古事記と神話を用いて、教育勅語の12番目の徳目 「国に危機が迫ったなら忠誠心を発揮してその身命を捧げ、それによって、永遠に続く天皇様の勢威を支えよ」を隠す方法
1945年8月9日に長崎市に原子爆弾投下(地上爆発という説も有力)されてから74年になりますね。
この戦争を引き起こした張本人の昭和天皇やその子孫たちは、日本国民が李王家の末裔である安倍晋三首相のアベノミクス効果により貧困化して苦しんでいるにもかかわらず、国民の血税から年間200億円以上を予算という形で強奪し、贅沢三昧の限りを尽くしてきました。
今も善人を装ってしぶとく国内外で公務とやらを続けています。
天皇を頂点とする上級国民すなわち特権階級の人たちは、古事記や教育勅語を根拠に美しい国、日本を創ろうと、のたまっておりますが、ソレなあに?と訳が分からない人も一定数おられると思います。
今回は古事記と教育勅語を利用して改憲を強行するための、反日朝鮮半島系の工作員どもの涙ぐましいというか浅ましい工作活動などを少し書きますね。
古事記って何?それはね、よくわからない根拠に基づいて創られたファンタジーなんだよ
國學院大學
國學院大學メディアより一部抜粋と写真を拝借します。
日本最古の書物『古事記』。世界のはじまりから神様の出現、皇位の継承まで、日本の成り立ちがドラマチックに描かれています。それぞれの印象的なエピソードには今日でも解明されていない「不思議」がたくさん潜んでいます。
抜粋ここまで。
私には昔の人が書いた単なるファンタジーの書物か、反日朝鮮半島系の人がありもしない歴史の捏造のために書いたファンタジーの書物としか考えられないのですが。
今日でも解明されていない「不思議」がたくさん潜んでいるんですよね?
世界のはじまりから神様の出現って、真偽は明らかではないですよね。
あー、だから、神話というのですね。
コトバンク 神話より一部転載します。
デジタル大辞泉の解説
しん‐わ【神話】
1 宇宙・人間・動植物・文化などの起源・創造などを始めとする自然・社会現象を超自然的存在(神)や英雄などと関連させて説く説話。
2 実体は明らかでないのに、長い間人々によって絶対のものと信じこまれ、称賛や畏怖の目で見られてきた事柄。「地価は下がらないという神話」「不敗神話」
転載ここまで。
説話って語り伝えられた神話・伝説・民話のことですよね。
実体は明らかでないとか絶対のものと信じこまれとか称賛や畏怖の目で見られてきたとか。
それらは事実とは違いますよね。やっぱりファンタジーだと思うのですが。
そして、そのファンタジーを元にした神話を広めようとした方が出雲井晶氏
日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。より画像を拝借しています。
私流に一言でいうと出雲井晶氏は日本神話をこよなく愛する人でしょうかね。
出雲井晶 ウィキペディアより一部転載します。
※読みやすいように適当なところで改行しています。
出雲井 晶(いずもい あき、1926年9月11日 – 2010年5月16日)は、日本の作家、日本画家。『「日本の神話」伝承館』館長、『「日本神話の心」伝承の会』会長。
日本会議代表委員であった。本名は光定芳子。
平成に入り、古事記をベースにしつつもキリスト教右派の影響を受けた独自の超絶解釈により、一神教の論理に基づき日本神話を再構築。その解釈結果を生かし、古事記にも日本書紀にも典拠がない創作した独自の物語を日本神話として著述する活動を開始した。
教育に関しては、天地創造(イザナギ・イザナミが登場する日本式の)を肯定し、科学ではなく日本神話のロマンを子供に対して教育すべきであり、実証的な研究成果を教える必要はないと主張した。
また、自ら創作した物語を神話として次世代へ伝承する活動を活発に展開するため、自宅兼アトリエを「日本の神話伝承館」に改築し、1997年に開館した(文物は現在、千駄ヶ谷にある「国民精神研修財団」2階に移転展示されている)。
転載ここまで。
実証的な研究成果よりもファンタジーでしかない神話を広めたいのですね。
反日朝鮮半島系の人たちの大好きなウリナラファンタジーと何が違うのでしょうか。
あー、日本会議代表委員をされていたのですね。
もしかして日本会議や旧皇族の家に生まれた竹田恒泰氏もこの、出雲井晶氏のファンタジーでしかない神話を元に教育勅語を広めようとしているのでしょうか?
次はイケメン竹田恒泰氏がどのような工作活動をしているのかを書きます。
古事記を元に教育勅語を普及させようと活動している旧皇族関係者の竹田恒泰氏
左が竹田恒泰氏で、右がYoutuberのえらてんさんです。二人ともイケメンですね。
といいますか、兄弟並みの多分遺伝子レベルで似ていますね。
もしかして、親戚関係にあるのかも?
