防御を目的に某組織に残しておいたDQNからの怪文書が、今になって地雷と化した話

人格障害DQN, 信仰の証, 地雷, 怪文書

地雷のイラストです。

7月の21日から26日まで私用と仕事で島に行っていましたが、実は、島に行く数日前に公的機関から連絡がありました。

非常に物騒な内容の請求が来ており、それについて確認したいので都庁まで来て欲しいとのことでした。

最初は、は?何ですかソレ?という感じだったのですが、少し考えてみると、あー!あのDQNがまた私を貶めようと攻撃して来たのだなと気付きました。

私が「その請求をした人は誰ですか?」と聞くと

担当者は「それについてはお答えできません」と言うので、

私が「あー、それって〇〇さんですね?」と聞くと、担当者は口ごもりました。
図星だったようです。

といいますか、私は公私ともに真面目に真っ直ぐに生きていますので、やましいことは一切ありません。

そんな事をするのはただ一人、あのDQNしかいません。

うわぁー、あのDQNまだ生きていたんだー、本当にシツコイというか、どれだけ暇なんだろう。でも、何で今さら?仕事がなくてお金に困ってて、それで自分の思うように動かなかった私を逆恨みして、ゆすろうとでもしているんだろうか。

と思いましたが、出張前の仕事の書類の作成で気が狂いそうな程忙しかった私は、担当者に以下のように答えました。

それって強制ですか?任意ですよね?私を犯罪者扱いして尋問でもするのですか?
私にはやましいことは一切ありませんし、納得いきません。

担当者は「いえ、決してそんなことはありません。ただ、確認の為、お話をお聞かせいただきたいのです。では、報告書をこちらに提出するという形での対応はいかがしょうか」と提案してきました。

私は下記のように答えました。

その件に関しましては、こちらの方が逆に○○さんを〇〇請求したいくらいです。
これ以上私のような被害者が出ない様にする為に、●●●●に報告して記録を残してありますので、そこから記録を取り寄せて内容を確認してください。

担当者は「わかりました。その様に致します」と電話を切りました。

それ以降は都庁からの連絡はありません。
おそらくその記録を確認して、誰の言い分が正しいのかがわかったのだと思います。

 

4年程前、そのDQNは私に内容証明郵便恫喝訴訟を匂わせるような怪文書を送り付けてきました。
そのような物騒なモノをもらったのは人生で初めての経験だったので、さすがに私はかなり怯えました。

そこで私が必死に神様にお祈りをしながら助けを求めていると、頭の中にサイコパス本人訴訟などのキーワードが浮かびました。

へ?サイコパスって何?
本人訴訟?は??

と思いながらその意味や内容を調べると、うわあ、あの人サイコパスだったのか。通りで、何であんなに意味不明でオカシイのかと思っていたら、そうだったんだ。これなら辻褄が合う。

弁護士を雇わずに自分で訴訟すれば、お金もそんなにかからないらしいし、いいかも。

と、考えながらインターネットで検索していると、ある士業で本人訴訟を専門としている人がヒットしたので、その人の事務所に相談に行きました。

その専門家に事情や経緯を説明し、DQNが私に送り付けてきた怪文書を見せると、かなりドン引きした様子で

「は?何コレ。法律家の書く文章じゃない。こんなモノが裁判所に通る道理がない。こういうタイプは逆恨みしてくるので極力関わらない方が良い。これとこれまでの経緯を●●●●に報告して記録を残しておけば大丈夫。もし相手が訴訟を起こして来たらその時に反訴すればいい」

との助言をいただきました。

素直な私は、指示通りに●●●●に赴き、その怪文書や証拠となるメールや書類等を提出して、これまでの経緯を説明しながら報告しました。

その場には6人の士業がいましたが、どの人もDQNの怪文書を見てかなりドン引きし、

「は?何だコレは。意味が分からない」と、口々に呟いていました。

その中の一人が「もし訴訟を起こすのなら、私が証言台に立つから」とも仰ってくれました。

その時に提出した書類やDQNの送り付けて来た怪文書が、まさか、今こうして地雷になるとは思っていませんでしたが、おそらく、私よりもあのDQNの方が、自分の詰めの甘さを痛感しているのではないかと思います。

 

怪文書が届いた当時は、キリスト教を信仰して1年半位の時期だったと思いますが、お祈りをしていると、その頃の私の頭には無かったキーワードが浮かぶことが度々あり、それを基にいろいろと調べていると、何かしらの問題が解決したり、ずっと疑問に思っていたことがふとわかるようなことがありました。

今でも、壁にぶつかってどうしようもない時や不安になった時に、必死に神様にお祈りすると、それを解決するようなヒントが頭に浮かぶことがあります。

今回、島(沖縄本島)にて、仕事での大事な話し合いの時に、ある人と口論になりました。

その人は私よりもふた周り以上年上の男性で、時折、意味不明な屁理屈を混ぜながら、高圧的な態度でギャーギャー喚いていました。

あー、この人は、私が目下の女だから、高圧的な態度をとれば自分に従わせることができるだろう。と考えているタイプの人なんだな。とは思いましたが

私は冷静に、私の頭の中にふわっと浮かんでくる言葉を使いながら話していると、あっさりと相手を論破することができました。

しかも、無理にではなく、相手もそれを言われると納得せざるを得ないといった感じで撃沈し、話はあっさりとまとまりました。

このように、私じゃない誰かが、私の中に居るような感覚があることが度々あり、自分でも、自分の頭の中にそんな考えあったっけ?と不思議に思っています。

どう考えても神様が近くにいて、私をいろいろな形で助けてくださっているとしか思えません。

 

これらの事例のように、物騒な話が来ても大して怯む事がなくなったのは

信仰により、日頃から神様の愛を感じていて心が安定しているから

 

目上の男性に高圧的な態度でギャーギャーまくしたてられても、冷静に落ち着いて対応できるようになったのは

信仰により真理が身に付き、愛を学んだことで相手の心理がわかるようになり、相手の心にダイレクト届くような話し方ができるようになったから

なのではないかと思います。

 

巷ではよく、宗教なんて心の弱い人がするものだとか、洗脳されて不幸になるとか、いろいろと言われていますが、それはカルト宗教としか思えない創価学会や生長の家や全能神教会や統一教会や日本基督教団などに当てはまる話ではないでしょうか。

キリスト教は、真理や、人間が本当に必要としている本物の愛を学ぶ事ができますので、本質を見抜く力がつきますし、神様に愛されているという自信から心が強くなります。

洗脳されるどころか、洗脳から目覚めることができますので、視野が広くなり、物事を深く考えられるようになるので頭も確実に良くなります。

心が強くて頭も良いのなら、正しい選択をするようになるので確実に幸せになります。

 

というわけで、真理や愛が詰まっている、神様(キリスト教)の言葉が書かれている聖書を読むのをお勧めしています。

でも、聖書に馴染みのない日本人にとって、聖書はそのままだとよくわからない難解な書物なので、その読み方を具体事例を踏まえてわかりやすく教えてくれるのがRAPTブログです。

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Posted by sanae