刷り込みによる洗脳と教育の違いを考察して気付いたこと
きれいなお姉さんにっこり画像です。
私は以前は、北海道に1年半程、大阪にはトータルで10年ちょっと住んでいましたが、関東に来るまでは様々な事情で1年~1年半のサイクルで引っ越しをしていました。
ある日、私の配偶者の転職を理由に、大阪から関東に移住し、今月で5年程になりました。
最初は東京都某区に住んでいましたが、住んでいた物件がある意味ヤバイんじゃね?ということに気付いたので1年位で引っ越し、事務所は東京ですが、住まいは関東の某県となっています。
今住んでいる賃貸マンションに引っ越してからようやく、今年の8月で4年目を迎える予定となりました。
不思議な流れで頻繁な引っ越し人生から解放された上に自営業として独立したので、自分のペースで仕事や生活ができるようになり、心に余裕ができて毎日のように替え歌を歌うようになりました。
私の父親は、私が物心つく頃から、適当な歌を替え歌にして歌うような陽気な性格だったので、私も子どもの頃からそれを真似して歌うようになりました。
それに加えて私は数年前までは保育の仕事をしていたこともあり、その時の習慣もあって大人になった今でも、楽しく歌いながら家事をするのが日常になっています。
その歌の中で、私の配偶者の肥満体型をネタに、私が毎日、ノリノリで面白おかしく満面の笑みで歌い続けていたところ、彼はその歌を覚えて自分でも歌うようになっていました。
パンツの上に脂肪がでぇぇぇーん!無駄のかたまり、その脂肪。とにかく無駄なその脂肪。やっぱり無駄なその脂肪。無駄でしかないその脂肪♪
と。
ある日彼は、寝ている時にその歌詞にあった言葉を寝言で無駄なモノと、つぶやいていたのです。
なんと私は無意識のうちに、彼への刷り込みに成功していたようです。
ほう、これは面白いぞ。と思い、次は私が満面の笑みで小躍りしながら歌うようにすると、彼も小躍りしながら歌うようになりました。
さらに私は知的好奇心で、それならば、これはどうだろう?と彼にユキマサくんダンスを見せながら、これも満面の笑みで踊って見せました。
ユキマサくんダンスは下記の動画になります。
ゆるキャラグランプリ2016エントリー「ユキマサくん」のダンスです。
彼はユキマサくんダンスを何度か繰り返し見た後、それを真似して満面の笑みで軽く踊りました。
それ以降、私が冗談で彼に「はいっ、そこで、ユキマサくんダァーンス!」と満面の笑みで言うと、彼はニコニコしながらそれっぽいのを満面の笑みで踊ってくれるようになりました。
それから毎日、ご飯が出来上がり、さあ食べるぞ!という時にも、私は彼を歌で呼んでいます。
その習慣にすっかり馴染んだらしく、おやつ大好きな彼は、小腹が空いた時やおやつの時間になると、自分で作ったメロディーに合わせて
おやつ星人♪おやつ星人♪じゃかじゃかじゃかじゃかじゃーん!
と小躍りで歌いながら満面の笑みで、私のところへ来るようになりました。
元々彼は、人前で歌を歌うなんてとんでもない。という感じの硬派を気取りたいの?といった感じの面白みのない少々面倒な亭主関白タイプの人間だったのですが
ふと気が付くと、素直な保育園児のように、私が教えたことをそのままやってくれるような、陽気な人間になっていたのです。
私が保育園で保育士の仕事をしていた頃の、子どもたちに歌やお遊戯を教える時の手法が、中高年の大人である彼にも通用するとは思っていなかったので、刷り込みという手法はかなり強烈だなーと改めて感じました。
これはもしかすると、お子ちゃまなのに亭主関白気取りの面倒くさい旦那様に頭を悩ませている、世の奥さま方が取り入れると、明るく楽しい家庭が築けるくらいのパワーがあるかもしれません。
これは洗脳ではなく、愛のある教育(しつけ?)なので区別してくださいね。
そういえば確か、刷り込みって洗脳でも使われるよなぁーと考えながらインターネットで検索すると、下記のサイト記事が出てきました。
メディアによる洗脳と刷り込みと自動思考~何が言いたいかって言うと新型コロナに対する恐怖心はただの刷り込みによるものだと言うこと~
ざっくりと内容を簡単に説明すると
コロナは茶番でしかないのに、メディアがしつこく恐怖心を煽るので、コロナは危険だと刷り込まれている。
といった感じです。
そこで、教育と洗脳のワードでインターネット検索していくと、下記のサイト記事を見つけました。
わかりやすいのでご参照ください。
ざっくりと内容を要約すると