なーんてね。
まぁ、えらてんさんのことはおいといて竹田恒泰氏の話に戻します。
竹田恒泰氏は旧皇族の竹田家に生まれたそうです。
現在、このような活動をされています。
竹田研究会 古事記プロジェクト
より一部転載します。
※読みやすいように適当なところで改行しています。
1.古事記普及事業「全国のホテルや学校に古事記を置こう!」プロジェクト
従来、大多数のホテルの客室には、『聖書』と『仏教聖典』が常備されていますが、『古事記』が設置されているホテルは存在しませんでした。
二十世紀を代表する歴史家のアーノルド・トインビーは 「十二、三歳までに民族の神話を学ばなかった民族は、例外なく滅びている」 と述べています。
日本では戦後、GHQの指示により神話教育が行われなくなりましたが、米国や英国をはじめとする連合国は、現在でも学校で神話教育をしています。
日本人が日本神話を知らなくなったことは、日本の危機であると考えなくてはなりません。
そこで当財団は、全国のホテルや学校に【無償】で「古事記 – 現代語訳」を配布しています。古事記編纂1300年にたる平成24年からプロジェクトを立ち上げました。
転載ここまで。
全国のホテルや学校に【無償】で「古事記 – 現代語訳」を配布って本格的ですね。
あと、こんな感じで講演会も行われているようです。
古事記から日本を学ぼう
歴史を学ばない民族は例外なく滅びる
アーノルド・Jトインビー(イギリス歴史学者)
賢者は歴史に学ぶ
(ビスマルク)
と強調されているので、これらの内容がきっとこの講演会の肝の部分なのでしょうね。
ん?それにしても、賢者は歴史に学ぶ?古事記は歴史ではなく、真偽が定かではない神話ですよね?
なんか違和感を覚えます。
それから
歴史を学ばない民族は例外なく滅びる
アーノルド・Jトインビー(イギリス歴史学者)
なんて言葉ありましたっけ?
あまり馴染みがないように思うのですが、私が知らないだけでしょうか。
ということで、次は、それらの私の素朴な疑問を解いてくれるとっても楽しくて愉快なブログを見つけたのでご紹介しますね♪
「歴史を学ばない民族は例外なく滅びる」は存在せず、トインビーの「ヤンデレ二次創作」だった!?
追跡:「古事記ビジネス」に騙り継がれるトインビー「民族の神話」の系譜
より一部転載します。
結論:「ヤンデレ二次創作」
十二、十三歳くらいまでに民族の神話を学ばなかった民族は、例外なく滅んでいる
これはイギリスの歴史学者、アーノルド・J・トインビー(1889-1975)の言葉ではありません。
簡単に言えば、この言葉は、日本神話が好きすぎていろいろもよおしちゃった人たちによって造り出された、トインビーの「ヤンデレ二次創作」です。
その意味で、日本が世界に誇る100%国内産の言葉なのであります。
転載ここまで。
へぇー、そうなんですね。
やっぱり反日朝鮮半島系の人は息を吐くように嘘をつくんですね。
というか恥ずかしくないのでしょうか。
それから途中省略し、以下転載の続きです。
語句別の初出を示したツイートを埋め込んでおきます。忙しい人はこれだけ覚えておけば大丈夫です。
【偽トインビー語録】語句別・確認できた最古の用例
・「12、13歳」「までに」「民族の神話を」「んでいる」→出雲井晶2004
・「くらい」「学ばなかった」→木原秀成2007
・「民族は例外なく滅」→戸松慶議1959
詳しくは→https://t.co/gyleGI2FN2— ヤシロタケツグ【要出典】 (@yashiro_with_t) February 25, 2017
ヤンデレ「トインビー神話」の成立と流通
上記レファレンス事例での回答内容も含めてまとめると、こういう流れです。
<成立の過程>
戸松慶議(1913-2007)による「原案」が
出雲井晶(1926-2010)により「変形」されて生まれています。
<流通の過程>
そして木原秀成さん(b.1945)がいいかげんに引用した版をメインに、
竹田恒泰さん(b.1975)があちこちで吹聴して回っている形となっています。
新たな情報が入れば必要に応じて訂正しますが、大まかな経緯としては上のとおりだろうとみています。
用語の定義:古事記ビジネス
ひとつレッテルを用意しておきます。
当記事では、日本神話が好きすぎていろいろもよおしちゃった人たちによるもろもろの活動を総称して、「古事記ビジネス」と呼ぶことにします。以後、ご承知おきください。
中間まとめ1
トインビーの「ヤンデレ二次創作」が芽生え、成り立ち、そして広がる過程をたどってゆくと、まるで
敷島のやまとごころを人とはば朝日ににほふやまざくら花(本居宣長)
