想像力の欠如がもたらす様々な弊害

メモ想像力, , 無関心


数日前まで、二三男(詳細はコチラ)が書類を偽造して勝手に結んだ契約の件で弁護士さんとやり取りをしていたのですが、その弁護士さんは、頑なにこちらの質問に答えない時がありました。

私としては、今後こうしたい。という意向を伝えており、さらに報酬を上乗せする必要があるのならば、別途見積もりをお願いし、妥当な金額ならば依頼しようと考えていました。

他の士業(不動産鑑定士、司法書士、税理士)等に質問した時は、「この業務内容ならこれくらいかかります」等の説明があり

「では、それにかかる費用等の見積もりをお願いします」というやり取りが普通にあったので、そういうものだと認識していましたが、この弁護士さんは違ったようです。

委託業務範囲外だから答えられません。とか、それをするには別途、費用等が必要です。とか、割に合わないので受けられません。とか、答えればいいと思うのですが、必要最低限の事以外は全て無視するのです。

最初は、何なんだこの人は!と思いましたが、よくよく考えると、もしかすると既に支払った報酬内でアレもやれ、コレもやれと要求されている。と、解釈したのかもしれないと思いました。

沖縄は経済的に貧しい人が多いので、そういう顧客はゴロゴロいると思いますし、実際、二三男の姉のまゆみの長男も同じタイプなので、私自身もそういうタイプだと誤解された可能性があります。

正直不愉快ですが、多少コミュ障気味の、単発的な仕事の依頼しか受けられないような残念なレベルの弁護士さんだとみなし、その人にはそれ以上の依頼をするのを止めました。

かなり中途半端ではありますが、一応、必要最低限の要件は済みましたので、今後は必要に応じて他の弁護士さんに依頼します。

この件により、顧客に対する想像力が欠如しているからそうなるんだろうな。と感じました。

というわけで、今回は3つの話を題材に、想像力の欠如がもたらす弊害について書きますね。

 韓国人女性とのやり取りで気付いた無関心という名の凶器

弁護士さんとの件で、想像力の欠如について考えていると、ふと、私が十数年前に北京留学していた時の事を思い出しました。

当時、やたらと私に対して突っかかってきたり、攻撃的な言動をする韓国人女性がいました。

私とその人は同じクラスだったので、必要最低限の会話と挨拶くらいは普通にしていましたが、それ以上の付き合いはありませんでした。

それにもかかわらず、どうして彼女が私に対してそのような態度を取るのかがわかりませんでした。

今思えば、彼女は私に対していくらか興味を持っていたようでしたが、好きとか嫌いとか以前に、私は韓国にも韓国人である彼女に対しても全く興味がありませんでした。

授業以外の時に学内で彼女に偶然会った際に、彼女が彼女の友人と一緒にいる時に私に挨拶をしてきたので、私はそれに応えましたが、その時、忙しくて余裕がなかったのと、彼女と関わる気もなかったので、手短に彼女とのやり取りを打ち切ってその場を立ち去りました。

それ以降、彼女の私に対する態度が変わったなとは感じていましたが、一体それがどうしてなのかを、私は深く考える事はありませんでした。

彼女は当時、同じクラスの若い日本人男性と、韓国語と日本語をお互いに教え合う、相互学習をしており、時々一緒にいるのを見かけました。

でも、途中で一緒にいることがなくなったな。中国語の勉強で忙しくなってそんな余裕がなくなったのかな?と漠然と考えていました。

その大学での留学期間が後半に差し掛かった頃、私はその日本人男性から直接、とても嬉しそうな表情で、オーストラリア人女性と交際をしている、英語と日本語の勉強をお互いにしていて、とても楽しい。との報告を受けたので、それは良かったね!と祝福したことがあります。

もしかすると、その日本人男性は、オーストラリア人女性との交際を始めるようになって以降、その韓国人女性と疎遠になったのかもしれません。

同じクラスに私以外にも日本人女性は2人いましたが、一人はイギリス育ちのお嬢様、もう一人はカナダでの留学経験があって、2人とも英語堪能な目立つタイプだったので、誘うには気後れする部分があったのかもしれません。

