どんなに正しい情報も相手が受け入れなければどうしようもない。わかる人にわかれば良いと割り切るしかない

陰謀系カルト宗教, 自己肯定感, 自己責任

 

 

 

この画像はFacebookより拾いました。

前回昨日に全能神教会についての記事を少々書きました。
このカルト宗教は中国最大のカルト宗教であると認定されている位、悪質な団体です。

下のようなサイトもありますのでご参照ください。

【全能神教会】毒性が強い・・・9割の家族が助けを求めている。

どう見てもカルト宗教で間違いないですね。
それから、これは別の新興宗教団体の強引な勧誘を表現した動画です。

強引な勧誘で警察沙汰に…事件になった宗教団体を漫画にした。

この動画を見て私は、若かりし20代の頃にアルバイトをしていた職場の同僚(女性)が顕正会の会員である事を知らずに、お茶に誘われてしつこい勧誘を受け、しんどい思いをした事を思い出しました。

最初は穏やかに世間話のような他愛のない会話をしていたのですが、徐々に顕正会の話になり非常に熱心な口調になっていきました。

私がいくらやんわりとかわそうとも、教義内容らしきもの一方的に熱く語るのです。
顕正会がいかに正しいのかをひたすら話し続けるのです。

私はほとんど相手の話を聞くしかない状況で、しばらくは大人しく聞いてきましたが、どう考えても違うと思った事に対して少し反論すると、感情的になって私の言葉を否定してきました。

さすがに私も反発心を抱き、一瞬、どぎつい言葉で叩きのめそうかとも思いましたが、相手は女性ですし、部署は違いましたが職場の同僚でしたし、場所は喫茶店だったので声を荒げるのもどうかと思いしばらく我慢しました。

できるだけ波風を立てないように最後まで聞いてから、キッパリと断るとようやく引き下がってくれました。

今思えば、その女性は基本的に悪い人ではないのですが、若気の至りも含め、カルト宗教を妄信しているが故にそのような言動をとったのだと思います。

そして、これは周知の事実となっているとは思いますが、顕正会もカルト宗教として認知されています。

下のサイト記事をご参照ください

顕正会の正しい理解のためのサイト

それから、ツィッター上では情報拡散している人がたくさんいます。

以前に、私がツィートした内容にコメントを入れてリツイートしている人がいたので、その人と少しやり取りをしました。

下のツィートをご確認ください。

それを読んで何となく別の新興宗教の信仰者だろうなと思い、どう考えても意見は合わないだろうなと感じたので、穏やかに冷静に対応しました。

すると、相手も感情的になることなく穏やかに冷静に返信をしてきました。

おそらく相手も私と同様に、まともに議論しても不毛だと認識していたと思います。

 

それから、私が全肯定しているRAPTブログを批判しているツィートを見つけました。

生長の家の関係者である「日野智貴」氏が書いた記事を下に、コメント入りのツィートをしていたので、私はやんわりと否定しながらも、カルト認定は日野智貴氏の意図的な企てである事を示しました。

どう考えても、ラプトブログに対して明らかな偏見を持っているなと感じたので、感情的に反論しても相手に反発されるだけだと考え、冷静に対応したのです。

すると、相手も私に対して感情的に反論してくる事はありませんでした。

そのように相手の意見を、正面からいきなり否定せずに一旦は受け止める事で、こちらの意見も冷静に受け止めてくれますので、その結果、偏見が和らぐ事も実際にあるのです。

この人は海外在住の日本人なので、日本在住の日本人とは視点や考え方がだいぶ違う部分があります。

おそらく、海外で生活しているからこそ、私の意図をしっかりと読み取ったのだと思います。

その人は普段、場合によってはもの凄く優れた情報を発信をしている傍ら、どう考えても違うなという情報も同じように発信していたりします。

だからといってその人の人格そのものを否定するのもどうかと思いますので、正しくて優れた情報だけを使わせてもらい、違うと思う情報はスルーしています。

私に限らず情報の取捨選択については、基本的にツィッター民のほとんどの人がそのような感じではないでしょうか。

このツィートの内容についても、この人はRAPTブログとは違う情報が正しいという前提の下で、RAPTブログをカルトだと誤解しているだけであり、決して悪い人ではないと思います。

その人なりに、この情報が正しいに違いないと確信した上で、そのように考えているのならば、これ以上何を言っても無理ですし不毛な議論になるだけです。

そしてこうなってしまうのは、これまで各国の上級国民どもが、気が遠くなる位の長い年月をかけてたくさんのデマ情報を流してきた為に、多くの一般国民が混乱して、何が正しい情報なのかを判別できないという状況に陥っているからではないかと考えています。

それらのたくさんのデマ情報があるが故に、人によってはRAPTブログの情報が極端に見えるのも仕方がない部分もあり、それでカルトだと考えてしまうのだと思います。

それらの事情を認識した上で、RAPTブログの信仰者或いは支持者の人は

「ラプトブログの有料記事で伝えている内容は、決してカルト宗教などではなく正統なキリスト教教義なのですよ」と穏やかに堂々と主張すれば良いと私は思います。

さらに、日本人或いは日本で教育を受けた人の多くが、他の国の人たちとは異なり、自分と違う意見を持つ人と議論をする習慣があまりありません。

それは「出る杭は打たれる」という強い同調圧力が漂う日本社会で生まれ育ち、「常に周りの意見に合わせる」という生活をしてきたので、大抵は議論にすらならないのだと思います。

ですから、そのような背景もあって、日本人は他国の人と比較すると、自己肯定感がどうしても低くなってしまうのです。

ですので、自分と違う意見を相手から主張されたら、自分の人格が否定されたと思い込んで拒否反応を示したり、感情的になって反論する人が結構多いのです。

相手は単純に「私の意見はこうです。あなたとは違います。」と主張しているだけなのに、それに対して冷静に対応するのが苦手なようなのです。

もう少しわかりやすいように、欧米人を例に挙げます。

欧米では相手の意見が自分とは違っていたとしても、相手はそう考えているんだなと相手の考えを一旦受け止めます。

でも、私の意見はあなたとは違います。私はこう考えているんですよ。とハッキリと主張します。

そして

なるほど。お互いの意見が違うんですね。仕方がないですね。それではどうしましょうか。

という感じで、議論の段階で感情的になる事はあまりなく、その後は、どう折り合いを付けていくかを理論的冷静に話し合って決めるのです。

多くのツィッター民は基本的に、それぞれが自分の持っている知識や情報が正しいという事を前提に熱心に情報発信をしています。

ですから、無理にこちらの意見を強調しても相手は反発するだけで、感情的なやり取りになるのは目に見えてます。

考えが合わないものは合わないのですから、そんな事に時間を費やすのは時間の無駄ですし、自分の発信する情報を受け入れてくれる人に向けて発信した方が確実です。

人間が生きていく上では、どのような情報を受け入れ、どうように考え、どのように行動するかで人生は大きく変わります。

ただ、人間には自由意志というものがありますので、一人一人が何を考えてどう生きるかは自由です。

人に言われて決めたのではなく、自分の頭でしっかりと考えた上でそれを選んだのなら、その選択による結果の人生を送る事になります。

それこそが自己責任というものです。
それで良いと割り切るしかないと思います。