日本社会の闇の深さと法治国家の限界、犯罪被害者の心理から何気ない日常生活の尊さを再認識する
この画像はコチラより拝借しています。
先月の半ば頃に池袋で飯塚幸三被告が轢き殺した、被害者の遺族の松永さんのツィートを見て、え?何でそんなところで事故を起こすの?と思いました。下記のツィートになりますのでご参照ください。
池袋暴走事故 遺族の松永です。
高齢ドライバー事故が発生しました。https://t.co/yfquiLo0p6
ご家族を思うと胸が痛いです。ご冥福を心よりお祈りいたします。
ご家族に近しい方、大阪には被害者犯罪被害者支援を専門とした
大阪アドボカシーセンターhttps://t.co/Y1weGq2PUg があります【つづく】 https://t.co/Ueyr5lZylM— 池袋暴走事故遺族 松永拓也 (@ma_nariko) October 14, 2020
ニュースサイトがリンク切れとなっていますが、松永さんが書かれているのは下記の事故です。
北村邦啓(くにひろ)に前科ありと確定か!「交通違反の常習犯」大阪市城東区
高齢の加害者が「ぼうっとしていた」という事で、まだ12歳の尊い命が失われたという悲しい事故です。
大阪市城東区には、以前に1年半程住んでいたので土地勘があるのですが、車要らないよねという位便利な場所です。
池袋暴走事故の教訓は全く生かされていないどころか、他人事だと考えている老害も普通に生息するのだなと改めて感じました。
そして、松永さんを含む被害者の方々を地獄のどん底に突き落とした、上級国民の飯塚幸三被告も前科があるという説が出回っています。
飯塚幸三に同じような前科があることが判明。裁判で検察がなぜこれをはっきりと言わなかったのか?
その内容がよくわからないので何とも言えませんが、少なくとも車を運転する事に伴う責任というものを認識していない老害が、未来ある若者を無残にも殺しているという現状にやるせなさを感じます。
ここまでくると、老害を通り越して人格障害としか思えません。
そして、トヨタのプリウスを含むハイブリッド車には国内外で賛否両論ありますが、冷静にプリウスの事故率について分析をしているサイトがありますのでご参照ください。
踏み間違い事故はなぜプリウスが多い?年齢別の件数と傾向!
より、まとめますと
プリウスの事故率が高いのは
・販売数が多い
・高齢者向けとしていた
・少しややこしい操作が事故を引き起こす原因との説がある
踏み間違い事故の年齢層別割合と傾向としては
・運転習熟度の低い29歳以下の層
・加齢による判断能力や体力の低下がみられる70歳以上の高齢者層
がダントツで多いそうです。
高齢者は、加齢による判断能力や体力の低下に加え、長年蓄積された経験やプライドにより、自分の能力を過大評価しがちになる事が主な要因である事を考えると、必ずしもプリウスに限った事ではないと思います。
北村邦啓被告が乗っていた車種がわからないので何とも言えない部分もありますが、「ぼうっとしていた」と発言している事から、少なくとも高齢ドライバーに多い判断能力の低下である事は間違いないでしょう。
非常に残念ながら、どちらの事故も危険運転致死傷罪ではなく、過失致死傷罪が適用される可能性が高いと個人的には思いますが、日本の裁判は過去の判例を重視して量刑を決める傾向にあります。
それに関しては下記のサイト記事をご参照ください。
より、判例は量刑を決める際の1つの基準となっていますが、だからといって、日本は判例主義であると断言は出来ません。
あくまでも、判例主義の要素があるだけです。
それについては下記のウィペディアの記事をご参照ください。
より、一部抜粋します。
日本は制定法主義であり判例法主義ではないが、そもそも日本での判例という言葉の意味は簡潔に言えば「裁判・判決の前例・先例」であり法源ではない。
イギリス・アメリカなど判例法主義国における判例は「判例法の中で法源たる要素を構成する判例」である。
こういった中でも現実には判例は当事者以外にも無視できるものではなく、前例に従うという意味での判例主義はある。
抜粋ここまで。
日本の文化独特の曖昧さもあってわかりにくいですが、量刑を決める際に基準の一つとなり得るが、必ずしもそれに拘束されるわけではないので、イギリス・アメリカよりはある程度は融通が利くという感じでしょうか。
それを具体的に見ていく為に下記の事例を挙げます。
これは老害ではなく、若いドライバーによって20年以上前に起こった悲しい事故ですが、日本の判例主義重視の傾向に抗う良心的な裁判官の話です。
