関係にもないので、この論理は演繹にならない。

むしろこの論理は、多数派に属しないと不利になるという脅迫論証の一種といえる。また、Aが「多数派は正しい。故に多数派ではなければ(少数派であれば)正しくない」という意味で発言しているならそれは前件否定の虚偽でもある。

また、Aの多数論証は、規範文(そうするべき)の根拠が記述文(そうしている)になっているため、自然主義の誤謬(前述)にもなっている[注 8]。

なお、厳密には「全員」ではないにもかかわらず「皆」「誰も」という言葉が使われているような場合、これを誇張法 (hyperbole) という。誇張法は詭弁ではなくレトリック。無論、計数可能な「皆」「誰も」が肯定しているからといってその命題が正しいかどうかは分からない[注 9]。

 

抜粋ここまで。

政治家やマスコミ、有名人などがよく詭弁を使っているので、観察してみてください。

反日在日朝鮮半島系の工作活動やその内容を分析していくと、まるで詭弁の総合デパートのようなものだなーと改めて感じます。

ありもしない事をでっち上げたり、嘘を隠すために延々と嘘を塗り重ねていったり、論点をずらして誤魔化し逃げ切ろうとしたりと、笑えるくらいに至る所で同じような事をしています。

本当の事を言えばそんな回りくどい、面倒くさいことをする必要はありません。

反日在日朝鮮半島系の人たちは

最初から存在しないから、あたかも本当に存在するかのようにお金や時間をかけて捏造します。
存在してても自分たちに都合の悪いものは隠蔽し、自分たちの都合の良いように改竄します。

特に天皇家安倍晋三首相部落解放同盟、民団などにその傾向が多く見受けられます。

奴らのパターンはほぼ同じなのでそれを把握し、地道に観察と研究を続けていけば面白いくらいにこれまでにわからなかったいろいろな事が、芋づる式に繋がるので楽しいですよ。

最後にこのブログ記事をどうぞ。
現代の日本社会にはいろんな形の洗脳方法があります。

裏社会メディアのデング熱報道に完全に洗脳された人の思考回路に最後のトドメを刺します。

陰謀系小中華思想, 教育勅語, 洗脳

Posted by sanae