と歌われた大和心を体現するかのような、古事記ビジネスの面々が互いに相和す非常にうるわしい和の精神の発揚となっております。
しかし出典マニアに言わせれば、名を騙るタイプの、きわめてたちの悪い「風説の流布」事案の典型なのであります。
抜粋ここまで。
日本神話が大好きな人たちによる100%国内産の言葉そのものである、ヤンデレ二次創作が日本会議や旧皇族関係者たちの古事記ビジネスに利用されたのですね。
そしてそれは、風説の流布でしかないとww
あー、きれいさっぱり!気分爽快!超絶楽しい~です♪
ブログ主さん、大好きです。グッジョブです。
出雲井晶氏の思想=どうしても教育勅語とファンタジーでしかない日本神話をつなげて洗脳したいの
コチラより画像拝借しています。
さきほどの日本会議代表委員をされていた出雲井晶氏は、日本神話のみならず教育勅語もこよなく愛しているようです。
その様子が伺えるような事を書いているブログと出会ったので、ご紹介しますね。
真実を知りたい-NO2 林 俊嶺
教育勅語 日本神話
よりブログ主さんの文章を転載し、書籍からの引用部分は文章と音声ファイルにしました。
全文をそのままお読みになりたい方は上のリンクよりどうぞ。
※読みやすいように適当なところで改行しています。
ブログ主さんの文章転載ここから。
国有地を鑑定額よりはるかに安く取得したことで問題になった森友学園では、園児に教育勅語を朗読させていたことも話題になりました。
教育勅語は、「神話的国体観」に基いており、「主権在君」(天皇主権)の考え方が、「主権在民」(国民主権)を定めた日本国憲法と相容れないため、1948年に国会で「排除」や「無効確認」の決議が行われているからです。
しかし、森友学園をめぐる国会などの審議で、稲田朋美防衛相が、教育勅語の「核の部分」を「取り戻すべき」などと主張しました。
また、「私は教育勅語の精神であるところの、日本が道義国家を目指すべきである、そして親孝行とか友達を大切にするとか、そういう核の部分ですね、そこは今も大切なものとして…」
などとも主張しています。
稲田防衛相が「取り戻すべき」だという「教育勅語に流れている核の部分」や「日本が目指すべき」だという「道義国家」というのは、直接的には触れていませんが、皇室が万世一系の天照大神の子孫であり、
神によって永遠の統治権が与えられているのだという「神話」に基づく考え方で、「忠君愛国」や「儒教的道徳」をもとに、皇室を中心とする「家族国家」日本を甦らせようとするものではないかと思います。
歴代の内閣総理大臣が、一年の仕事始めに伊勢神宮に参拝したり、閣僚や政権に関わる議員がこぞって靖国神社を参拝している事実、
さらに、”創生「日本」東京研修会”で、第一次安倍内閣の長勢法務大臣が、「国民主権、基本的人権、平和主義、これをなくさなければ本当の自主憲法ではないんですよ」などと発言している映像が存在する事実などから、
私は、安倍総理はもちろん、政権を支えてきた多くの人たちが、そうした考え方を共有しているのではないかと想像します。
そこで、そうした考え方をもう少し深く知りたいと思い、敗戦国日本の現実を嘆き、「いまだにわが国は、コミンテルン史観、唯物史観、東京裁判史観の呪縛でがんじがらめにしばられたままである」などと主張して、
「日本の神話」の心にかえることを訴えている「出雲井晶」の「今なぜ、日本の神話なのか こんな素晴らしいものとは知らなかった日本の神話」(原書房)を手に取りました。そして、「教育勅語」に関わる部分の一部を抜粋しました。
日本神話の原点といわれる『古事記』には、「偽書説」があります。また、天武天皇が、自分の皇位継承の正当性と自分に従った諸族の優位性を証明するために、自身に都合のよい史書の撰録を企てた…、などというような捉え方もあるようです。
さらに「教育勅語」がいろいろなかたちで、「大東亜戦争」を支えたことを検証したり、考慮したりすることなく、
”わが国には遠い遠い祖先が、大宇宙の理法から説きおこした雄大な『古事記』『日本書紀』という史書がある。
この神代の巻が「日本の神話」である。この「日本の神話」こそ、いわば天からのわが国建国の真理の書である。
建国の理念、精神がとかれた書である”
などと「聖典」であるかのようにいい、日本を再び戦前の考え方や価値観にもどそうとするのはいかがなものかと思います。
たとえ、『古事記』『日本書紀』などに記されているいわゆる「日本神話」が、史的事実を背景としている部分があるとしても…。
ブログ主さんの文章転載ここまで。
そして次は
