行政書士になろうと思った一部の出来事とその理由
日本行政書士連合会 公式キャラクター ユキマサくん
私は過去に思わず泣きたくなるような出来事や理不尽なトラブルに遭う事がかなり多く、法律の知識の重要性を強く感じることが度々ありました。
そのほんの一部を書きますね。
東京に観光旅行に行った際に深夜にパトカーで世田谷区の警察署へ連れていかれた話
22歳のうら若き乙女だった頃、旅行好きだった私は東京に住んでいた友達を頼りに3、4日の予定で東京観光に行きました。
行き違いが重なり、ちょっとした事件が発生しました。
深夜0時過ぎにパトカーで東京都世田谷区の警察署に連れていかれ、そこで私と友達と刑事さんと5人位で
「訴訟」「裁判」「前科」「慰謝料」「刑務所」等の物騒なキーワードがたくさん出るような内容の話し合いを5時間程しました。
友達の家までパトカーで送ってもらい、朝の5時半過ぎに友達の家に着きました。
原因は友人とその彼氏の痴話喧嘩のもつれでした。
私もその痴話喧嘩に少し加担していたので、どうなることかと不安でいっぱいでしたが、弁護士を通しての話し合いで和解し、事なきを得ました。
当時はものすごく怖かったです。
ある北京人の華麗なる経歴?偽装結婚、不法滞在、不法就労の次は不法入国?
29歳から31歳の1年半に中国(北京)で語学留学をしていました。
最初の1年間は大学の寮に住んでいましたが、北京で出会った北京人女性と意気投合し、残りの半年間は彼女と一緒に住むことになりました。
最初は仲良く楽しく暮らしていたのですが、時間が経つにつれ北京人女性(以下Kさんとします)の態度が豹変してきました。
単に最初は猫をかぶっていたようで、Kさんの素が出てきたというだけの話なのですが、ものすごくわがままかつ高圧的な態度に出ることが徐々に増えてきました。
Kさんは常に私より自分が上の立場に居ることを求めてきました。
日本や日本人に対してかなりの劣等感を抱いていました。
中国人独特の「面子」も多少あったのかもしれません。
Kさんは日本に留学経験があり、ある程度日本語を話せるのですが、日本に7年滞在していたという割には日本語の文法がかなりおかしく、時々何を言っているのかわからない事も普通にありました。
疑問に思ってよくよく話を聞くと、2年間は短大に通う為の留学ビザで滞在し
残りの5年は偽装結婚と不法滞在でした。
当時、Kさんは日本語がほとんどできない状態にもかかわらずコネで日本に来たので、短大にはほとんど通うことなく、生活の為にひたすらアルバイトをしていたそうです。
当然、卒業できるはずもなく、留学ビザが切れたら帰国するしかないのですが
両親から「日本に残って稼ぎ、国にお金を送りなさい」と言われていた為、
当時働いていた夜のお店のお客さんと偽装結婚しました。
でも、その相手がお店のママが懇意にしているお客さんだった為トラブルになり、すぐに偽装結婚を終了させ、さっさと他府県に引っ越しして不法滞在となったそうです。
Kさんの日本でのそれらの行為は多少は同情の余地はありますが、本人はそれに対して全く罪悪感を持っておらず、私に対して平気で
「パスポート位、簡単に偽造できる。偽造テレホンカードもよく使っていた。偽装結婚も中国に帰れば全然関係ない。日本の入国管理をくぐりぬけるのは簡単」
等とよく豪語していました。
そして当時、自分がいかに上手く切り抜けてきたかを、その時の心情も含めてこと細かく、自慢気に話すのです。
全く反省していませんでした。
半年間のKさんとの同居期間が終わると同時に私は、中国での進学も就職も全く検討することなく、迷わず帰国することに決めました。
その時、Kさんが私に
「日本にまた住みたいから、日本への入国手続きを手伝って欲しい」と言いました。
私が「正式な手続きを経て入国するんなら、できる限りの協力はするけど、どういう方法があるかな?」と聞くと
「普通に入国するのは無理だから、まずパスポート偽造して、最もらしい理由をつける必要がある。とりあえず招待ビザなら何とかなると思う」
と言いました。
その時点で私は、[もう、こいつとは今後一切関わりたくない]と思いました。
「悪いけど犯罪に加担する気は全くないから。二度と連絡してこないでね」
と縁を切りました。
そのまま喧嘩別れをした後は、Kさんの連絡先はすべて消去し、全く連絡を取っていません。
Kさんのおかげで私の中国人観はかなり歪みました。
でも、留学期間に何人かのものすごく善良な中国人にも出会いました。
なので、中国に関しては正直、複雑な心境を抱いています。
良い人も居ればそうでない人も居る。どこの国も共通です。