【裁判長の説諭】将来有望な中学生が、母親の前で飲酒運転の車にはねられる衝撃的な事故、裁判官が下した異例の判決(前編)
【裁判長の説諭】将来有望な中学生が、母親の前で飲酒運転の車にはねられる衝撃的な事故、裁判官が下した異例の判決(後編)
の後編の記事より一部抜粋します。
※読みやすいように重要箇所を下線、太字にしています。
取材記者たちが騒いだ判決文
判決当日、裁判官は、同業の法律家たちから批判されるのを覚悟で、大胆な主文を示した。
検察官が求刑していた懲役2年6か月を上回る、「懲役3年」の実刑を言い渡したのである。傍聴席の記者たちがどよめきの声を上げた。
「年間一万人もの命が交通事故で奪われながら、その被害者の命の重みは、法によって十分に保護されていない。まるで、駅頭で配られるポケットティッシュのごとく軽い」
「被害者の無念、命の尊さに比して、加害者は過保護ともいえる現状にあるといわなければならない」
「もはや、立法府による法改正を待っていられない状況にある」
判決文の読み上げは、約20分にも及んだ。被告人だけでなく、まるで社会全体に対する提言を発するかのような内容だった。
また、交通事故被害者の法的な扱いの軽さを「ポケットティッシュ」にたとえる独特の表現も、人々の印象に強く残るものとなった。
裁判官は後に、被害者の母から手紙を受け取った。
そこには「先生の判決で、生きる力をいただきました」と書き記されていたという。
今年、煽り運転について厳罰化されるなど、交通事故・事件をめぐっての処罰は年々強化されている。
しかし、その厳罰化傾向と、死亡事故の減少という現代社会の成果は、おびただしい数にのぼる交通事故犠牲者の失われた命の上で成り立っているという事実を、決して忘れてはならない。
抜粋ここまで。
ざっくりと説明しますと、以前に同じような事件事故の判例があれば、その内容はあまり重要視される事なく、ほぼ自動的に判例と同じような量刑になる事が大半です。
その理由は、忌まわしい事件や事故が多発している事により、裁判の数も多く、数をこなす為に機械的に業務をこなしている国家公務員の悪しき慣習がそうさせているのです。
ただ、その中においても、上記の例でみられるように、良心的な裁判官も存在しますし、世論を動かすような凶悪な事件事故が多発し、沢山の被害者やそのご遺族が人生をかけて闘ってこられたからこそ、少しずつ被害者が報われる方向に進みつつあります。
そして、これは事故ではなく事件ですが、あまりの凄惨な内容により求刑を上回る判決が出たケースです。ご参考に下記のニュース記事をご参照ください。
求刑を上回る判決の根拠は? 野田、心愛ちゃん虐待死事件判決の謎
この事件の判決に関しては賛否両論ありますが、子どもを守る立場にある母親が感情に溺れてしまい、物事を冷静に考えて判断できなかった結果、起こった悲しい事件であると思います。
それからこれは、あまりの凶悪さに多くの人たちが、少年法や死刑制度について深く考えるきっかけになった、とても有名な悲しい事件です。
下記のブログ記事をご参照ください。
守られた被害者の尊厳 光市母子惨殺 大月孝行(福田孝行)の死刑確定
この犯人は在日且つ創価学会員だそうです。それに関してはコチラをご参照ください。
余談ですが、この犯人と秋篠宮家の悠仁さんがそっくりだと思うのですがいかがでしょうか。
上記の画像はインターネット上で適当に拾いました。
左側が福田被告、右側が秋篠宮家の悠仁さんです。
似ているのは同じ朝鮮半島系の民族だからだとは思いますが、有名人はほぼ朝鮮半島系の人たちで構成されているので、そっくりさんだらけになるのでしょうし、キリがないですね。
話が逸れましたが、この事件も結果としては無期懲役の求刑を上回る死刑判決となりましたが、第一審判決時は無期懲役となりました。その際に、被害者遺族の本村さんは下記のように発言されています。
下記のブログ記事をご参照ください。
藤井誠二編著 『少年犯罪被害者遺族』 第4場
より一部抜粋します。
「司法に負けた」。「司法の手で死刑にできないならば、私が自分の手で殺します」
抜粋ここまで。
被害者遺族として当然の感情であり、日本が民主主義の法治国家として機能していない事、法治国家の無力さと限界がよくわかる言葉だと思います。
そして、死刑判決確定後の本村さんの更に深い言葉です。
下記のブログ記事をご参照ください。
光市母子殺害事件、最高裁の上告棄却(死刑)判決に思う
より一部抜粋します。
「死刑判決に勝者はなく、犯罪が起こった時点で、皆、敗者です。自分の人生を絶たれてしまうような被害者がいなくなることを切に願います」
抜粋ここまで。