「今なぜ、日本の神話なのか こんな素晴らしいものとは知らなかった日本の神話」出雲井晶(原書房)から、第一章の引用文の音声です。
書籍の引用文章の転載は下記になります。
第一章 今なぜ、日本の神話なのか
廃止させられた「教育勅語」
「教育勅語」といっても戦後の方はまったくご存じないだろうから、まず、ここに掲げる。
教育ニ関スル勅語 ・・・略
わかりやすい用語で書かれてはいるが、現代人にはなじみのない言葉もあるので、現代流に訳させていただく。
「教育勅語」謹訳
一、私がよく考えてみるのに、われらが皇室の天照大神はじめ祖先の神々と神武天皇からの歴代の天皇が、日本の国はるか大昔に遠大な理想をもってお開きになり、長い歴史のあいだに麗わしい道徳をうちたてられると共に、その恵みをあらゆる面で深く根づかせられた。わが国民もまごころをもって君国に尽し、親を大切にし、すべての国民が心を一つにして、代々忠孝の美しい風習を成就してきたのは、これこそわが国がらの最も美しい特色で、教育で一ばん大切な根源もまた、ここにあるのである。
二、すべての国民よ、父母は大切にうやまい、兄弟仲良く、夫婦こころをあわせ、友だちも誠の心でまじわり、自分の身はいつもつつしみ深くおごり高ぶらず放埒にならぬように。
思いやり博愛の心、社会奉仕をこころがけ、まじめに学問をし、仕事をならい、智識才能を発揮するようにつとめ、徳の高い人格をめざして励み、進んで人の為になることをし、社会的責任を果たすよう心がけるように。
さらに国民として憲法を尊重し、国の法律をまもり、ひとたび国家の危急がおきた時には、正義なる勇気をふるい国家に奉仕する。これらの徳義を実践して、天地創造の真理にのっとり建国された天地と共にきわまりない皇室を、中心とする道義国家の実現をたすけるように。このように国民みなが道をおこなうことは、ただ現在私のよい民であるばかりでなく、それぞれの祖先が遺した美風をあきらかにあらわすことにもなるであろう。
三、これまでのべた道をふみ行うことは、実に天照大神、神武天皇にはじまる歴代天皇の遺されたみ教えであって、皇室の子孫と国民とがともにしたがい守るべきものである。これは悠久の昔から今現在も未来永劫にまちがいのない真理であると共に、日本国だけではなく、どこの国の人も守ってまちがいのない人間の道なのである。私もあなた方国民と共につつしんでふみ行い、君民いったいとなってその徳をみがき人格をたかめるようにと、切に望むのである。
明治二十三年十月三十日
ご署名、御印
無心になって「教育勅語」に対すれば”人倫の教え”これにまさるものはない。どんなに時代がうつりかわろうとも変わることのない、人間の道を指し示されたものであると共に、それがそのまま自国の国体とつながっているからすばらしい。
だからこそ思想戦によって徹底的に日本をやっつけておかねばならないGHQにとっては、攻撃目標になったのである。
まだGHQの手が教育面にのびていなかった昭和20年9月4日には、文部省は「新日本建設の教育方針」として、
「今後の教育は、国体の護持に努むると共に、軍国的思想及び施策を払拭し、平和の建設を目途として、謙虚反省、只管(ヒタスラ)国民の教養を深め、科学的思考力を養ひ、平和愛好の念を篤くし、智徳の一般水準を昂(タカ)メテ、世界の進運に貢献するものたらしめん。」
と決定した。その趣旨を徹底させる為に、十月半ば全国教員養成学校長、視学官を東京に集めて、前田多門文部大臣が左のような訓示をおこなっている。
「今日、道義の昂揚(カウヤウ)と言ふことが強調されてをりますが、若しそれ敗戦の結果、武装が解除せられたので、余儀なくたてられた方策かの如くに、道義昂揚が説かれますならば、まことに情けない話であって、それは肇国の精神にも反する事となるのであります。茲に於いて吾人は茲に改めて教育勅語を謹読し、その御垂示あらせられし所に心の整理を行なはねばならぬと存じます。
教育勅語は、吾々に御諭し遊ばされて、吾々が忠良なる国民となる事と相並んで、よき人間となるべきこと、よき父母であり、よき子供であり、よき夫婦であるべき事を御示しになっております。」即ち国民たると共に、人間として完きものたる事を御命じになっております。・・・・・(所謂民主主義政治とは)民衆が責任を以てする政治であり、畏くも皇室を上に戴き、民衆が政治に関与し、その政府は権力といふよりは、むしろ奉仕に重きを置く、これ日本的なる民主主義政治の特長であります。・・・・・
畏くも上御一人おかせられては、常に爾臣民と共にあり(「終戦の詔書」の中での言葉)と仰せられて居ります。この有難い大御心を拝し、吾等はほんとうに一つ心になって、此の難局を切抜けて、理想の彼岸に達したいと思ひます。」