地元で就職した事のあるブラックな会計事務所での悲惨なパワハラ体験
帰国後、島に帰り、とある会計事務所に就職しました。
ハローワークからの紹介だったのですが、応募時に担当の職員の人が、
「ここはかなり、人の入れ替わりが激しい」と”ぼそっ”と言っていたのですが、私はそれを気にすることなくスルーしました。
働いてみて気づいたのですが、短くて半日、長くてもほとんどの人が一カ月も持たずに辞めていくという超ブラックな事務所でした。
辞める前の引継ぎに来ていた関係者から聞いた話によると、過去に一人だけ、8年間働いていた人も居たようですが、その人が辞めてからは全く人が定着せずに、頻繁に求人を出していたそうです。
その事務所では、些細なことで大声で怒鳴り散らしたり、モノを床に投げつけたりということが日常茶飯事でした。
穏やかな時があるかと思えばいきなり豹変して怒りだすの繰り返しでした。
理不尽なことで人格を否定する言葉を散々浴びせたり、ものすごい剣幕で怒鳴るのです。
私はとりあえず、三カ月は我慢しようと必死に耐えていましたが、精神的にかなり参ってしまい、ストレスで食事を徐々に受けつけられなくなりました。
水やお茶を飲んだだけでも、全て吐くようになっていました。
常に死にたいと考えるようになってました。鬱になりかけていたのだと思います。
耐えられなくなり、周りが止めるのを一切聞かず、退職する半月前に意思表示して辞めました。
私のすぐ後の後任者は一カ月弱で辞めたそうです。
ちなみに私は二ヵ月間いましたが、これでも結構長い方らしいです。
その後、その事務所は半年経った位に業績不振で消えました。
今思えば、パワハラで訴えて、慰謝料請求できるレベルだったかもしれません。
でも、当時の私はそんなことは知らなかったのです。
でも、とっとと辞めて本当に良かったです。
ネット業界に蔓延る情報商材詐欺に遭い、時間と多額のお金を浪費する
私は配偶者の仕事の都合で1年半の期間、北海道札幌市に住んでいたことがあります。
北海道は車がないと日常生活がかなり不便なので、車の購入を考えたこともあったのですが、配偶者が「出向」という形での勤務だった為、いつまで北海道で生活するのかの目途が立たなかったので、見送りました。
大阪から北海道に引っ越す直前まで私は訪問販売の仕事をしていたのですが、その仕事はかなりシビアでした。
かなり精神をやられてしまい、人と関わるのを苦痛に感じるようになっていた為、在宅で物販の自営業を始めました。
当時の私は情報弱者そのもので、どうやってビジネスをするかというマニュアル(情報商材)を誇大広告に騙されてネット上で買っては試してみるを繰り返し、
いろんな詐欺商材を買っては失敗し、気が付けば多額のお金と時間を浪費していました。
弁護士を利用すれば返って来るケースも多々あったのですが、当時の私にはその知識と勇気がなかった為、泣き寝入りをするしかありませんでした。
大阪地方裁判所からの物騒なお手紙により不法占有者となった話
諸般の事情で北海道から大阪に戻って6か月目、
いきなり、大阪地方裁判所から物騒なお手紙が来たのです。
その内容を平たくざっくりと説明すると
「あなたたちが賃貸で借りて住んでいる分譲マンションが大家さんのローン支払いの滞りの為、金融機関に差し押さえられ、競売にかけられる予定です。
競売が決まったら、あなたたちは不法占有者になります。入札されたら、半年の猶予をあげるので、引っ越し先等を検討しなさいね。」
といった内容でした。不動産トラブルに巻き込まれたのです。
北海道から大阪までは距離があるので、引っ越し費用はそれなりにかかりました。
引っ越して荷解きを終え、生活がようやく落ち着いたなと思った矢先の出来事で、私も配偶者もかなり動揺しました。
住んでいた自治体の弁護士の無料法律相談サービスを利用し、対策を練り
大家さんと交渉して、契約時に支払った礼金を、私たちが通常支払う月々の家賃から分割して差し引いて支払うという方式で返してもらうという約束を取り付け、何とか9割は回収しました。
入札後、新たな契約の件で入札者と交渉した結果、折が合わなかったので、また近所の違う物件に引っ越しました。
上記以外にもうんざりする位、様々なトラブルや理不尽な目に遭いました。
それらのおかげで、法律を知らないと馬鹿を見るという現実を、嫌と言うほど味わってきたのです。
そんな心境が積み重なったことや諸々の事情で、受験資格が特になくて幅広い分野で活躍できる、行政書士を志そうと決めたのです。
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