目立つ彼女たちと違って特にそういった要素はなく、年齢も彼女と近かった私は、彼女にとっては比較的身近な存在だと考えられていて、日本人男性に代わる相互学習の友達候補として私を誘おうとしていた可能性もあります。

でも、何度声をかけても自分に興味を持たなかった私に、適当にあしらわれた!拒絶された!と誤解した彼女が、怒りの矛先を私に向けるようになったと考えれば、辻褄は合います。

その推論が正しいとなると、私の、彼女の言動に対する想像力の欠如が、意図しないうちに彼女を傷つけてしまっていたのかもしれません。

当時、無関心という名の凶器は人を傷つけるという認識を持っていなかった私の至らなさが、彼女の私に対する攻撃的な言動を引き起こしたのだとすれば、彼女に悪いことをしてしまったなと思います。

妊娠中、出産後の女性の身体や心に対する想像力の欠如が家庭を壊す

妊娠は病気じゃないから。という言葉により、悪阻で苦しんでいたり、身重で思うように動けない奥さまに対する、心無い言動をする旦那さまが多いという話はよくあります。

病気じゃない=健康で元気 と脳内変換されてしまう為、今までのように動けない奥さまを見た旦那さまは、奥さまが怠けている という間違った解釈をするようです。

それは世の中の多くの旦那さまの、妊娠中の奥さまに対する想像力の欠如がそうさせているわけですが、下記のツィートを見て、このような認識が世界中に広まったら、大半の家庭崩壊は回避できるんじゃないかと感じました。

妊娠は病気ではないので、状態は一人一人違い、お医者さんにもわかりません。
妊娠中の辛い気持ちは妊婦さんご本人にしかわからないのです。

ですので、旦那さまを含め周りの人たちは、

●妊娠中は女性一人の身体ではなく、一つの命をお腹の中で必死に育てている。
●その命が人間として出てくるまでは母体から栄養を吸収しており、その影響で貧血や悪阻が起こる等、母体には負担が大きい。
●その命が大きくなるにつれて母親のお腹は重くなり、行動が制限されるので、妊娠中はこれまでと同じように動くのが難しくなる。

という認識を持って欲しいと思います。

そして、出産後の女性についても、母子共に健康=今までと同じように動ける と脳内変換されてしまうので、出産後の多くの女性が必要以上に苦しんでいます。

でも、下記のツィートの認識が広まれば、多くの女性が身体を壊すことなく元気に過ごせると思います。

出産そのものが命を落とす危険性もある位の命懸けの行為にもかかわらず、出産して少し経てば今まで通り動けると考えるのは短絡的思考であり、これもまた想像力の欠如と言えます。

重病人レベルで体力が落ちている状態で、母乳という血液を与えるので身を削られます。
仮に母乳が出なくてミルクだったとしても、栄養面でかなり気を使い、手間暇もかかりますので状況はさほど変わりません。

さらに、言葉のまともに通じない、本能で生きてひたすら泣き喚く乳児と延々と向き合う中、慢性的な睡眠不足を強いられたら精神を正常に保つのは至難の業です。

その状態の母親に対し、家事と育児を全部そつなくこなせというのも、想像力の欠如と言えます。

そして、出産後の身体に鞭打って無理をし過ぎると、更年期といわれる時期になって身体にガタがきているのを認識するようになります。

出産後の無理が祟って身体が思うように動かなくなり、苦しんでいる奥さまに対し、怠けている。と脳内変換し、暴言を吐いてさらに奥さまを傷つける。というのもまた想像力の欠如と言えます。