と、のべ、戦後教育でも教育勅語を根幹に、肇国の精神をかみしめるべきことを強調していた。
ところが、十二月に入ると、”神道指令”修身、日本歴史、及び地理停止”と、GHQは日本の教育を根本からゆさぶり解体をはじめた。翌二十一年三月来日した教育使節団のいわゆるストッダード教育使節報告書によってGHQは攻めてきた。
文部省はこの年元年の詔書をも、天皇の人間宣言と皮相にうけとった。秘密扱いで、「勅語及び詔書などの取扱いについて」という通達を出した。新憲法草案が衆、貴議員で可決した翌十月八日のことである。その中で、
(一) 教育勅語を以て、我が国教育の唯一の淵源となす、従来の考え方を去って、これと共に教育の淵源を、広く古今東西の倫理、哲学、宗教などにも求むる態度をとるべきこと
(二) 式日等に於て、従来、教育勅語を奉読することを慣例としたが、今後は之を読まないことにすること
とあった。
「教育の淵源」は、わが国肇まっていらいの「国体の精華」であると示されたことを否定した。そして新憲法の枠の中での教育ということで「教育基本法」が議会へ出された。
これは、教育使節団の報告書によって、日本国民の育成という点は無視されたもので、議員から痛烈な批判が続出したが、わずか五日で可決させられた。わが国教育の基本理念はこうして消された。
昭和二十三年六月十九日、衆議院で「教育勅語等排除に関する決議」
「民主平和国家として、世界史的建設途上にあるわが国の現実は、その精神内容において、未だ決定的な民主化を確認するを得ないのは遺憾である。これが徹底に最も緊要なことは、教育基本法に則り、教育の革新と振興とをはかることにある。
しかるに、既に過去の文書となってゐる、教育勅語、並びに陸海軍軍人に賜りたる勅諭、その他の教育に関する諸詔勅が、今もなお国民道徳の指導原理としての、性格を持続しているかの如く誤解されるのは、従来の行政上の措置が不十分であったがためである。
思ふに、…これらの詔勅の根本理念が、主権在君、並びに神話的国体観に基づいてゐる事実は、明らかに基本的人権を損ない、且つ国際信義に対して疑点を残すもととなる。
よって、憲法第九十八条の本旨に従ひ、ここに衆議院は院議を以てこれらの詔勅を排除し、その指導原理的性格を認めないことを宣言する。政府は直ちにこれらの詔勅の謄本を回収し、排除の措置を完了すべきである。右決議する。」
同日、参議院でも同じ趣旨の決議をして、「教育勅語」をほうむり去った。
すべて占領軍の、日本の原点、建国の理念を晦(クラ)まして日本を愚民弱体化する手順によってなされたもので、「教育勅語」廃止は、その止めを刺したものといえる。
・・・中略
私は同世代の方々によびかけたい。老人大学や旅行で自分の楽しみを味わうのも結構である。だが、それだけでは生き甲斐はない。せっかく教えこまれ、知っている「教育勅語」を子や孫世代に伝えようではないか。そして共に高い魂の昇華を目ざして向上し、科学万能、唯物至上の阿修羅の世に終止符をうとうではないか。
書籍の引用文章の転載ここまで。
なんか訳が分からないというか、こじつけにも程があるような気がするのですが。
すべて占領軍の、日本の原点、建国の理念を晦(クラ)まして日本を愚民弱体化する手順によってなされたもので、「教育勅語」廃止は、その止めを刺したものといえる。
との賜わっていますが、押し付けられたのではなく日本国民が選んだ議員が細かいところまで修正した上で決めた事です。
国民を守るためのものですので、国民を愚民弱体化する事にはなりません。
また、以下は第二章の説明となる内容です。
よりブログ主さんの文章を転載し、書籍からの引用部分は文章と音声ファイルにしました。
全文をそのままお読みになりたい方は上のリンクよりどうぞ。
※読みやすいように適当なところで改行しています。
ブログ主さんの文章転載ここから。
「今なぜ、日本の神話なのか こんな素晴らしいものとは知らなかった日本の神話」(原書房)の著者(出雲井晶)は、すでに取り上げたように、教育勅語について、
”無心になって「教育勅語」に対すれば”人倫の教え”これにまさるものはない。どんなに時代がうつりかわろうとも変わることのない、人間の道を指し示されたものであると共に、それがそのまま自国の国体とつながっているからすばらしい。”
と絶賛しています。そして、
”私は同世代の方々によびかけたい。老人大学や旅行で自分の楽しみを味わうのも結構である。だが、それだけでは生き甲斐はない。せっかく教えこまれ、知っている「教育勅語」を子や孫世代に伝えようではないか。