本村さんの耐え難い程の苦しみと悲しさを持ち続ける心の葛藤の末に出た、非常に深い言葉だと思いました。
一応、再審請求中となっていますが、死刑が覆される例はほとんどないようです。
興味のある方は下記のニュース記事をご参照ください。
そして、10年もの長い期間、家族の為に必死に闘った後、再婚した本村さんを誹謗中傷するような人々もいたようですが、多分、加害者側の人たちなのではないかと思うのですが、それに関する統計データがあるわけではないので真相はわかりません。
下記のQ&Aサイトをご参照ください。
この質問に対して様々な回答がありますが、私はNo.5の回答を支持します。
そして、松永さんが所属し活動されている、関東交通犯罪遺族の会(あいの会)の代表の小沢樹里(おざわ じゅり)さんが、被害者遺族のみならず加害者遺族へのバッシングについての見解を書かれたブログ記事が下記になります。
異常なバッシングのスタート地点(画像有)~被害者遺族と加害者家族の苦しみ~
小沢さんは、法律のわかりにくさが様々な問題の要因でもある事を主張されています。
それについては私も同意見です。
そして、松永さんの11月4日の結婚記念日についてのツィートです。
池袋暴走事故 遺族の松永です。
11月4日は、結婚記念日です。この日は私にとって特別な日です。
彼女と出会えたこと。莉子を生んでくれたこと。かけがえのない時間を3人で過ごせたこと。生前も毎日伝えていましたが、「ありがとう」という感謝と、愛しているという気持ちを伝えたいです【以下つづく】 pic.twitter.com/7ReGNFWOM8— 池袋暴走事故遺族 松永拓也 (@ma_nariko) November 3, 2020
そして、松永さんのブログにあったリンクより、松永さんの【1周忌で公開したyoutube動画】です。
【池袋暴走事故 遺族】事故から1年 遺族としての想いをお話しします。
より、私が感銘を受けた言葉を書き起こします。
09:08頃~
●1年で変わったこと、変わらなかったことについて
変わったことは憎しみという感情についてです
今は「憎しみ」と「処罰感情」を分けて考えるようになりました
事故当初 加害者に対する憎しみが湧いてきました
しかし「憎しみに囚われた自分を真菜と莉子は望んでいるのだろうか」と否定してみては
「憎しみに囚われるのは遺族として当然の感情」とも考え2ヶ月近く悩みました
ふとした時に
「憎しみに囚われている時は加害者のことを考えている時間だ」
と思うようになりました
それよりも
「妻と娘への愛と感謝の気持ちで心を満たしてたい」
という風に考えるようになりました
私の場合は その方が私らしくいられる事に気が付きました
妻子を奪われ 未来を奪われた
だからといって
自分らしさまで奪われる必要はないと思うようになりました
結果 憎しみと処罰感情を分けて考えるようになりました
心は愛と感謝で満たし 頭の中は処罰感情として厳罰を求める
そう考えるようになりました
事故当初からずっと変わらないこと
それは 誰にもこのような思いはさせたくない
という気持ちです
●実名を公開することについて
今回 実名公開をしたのは1年という猶予があったからです
その猶予の間に 心の準備 闘う準備
交通事故防止への覚悟
沢山の支援者が出来たからだと思っています
特に 交通事故防止の活動をしたい
という気持ちが強くなったことが一番の要因です
今回 実名報道をし 世の人たちの命が守られる交通社会にする
という決意を新たに表明したいと思います
実名報道には賛否両論あると思います
犯罪被害のご遺族が実名を公表しない という選択があっても
私は間違いだと思いません
自分や家族の生活を守るためにそれが必要な人もいます
実名を出しても出さなくてもいいし
実名を出すのに時間がかかってもいいと思います
そのことを 皆様に知っていただきたいと思います
各報道機関は これまで私の
「実名報道をしたくない」という意思を尊重し協力をしてくださいました
心から感謝しています
話は少し逸れますが
メディアスクラムということが時折 社会問題となります
私も最初は報道機関に対して恐怖心や不安がありました
実際 メディアスクラムは遺族にとって負担となることは間違いありません
しかし時を追うごとに
被害者にとってメディアは決して攻撃するものではないということが分かり
自分の思いを世に伝えてくれる支援者にもなり得る
ということが分かりました
つまり 実名報道するかどうかも 報道機関とどう付き合うかも
被害者遺族が選べるのだ ということを
皆様に知っていただきたいと思います
13:06頃~