それらの想像力の欠如により、多くの女性が妊娠中、出産後の辛さを理解してくれなかった旦那さまに恨みを持ち続けることになり、家庭が崩壊していくのです。

お金を稼がない家事と育児は仕事ではない。という誤った認識が女性を苦しめる

お金を稼ぐ方がエライ。お金を稼がないのはそれ以下である。みたいな経済至上主義的な考え方は、家事と育児は仕事ではない。という間違った認識を植え付けています。

世の中に家事代行サービス、保育、ベビーシッター等の仕事が成り立っている以上、家庭での家事と育児も立派な仕事です。

それにもかかわらず、下記のツィートのように

奥さまが育休中=働いていない という間違った認識を持たれ、世の中の旦那さまは家族の為に早めに帰宅するのを非難されてしまうのが当然みたいな雰囲気になっています。

1人目の子どもの育児は初めてのことだらけなので、多くの母親は毎日が試行錯誤の状態の中、気が狂いそうになりながらも必死に家で働いているのです。

2人目、3人目だったとしても、まだ幼い場合はその子たちのお世話も加わりますので、旦那さまの想像を絶する以上の激務となります。

下記のツィートが、過酷な育児の現実をかなりわかりやすく表現しています。

小さな子どもは、本能のままに生きています。大声で延々と泣き喚きます。
大人がやって欲しくない事を当たり前のようにやります。
言葉はほとんど通じません。

大人が予測不可能なことを、これでもかっ!という位する、意味不明な生きモノなのです。

そんな子どもと四六時中向き合って疲弊した奥さまには、旦那さまのお世話をこれまでと同じようにする体力と気力と余裕はないのです。

そんな奥さまに、家事が出来ていないじゃないか!と責めるのも、想像力の欠如と言えます。

仕事が忙しくて余裕がなくても、旦那さまはせめて自分のことは自分でやるか、奥さまが家事をあまり出来ていなくても、それを責めずに優しく見守ってあげてください。

奥さまがトイレに行ったりお風呂に入っている間や、食事をとる間、子どもを見てくれるだけでも全然違います。

極限状態だった奥さまは自分を取り戻し、旦那さまの愛を感じてくれるでしょう。

想像力の欠如がもたらす弊害は、人間関係をいとも簡単に壊す破壊力がある

私を含め、超マイペースな人間は

相手に対して何も悪いことをしていないから、自分は何も悪くない。

という考え方をしてしまいがちですが、それは時と場合によります。

周囲の人や家族の様子が変わったな、あれ、何かおかしいな。と感じた時、自分の何らかの言動により

自分を否定された、適当にあしらわれた、拒絶された、大事にしてくれない。

等と、間違った認識を持たれてしまった可能性がないかを考えてみてください。

特に、家族間においては、世間一般に定着している間違った常識や認識を鵜呑みにし、相手の立場や状況を考えない、相手に確認もしないままでいると

気が付いた時には、家庭崩壊のカウントダウンが最終段階に来てしまっていて、取り返しのつかないことになってしまう可能性が高くなります。

男性は女性と違って察するのが苦手な生きモノですが、それを十分に認識した上で、妊娠、出産、育児という、女性の人生を大きく変えてしまう重大なイベントについて、自ら積極的に学んでください。

わからなければ、相手に直接聞くなり、周囲の人たちに聞くなり、本で調べる、インターネットで調べる等、様々な方法がありますので、幅広く情報収集をしてください。

想像力の欠如は、場合によっては相手に対する無関心となり、凶器にもなり得ます。

せっかく何らかの縁があって出会い、家族になったのに、知らないうちに相手を酷く傷つけてしまい、家庭崩壊となるのはとても悲しいことです。

世の中の素敵な旦那さまが、もっと奥さまやお子さんのことに関心を持ち、愛してくれるようになれば、奥さまも旦那さまに心から感謝し、これまで以上に愛そう、心から支えよう、大事にしようと思ってくれます。

こうすることで、聖書に書かれているような愛の循環が生まれ、いつまでも仲良く穏やかに暮らせる家庭となります。

 

最後に、この世の全ての人間関係や家庭に愛が循環し、みんなでお互いに支え合い、協力し合い、幸せに穏やかに豊かに暮らせる世の中になりますことを心から願います。

メモ想像力, , 無関心

Posted by sanae