そして共に高い魂の昇華を目ざして向上し、科学万能、唯物至上の阿修羅の世に終止符をうとうではないか。”
と呼びかけているのです。
私は、こうした主張は『古事記』の上巻”神代”(「日本の神話」)を、「わが国の神典ともいうべき真理の書である」と受け止める歴史認識からきているのだろうと思います。
先の大戦による様々な悲劇が、「日本の神話」に基づく「教育勅語」や「軍人勅諭」と無関係であったかように、
”せっかく日本に生まれ、住んでいるのだから、「日本の神話」の心に回帰することが幸せにつながる道だと知るべきである。”
などと主張することには、驚かざるを得ません。
そして、
”皇室のご先祖は天地の創り主天之御中主神が人格神としてあらわれられた天照大神で、皇統は絶えることなく続いている。また、日本人みんなの祖先もたどっていけば天照大神にいきつく。”
などと、『古事記』にしたがって「神話」と「歴史的事実」を連続させて受け止める歴史認識は、戦前・戦中の軍部や政権の歴史認識と同じではないかと思います。
そうした歴史認識が、思想の自由はもちろん、信教の自由や政教分離の原則を否定する体制を生みだし、治安当局による左翼思想家・自由主義者・宗教家その他関係組織や団体に対する過酷な弾圧・粛清事件をもたらしたことを忘れてはないと思います。
また、『古事記』は、天武天皇が、”自分の皇位継承の正当性と自分に従った諸族の優位性を証明するために、自身に都合のよい史書の撰録を企てた”とする考え方なども、十分考慮されるべきだろうと思います。
例えば、『古事記』には、伊波礼毗古命(イワレビコノミコト=神武天皇)が、登美能那賀須泥毗古(トミノナガスネビコ)と戦った話が出てきますが、それは”同母兄の五瀬命(イツセノミコト)と二人で、高千穂宮(タカチホノミヤ)にいらっしゃって、
「どこへ行ったら、安らかに天下を治めることができようか。やはり、東の方へ行った方がよかろう」と相談して、日向を発って…”というのですから、 登美能那賀須泥毗古の側から見れば、突然入り込んできた神武天皇の一団は「侵略軍」ともいえる一団だろうと思います。
でも、『古事記』は神武天皇側の立場で書かれているので、そんなことは問題ではないのでしょう。『古事記』が、そうした自身に都合のよい史書の撰録や創作に基づくものであっても、何ら不思議はないと、私は思います。
さらに言えば、『古事記』は、天武天皇の関係者が、皇位継承の正当性や絶対性をより説得力のあるものにするために、意図的に神話と歴史的事実を連続させて創作したものではないかと私は思います。
したがって、『古事記』は、あくまでも「神話」として理解すべきで、「わが国の神典」とか「真理の書」であるとか主張し、歴史的検証の枠外に置いて、書かれていることをそのまま何の疑問も持たずに受け入れるのはいかがなものかと思うのです。
十数年前、神道政治連盟国会議員懇談会において、「日本の国、まさに天皇を中心としている神の国であるぞということを国民の皆さんにしっかりと承知して戴く、そのために我々(=神政連関係議員)が頑張って来た」という発言をして問題になった森喜朗元内閣総理大臣その他も、
2010年の著者(出雲井晶)の葬儀に参列したということから、今なお、日本で要職にある多くの人たちが、著者(出雲井晶)と同じように、日本国憲法に反する戦前の歴史認識を継承しているのではないかと不安になります。
下記は、「今なぜ、日本の神話なのか こんな素晴らしいものとは知らなかった日本の神話」出雲井晶(原書房)から、第二章の一部を抜粋したものです。
ブログ主さんの文章転載ここまで。
そして以下は
「今なぜ、日本の神話なのか こんな素晴らしいものとは知らなかった日本の神話」出雲井晶(原書房)から、第二章からの引用文の音声です。
第二章 「日本神話」は不滅のしんりc
書籍の引用文章の転載は下記になります。
第二章 「日本神話」は不滅の真理
『古事記』上巻神代上下=「日本神話」の誕生
私たちの遠い祖先の古代人が、すばらしく冴えた感性で感じとり、想像力を縦横自在に駆使して知った大宇宙の理法! その大宇宙の理法にのっとって古代人が創作したわが国の国がらを、最後の語りべとして伝承していたのが稗田阿礼(ヒエダノアレ)であった。
元明天皇が和銅四年九月十八日、太安万侶(オオノヤスマロ)にお命じになった。稗田阿礼が口伝えにしているものを文字で記して献上せよと。
太安万侶は、天皇の仰せをかしこみ、稗田阿礼の伝承してきたものを書きとっていった。これが『古事記』で、上、中、下巻からなる日本最古の尊い文献である。和銅五年正月二十八日、完成させて天皇に献じたのだ。今から千二百八十四年まえ、西暦七百十二年のことである。