真菜と莉子は確実に私と共に生きていました
しかし今はもうこの世にいません
これが交通事故の現実です
どうか 身近な人を愛するように
車の外に向けても 愛のある 優しい運転をお願い致します
私は二人の命を無駄にしないため
具体的行動を 人生を通して行っていきます
最後にはなりますが 事故現場に献花してくださった皆様や
署名と一緒に皆様が送ってくださったお手紙に何度も救われました
本当にありがとうございました
書き起こしここまで。
そして、松永さん一家が送っておられたかけがえのない日常生活と、松永さんの切実な想いが書かれてあります。
下記のサイト記事をご参照ください。
それから、真菜さんと莉子さんへの深い愛と松永さんの決意が下記の動画になります。
下記のリンクよりご視聴ください。
より一部、書き起こします。
真菜さんと結婚して自分は変わったと話されています。
12:50頃~
2人が僕を 人の事をここまで愛せる人間なんだって気付かせてくれて、で、僕、2人が生前は 2人のことを本当に愛してましたから
そういう人間に2人がしてくれて、他人のことを思うようにしてくれたのは多分2人だと思います。
昔はそんな人間じゃなかったんで。
-途中省略ー
関東交通犯罪遺族の会 通称「あいの会」
の方からのお手紙で「自分は一人じゃないんんだって」前を向いて行こうと思えるようになったそうです。
それから、最後の松永さんの切実な想いです。
2人の大切な命によって救われる命があるんだったら、2人にとってもせめてもの救いかなって思うし、この辛さを苦しさを1人でも体験しないで済むんだったら、僕は動きたいんですよ。
知ってしまったからこそ、この苦しさを。もう誰にも体験をして欲しくないんでほんとに。
書き起こしここまで。
真菜さんが、深い愛で松永さんと莉子ちゃんを愛し抜いたことで、松永さんは人を深く愛する事ができるようになったのですね。
松永さんは、真菜さんから深い愛を受ける事で愛の尊さを学び、事故によって大事な家族を失い、そして、耐え難い程の苦しく悲しい思いをした事により、何気ない日常生活の尊さを強く体感されています。
そして、このような苦しい思いを誰にもして欲しくないという思いを強く抱くようになられました。
現代の日本社会の多くの夫婦が、自分中心となり、自分の思うように動いてくれない相手をお互いに批判し合うような、殺伐とした関係で生活を営むようになってしまいました。
でも、その日本社会においても松永さん一家は、聖書に書かれてあるような愛、お互いを自分と同じように愛し、尊重し合い、協力し合いながら穏やかに過ごすという、かけがえのない人生を送られていたようです。
それから、この悲しい事故により、世の中の多くの人たちが松永さんや親族の方々を、手紙やYouTube、ツィッター、ブログ等のコメント欄や、署名活動時等に直接励ましたりと応援するようになりました。
それと同時に、上級国民の存在や、歪んだ法治国家の限界等による不条理な日本社会の闇も露わになりました。
松永さんのこれまでの強い意志と行動により、愛というのは、男女や家族間の愛のみならず
この日本社会を構成する人たちがみんなで支え合う愛もあるのだという事、いつもは当たり前のようになり、普段は特に意識していなかった家族との何気ない日常生活の尊さを、多くの人たちが心から強く再認識するようになったのではないでしょうか。
私自身も、配偶者との何気ない日常生活を丁寧に大切に生きようと改めて思いました。
それを教えて下さった、松永さんと真菜さんと莉子ちゃんに心から感謝しています。
そして、それらの人間の愛以外にも聖書の神様の愛もあるのだという事を認識して欲しいと思います。
松永さんを含め、これまで多くの犯罪被害者の体験と亡くなられた方々の尊い命や、遺族の方々の人生をかけた必死の闘いにより、どうしようもない程に劣化してしまった日本社会が、本来あるべき正しい方向に変わりつつあります。
それらの方々の想いを無駄にしないように、この世の中をみんなでお互いに尊重し合い、協力し合って仲良く穏やかに生きられるようなものに変えていく為に、みんなで心を一つにして一致団結し、行動する事が重要だと考えています。
以前の私は、悪人が暴利を貪り、不当に利得を得ているような不条理な世の中に、深く失望していました。
どんなに努力しても思うようにいかず、将来に希望を見いだせない忌まわしい世の中で生きていて、一体何の意味があるのだろうとずっと思っていました。
でも、RAPTブログの一般記事により世の中の仕組みがわかり、頭のオカシイ上級国民どもが庶民を洗脳して騙し搾取しているから、庶民が地獄のような苦しみを味わっているのだという事を具体的に学びました。
