真理から出た愛でないと正しく愛せない
教育はとても大事です。
最近、RAPTブログの有料記事の朝会の音声では、真理についての御言葉(神様の言葉)がたくさん出ています。
その中でふと気になったのが下記の記事になります。
2023年4月11日(火)
自分の中から非真理を排除し、その上で真理を蓄えていく人を、神様はご自身の考えと心情に合わせる人だと認め、そのような人だけを義人と見なし、その人と共に御心を成していかれる。(愛から真理が出たのではなく、真理から愛が出たのだ。だから、真理を得てこそ愛も受け、祝福された生を生きられる。)
※2分55秒のところで「神様が愛のかたまりです」と話していますが、正しくは「神様が真理のかたまりです」となります。訂正してお詫びいたします。
その中で私が特に気になったのが
真理から出た愛が本当の愛である
男女問わず、正しく人を愛するには真理を知らないといけない
男も女もまずは真理のかたまりにならないといけない
真理のかたまりにならないと愛になれない
真理から出た愛でないと正しく愛せない
という内容の言葉です。
そこで、私はこう考えました。
常識のない、或いは常識が足りない人たちがこの世に一定数存在するのは
●毒親の要素が強い
●八方美人で思いやりが足りない
●若すぎて知識や知恵が足りず、社会経験も少ない
等、成熟度の低い親や養育者たちが、子どもを正しく愛せず、ペットのように育てたり育児放棄とかの理由でそうなってしまうケースが多いのではないか。と。
それ以外にも、様々な事情で児童養護施設で育ち、一般家庭のような躾を十分に受けられなかったのが原因で、常識が思うように身に付かないケースもあると思います。
私の短大時代、保育士の資格を取得する為に、とある児童養護施設で1週間の泊まり込みの実習があったのですが、そこでは乳児から高校生までの様々な年齢の子どもたちが共同生活をしていました。
施設によって違いはあるとは思いますので一概には言えませんが
その施設では、掃除や洗濯、食事の支度、乳幼児の世話は施設の職員がしており、調理は調理室で行われていました。
その関係で、入所している子どもたちは実際に調理をしている様子を見る機会がない上に、職員は身の回りの世話をするのがメインだったので、一般家庭のように子どもたちにしっかりと向き合うには難しい状況にありました。
そのような環境だと、常識を身に付けるのは難しくなるのではないでしょうか。
それから、施設育ちでなくとも、親がきちんと躾をできないと子どもは常識が足りない大人になっていく。ということは割とあるのではないかと思います。
私自身も、毒親の要素が強い母親と娘にかなり甘い父親に溺愛されて育ちましたので、若い頃は常識が足りずに恥をかくことが多かったです。
そういう意味ではかなり苦労しましたが、幸い周囲の人たちに恵まれたのもあって、今はだいぶマシなレベルにはなったと思います。←ホントか?
そこで、下記の漫画動画を視聴して、こんなふうに教育されていたらもう少し楽に生きられたかもしれないなと思いました。
参考にご視聴ください。
【漫画】厳しい義母に耐えかね家を出た私「さようなら!」義母「フン!会わなくて済むと思うと清々するw」→だがこれが、本当に最後の別れに
施設で生まれ育った義母は、自分と同じ境遇のお嫁さんをかつての自分と重ね、社会に出てから随分と恥をかいたという経験から
お嫁さんの気持ちがわかるからこそ、自分のような経験をしてほしくない
自分の経験を全部伝えてあげたい
自分がしてもらえなかったことを、お嫁さんにしてあげたい
どこに行っても、何が起きても不安にならずにすむように知識を授けてあげたい
良いお母さんになってほしい
と考え、余命宣告を受けている状況で育ての親として、残りの時間でお嫁さんを教育する決意をし、掃除や料理に加え、食事のマナーや身なり、ご近所付き合いを学校の先生のように厳しく指導しました。
お嫁さんは、約1年後には恥ずかしくない立ち居振る舞いができるようになり、義母の教えが孫にも引き継がれた結果、孫は嫁ぎ先の家から「今時珍しい品のある女性ですね」と言ってもらえるほど、どこに出しても恥ずかしくない大人の女性に成長しています。
このように若いうちからきっちりと躾けをしてもらうと、しなくてもいい苦労も少なくなりますし、子どもができて人の親になって以降も大抵のことには困らないと思います。
事情もあり、余裕がなく誤解を招いてしまっている部分はありますが、自分がどう思われるかではなく、相手のことを真剣に考え、真心で教育してくれる義母の無償の愛ですね。
これは家庭内における、邪な考えのない本当の愛と言えるのではないでしょうか。
男女問わず、正しく人を愛するには真理を知らないといけない
真理から出た愛でないと正しく愛せない
という御言葉の通り、真理から出た正しい知識と知恵があるからこそ、人を正しく愛せるのだと思います。