この『古事記』上巻”神代”が「日本の神話」といわれるもので、わが国の神典ともいうべき真理の書である。素朴で簡潔な言葉でつづられているが、その一言一句に無限といえる豊かな真理が秘められている。まさに言霊(コトダマ)の宝庫である。
「日本の神話」のすばらしさは、私たちの遠い祖先の偉大な古代人が、澄んだ感性で感じとった天地大宇宙の理法が記されていることである。それは壮大で永久不変の真理ある。時々刻々移りかわる現(ウツ)し世のことではない。
三次元世界しか見ることの出来ない肉眼には視えない。が、これ以上確実な実在はない天地の創り主天之御中主神の高遠な理法が語られ、深く広い道理が秘められている。
天之御中主神の創造になる世界は、はるか想像を超える過去から尽きることのない未来へと壮大に続いていく。小さな人間智など、何億何兆結集しても及ばない大いなる力によって、時々刻々創造され、その作業は永遠に続くのだ。
今現代の宇宙科学、地球物理学、心霊学、それらすべてを包みこんで深い道理が秘められている世界なのだ。
私たちの祖先の古代人に対して最も驚嘆することは、この大宇宙の理法を自分の生まれ住んでいる日本国家の原点に、国家の理念にすることを忘れなかったことだ。だから、日本の国そのものが天地の理法にのっとり生まれた国として、天之御中主神の、御中を中心にして大和する国、大和の国家観がが語られている。
ついで、皇室のご先祖は天地の創り主天之御中主神が人格神としてあらわれられた天照大神で、皇統は絶えることなく続いている。また、日本人みんなの祖先もたどっていけば天照大神にいきつく。
このように日本の国とは、わが偉大な古代人の創作になる地球上にたった一つしかない最高の文化的創作なのである。
「日本の神話」は、今も生きている真理
そして「日本の神話」は、過ぎ去った遠い過去だけの物語ではない。また、いつ来るともわからぬ未来だけの話ではない。
今、現在生きている私たちすべてが、とうとうと流れ続く大宇宙の理法や摂理の中にいる。今、あなたや私がいる空間にも、あなたの中にも私の中にも天之御中主神はいます、ということが書かれているのだ。この、人間としての原点を、唯物万能、唯物一辺倒の中で暮らしている現代人は、物に晦(クラ)まされて見失ってしまっている。
しかし私たちは、大いなる創り主の命から枝わかれした分け命であるという事実からは、逃れようにも逃れることは出来ない。しっかりこのことを踏まえて、大宇宙の理法の流れの中で生きる賢い智恵を現代人は取り戻さなければならない。
この三次元世界だけしか見ることが出来ない目には見えないが、絶対の善意である、どこまでも明るい善いことばかりの真理の世界を教えてくれている「日本の神話」に回帰する。せっかく日本に生まれ、住んでいるのだから、「日本の神話」の心に回帰することが幸せにつながる道だと知るべきである。
吉田松陰先生は、『古事記』の「神代の巻」つまり「日本の神話」は、「日本人すべての信仰の対象である」と教えた。この信仰とは、狭義の、どの宗教というようなものではない。
日本の大地、大自然と共に生きる「日本の心」だと理解すればよい。日本国土の上に生をうけ、暮らしている同胞すべてに、私たちの遠い祖先が遺してくれたすばらしい教えを伝えたい。知れば皆が、底抜け明るくなる真理であるから。「あな面白、あな手伸し、あな清け」の世界であるからと、松陰先生は思われたに相違ない。
この著書を通読され、先祖伝来の「日本の神話」の真理への回帰こそが、幸せに生きる秘訣だと会得されることを私も願わずにはおられない。
人類は類人猿の進化とはパンドラの箱
そのためにはまず、唯物論で凝り固まった戦後の歴史教科書の概念を頭からすっかり捨てる。頭の中を一度からっぽにして「日本の神話」を読むことが大切だ。
戦後の歴史教科書は、全部が全部ダーウィンの進化論から始まることは、前章の教科書の例でおわかりいただけたと思う。ここでもう一度『中学社会』(日本書籍)を読み返して、わが古来の思想と比べてみてただきたい。読んで気づかれたであろうが、ダーウィンの進化論とは、この現象界、タテ、ヨコ、厚みの三次元世界、この肉体の目で見る世界だけを基調にして物事を考えている。つまり唯物論者としてのダーウィンが、考古学の成果などから想像して創りだした「人類の始まりは類人猿から」の理論がダーウィンの進化論である。