そのおかげで、しょうもない情報や詐欺、詐欺まがいの商品やサービスに一切、引っ掛かる事がなくなりました。
ただ、世の中の仕組みを知っただけでは、この世の中を変える事は無理だとも思いました。
私は職業柄、法律の知識は武器となりますので、理論的に思考しながらその都度必要となる法律の条文の勉強をしています。
でも、その法律の条文を実際に仕事や実際の生活において活用するには、筋道を立てて考えてまとめる応用力が必要になりますが、それには論理的な思考が必要となります。
※理論的思考と論理的思考の違いについては、コチラをご参照ください。
その論理的思考を私は、RAPTブログの有料記事を基に、聖書を深く読み込む事で身に付ける事ができるようになってきました。
そして、その論理的思考により、本質を見極める事ができるようになりますので、正しい考えの下に行動していく事で、失敗する確率が減り、騙されたりする事もなくなりますので、実際に生活が良い方向へ確実に変わっていきます。
この世の一人でも多くの人たちが、それを実践して生活が良くなっていく事で、世の中を真面目に真っ直ぐに生きる人こそが報われ、本当の意味で幸せに生きられるような、正しい方向へ変えて行く為の武器ともなり得ると思います。
以前の私は、自分が今感じている、訳の分からない心配や悩みは不安は一体どこから来るのだろうと、漠然とした暗い思いをずっと抱いていましたが、いくら考えても答えに辿り着けませんでした。
その苦しさを、甘いものやお酒で紛らわしたり、時にはひたすら寝るなどして現実逃避をするような、空しい生活を送っていました。
でも、RAPTブログの有料記事に基いて聖書を深く読み込むようになってからは、世の中の真理を悟れるようになりました。
そのおかげで、物事を深く考えて追及できるようになり、結果、これまでいくら考えてもわからなかった事が次から次へと面白い程に繋がり、世の中で起こっているほとんどの物事の原因と結果もわかるようになりました。
それによって、心が吹っ切れて、どんなに不条理な目に遭って理不尽な思いや辛い思い、悲しい思いをする事があっても、それをずっと引きずるような事はなくなりました。
前回の記事で書きましたように、時には金融機関から脅しの電話が来たり、相続関係人という宛名でおどろおどろしい物騒な督促状がちょうど本日届いたりしました。
金融機関の担当者のあまりの必死な演出に、うわー!ドラマとか小説みたい!これ、すごいねー!と笑い飛ばしネタとして配偶者に見せました笑
さらに、身内がいきなり消息不明になる等のケースで計画していた事が変更を余儀なくされたりと、一瞬気が遠くなったり、多少はブルーになる事もありますが、それは一時的なものでしかありません。
平素より筋の通った考え方ができるようになったので、直ぐに気持ちを切り替える事ができるようになりました。
更に、これまで予想外の出来事で行き詰る事があっても、お祈りすればその時に必要な霊感が頭に浮かび、それを元に調べていく事により問題を解決する方法がわかり、何度も事なきを得る事ができました。
その分、神様の存在を感じられるようになり、これで大丈夫だ。何とかなる。という心の平安を得られるようにもなりました。
心の平安を得られた事により、将来への希望を見いだせるようになり、悩みや心配や不安に苛まれる事もなく、穏やかに暮らせています。
もし、今、漠然とした不安や心配で押し潰されそうになっていたり、将来に対する希望を持てずに生きる意味を見出せずにいる方は、RAPTブログの有料記事を基に聖書を深く読み込み、世の中の真理を悟る事で心の救いを得て欲しいと思います。
日本は長年の洗脳教育による弊害で無神論的な考え方をする人が多いとは思いますが、大抵の日本人が神社仏閣に行った事があるのではないかと思います。
それは無意識の内に、漠然と神様の存在を感じているからではないかと思いますし、私はなぜか幼い頃からそのような思いを抱いてきました。
聖書には唯一の本当の神様の言葉が沢山詰まっており、上級国民によって植え付けられた洗脳思想を取り除くには、非常に有効で強力なツールとなっています。
騙されたと思って(騙す気は全くありませんが笑)聖書をじっくりと読み込んでみる事をお勧めします。
そして、下記のブログ記事を参考に、購読するかどうかをご検討ください。
有料記事をひと月単位で、良心な価格にて購入する事が可能です。
聖書の正しい読み方を分かりやすく解説されています。
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