教育とは、教えて育てることの表現になり、その対象になる人間の人格の形成、または知識、技術の取得を目的として行われるもので、学校以外にも親の子どもに対するしつけの類も該当する。
洗脳とは、強制的にその人の考え方を変えさせてしまうことで、対象となる相手の視野を狭め、他の選択肢が提供されないことによって、行われている。
となります。
教育には愛を感じますが、洗脳には悪意しか感じませんね。
コロナ茶番には、気付く人もいれば気付かない人もいるわけなのですが、気付かない人は思考が停止しているから気付かないのです。
では、どうして思考が停止しているのでしょうか。
下記の画像はツィッター上で拾ったものですが、わかりやすいのでご参照ください。
考えさせない教育システムと言えば、日本の義務教育が有名ですね。
これらの内容は、日本人あるいは日本で義務教育を受けた人ならば、思い当たることばかりかと思いますが、これはまさしく洗脳の手法そのものです。先程の説明を再度引用しますと
洗脳とは、強制的にその人の考え方を変えさせてしまうことで、対象となる相手の視野を狭め、他の選択肢が提供されないことによって、行われている。
そして、残念ながら、保育園から既にその手法が使われていることが少なくありません。
といいますのは、保育園は集団保育であり、近年は特に、元から不十分と言われていた保育士の配置基準が緩和されたことも相まって、人手が十分ではないので個別対応するには厳しい状況があります。
保育業務を回すには、個別対応よりも安全管理を優先にせざるを得ない状況から、効率化を図る為、子どもの視野を狭め、少ない選択肢を提供する。という方法をとる場合が多々あるのです。
時代の流れにより、現代社会では共働き世帯が一般的になっている関係で、それだけ多くの子どもたちが幼い頃から保育園に入るようになり、より洗脳されやすくなっています。
ただ、日本の岸田首相の政策が明らかにオカシイのと、劇薬で有害でしかないコロナワクチンによる薬害で苦しむ人たちの情報が明るみになっている昨今、多くの日本人がその異常さに気付くようになってきました。
私も日本で生まれ育って日本の義務教育を受け、洗脳されていた人間の一人ですが、世の中の不条理に苦しむ中でRAPTブログに出会い、世の中のカラクリに気付いたことで、真実を知りたい、この世の中をどうにかしたい。と思うようになったのです。
でも、最初は洗脳状態でわからないことが多くて、答えをなかなか出せずに苦しんでいましたが、真理をひたすら求めるようになった時、RAPTブログの有料記事にて聖書の存在を知りました。
RAPTブログの有料記事を手引きに聖書を読み込むようになってから徐々に、無駄な情報や考え方に気付くようになり、少しずつ自分で正しい考え方に軌道修正できるようになりました。
聖書で真理を学んでいくことにより視野が広くなり、自分がいかに狭い世界で生きていたのかに気付くことができたのです。
正しい情報を得て視野が広がったことで本質を見抜けるようになり、洗脳から抜け出すことができたので、これまで考えてもわからなかったことがわかるようになりました。
さらに、これまで気づかなかった自分の欠点や弱点に気付けますので、それを少しずつ無くそうともがいていくうちに、自分が好きになっていき、無駄に悩んだり、心配や不安に苛まれることもなくなり、考え方もかなり明るくなりました。
そうなると余裕が出てきますので、普段の生活を楽しく過ごしていくうちに、一緒に住んでいる私の配偶者や田舎の家族にも、良い意味で影響を与えることができるようになっています。
神様が天地万物やRAPTブログ等を通して、これまで導いてくださったからこそ、今の自分がいるんだと実感しています。
先日、ツィッター上でこのようなものを見つけました。
日本人は宗教アレルギーの人が多く、キリスト教への偏見はまだまだありますが、このように、漠然と神様の存在を感じている人は少なくないんじゃないかと思います。
そのような人にこそ、神様の愛の言葉がたくさん詰まっている聖書をじっくりと読みこみ、本物の真理と本物の愛を知って、悩みや心配や不安から解放されて欲しいなと願っています。
下記のブログ記事を参考に、聖書の正しい読み方を分かりやすく解説しているRAPTブログの有料記事を購読するかどうかをじっくりとご検討ください。
最後に、この世の一人でも多くの人が、一刻も早くサタンやイルミナティ(特に中国共産党)からの洗脳から完全に目覚め、心身共に幸せに満ち足りた人生を生きられますことを切に祈ります。