ローマ法王ヨハネ・パウロ二世は、法王庁科学アカデミーによせた書簡で、「ダーウィンの進化論は、カトリックの教えと矛盾しない」として進化論を認める見解を明らかにした。しかし、「肉体の進化論は認めるが、われわれの精神は神からもらったものであり、人間の精神は進化論とは関係ない」と留保をつけた(1996年10月24日ローマ発共同) という。当然のことであろう。
唯物論者は、物・現象の表面をいまひとつ突き抜けて、その物事の本源を直視することが出来ない。物にばかり心が捉われて、それを超える想像が働かないのが、唯物論者である。
物の上つらしか、木はただの樹木、石はどんな原子だ分子だ素粒子だ陽子だと、コンピューターではじいて分解したり統合したりして、物体はすべてを説明するだろう。
しかしそれ以上の想像思考の範囲を出ることは出来ない。木が芽をだし葉をしげらせ花を咲かせる、目には見えないが確かに存在する大いなるものの存在は説明できない。
肉眼で見ることが可能な三次元世界から飛び出せない、飛躍できないのが唯物論ではないだろうか。私たちの祖先の古代人たちが持っていた豊かな感性を失ってしまっているのが、唯物論一辺倒の現代人の姿なのだ。
ギリシャ神話の中に出てくる人類最初の女性といわれるパンドラが、神の教えを守れずに開けた箱につまってた災い!この災いとは、創り主の存在を忘れた唯物論ではなかったろうか。
書籍の引用文章の転載ここまで。
まるで新興宗教の言い回しそのものにしか思えません。
「日本の神話」のすばらしさは、私たちの遠い祖先の偉大な古代人が、澄んだ感性で感じとった天地大宇宙の理法が記されていることである。それは壮大で永久不変の真理ある。時々刻々移りかわる現(ウツ)し世のことではない。
それから以下の言い回しも、百歩譲って仮に史実として捉えるにしても意味不明レベルです。
ついで、皇室のご先祖は天地の創り主天之御中主神が人格神としてあらわれられた天照大神で、皇統は絶えることなく続いている。また、日本人みんなの祖先もたどっていけば天照大神にいきつく。
このように日本の国とは、わが偉大な古代人の創作になる地球上にたった一つしかない最高の文化的創作なのである。
何の根拠もありませんし、ファンタジー大好きな反日朝鮮半島系の人たちの願望にしか思えません。
といいますか、それを実現したければ日本から天皇家を含めた反日朝鮮半島系の人を全て祖国に連れて帰り、偉大なる祖国である朝鮮半島で実現して欲しいものです。
事実無根の神話をでっち上げ、天皇を神格化したくてたまらないようですが
まともな思考をもつ日本人は明治憲法や旧皇族(李王家)の復活、天皇を元首とした国家など全く望んでおりません。
本当のことを言うと日本国民が激しく拒絶するので、反日在日朝鮮半島系の人たちはファンタジーでしかない神話を過剰に持ち上げて、洗脳工作をしようとしています。
無理やり感が満載で屁理屈レベルが高すぎですね。
ここまでくると非常にイタイです。
まとめますと、反日朝鮮半島系の上級国民すなわち特権階級の人たちは、日本において長い時間をかけて日本国民を洗脳し、ありとあらゆる分野で支配体制を築いてきました。
その自分たちの支配体制を完全なものにするには、今の日本国憲法を明治憲法のように改める必要があります。
日本は一応は法治国家なので、表向きは日本国民の総意の元で改憲をする必要がありますが、そのためには教育勅語により洗脳して、形だけでも国民に納得させた上で行わなければなりません。
しかし、過去の凄惨な戦争体験や天皇家への嫌悪、政府不信などにより、日本国民は教育勅語を簡単には受け入れません。
そこで、日本最古の史記と称した古事記を自分たちの都合の良いように捏造、改ざんし、ファンタジーでしかない神話を創作して無理やり組み合わせることで、
戦争を起こしてぼろ儲けするのに欠かせない教育勅語の核の部分である、12番目の徳目
国に危機が迫ったなら忠誠心を発揮してその身命を捧げ、それによって、永遠に続く天皇様の勢威を支えよ
という部分を日本国民(一般国民)に知られないよう、わからせないように印象操作でソフトに表現して誤魔化し、教育勅語を普及させ洗脳して改憲を強行しようと躍起になっているんですね。
朝鮮半島系の人は本当にファンタジーが好きで好きでたまらないんですね。
でも、残念ながら今後はもう大多数の日本人には、そんなしょうもないものは通用しません。
反日在日朝鮮半島系の人のありとあらゆる実態が明らかになっちゃいましたから。
なによりも奴らが日本国民を洗脳するために利用している古事記や日本書紀には、ものすごく大事な部分が削除されてしまっているようですよ。
ということはほとんどウソだらけで、古事記は信用に値しないということになるかと思います。
最後にこのブログ記事をどうぞ。