童心に帰って歌ってみたら愛を感じられるかも
お外で遊ぶの楽しいな。
前回は、八方美人の女性が亭主関白もどきのクズ男を量産している可能性について書きました。
八方美人の何が悪いのかというと
悪い人に見られたくないので人の目を気にする
そのような何らかの損得勘定のある邪な考えから出る言動は、相手のことではなく、自分のことしか考えていないので偽善的である。というのに集約されると思います。
邪な考えがあると相手を正しい愛で愛することができないので、尽くせば尽くすほど、甘やかし過ぎて相手が駄目になってしまったり、愛がちゃんと伝わらなくて相手を傷つけてしまったりと、人間関係に悪い影響を及ぼしてしまいます。
これまで多くの日本人が、サタンやイルミナティに生まれた時から洗脳され、邪な考えを植え付けられてしまったので、正しい愛し方(相手を本当の意味で愛すること)がわからなくなってしまったのです。
この邪な考えは聖書では肉性というもので、世の中の片寄った考え方、間違った価値観、欲望等を指します。
その肉性をなくせば聖書でいう幼子のような人となり、聖書に書かれてある本物の真理と愛が入りやすくなります。
マタイによる福音書 18にはこう書かれてあります。
天の国でいちばん偉い者
1そのとき、弟子たちがイエスのところに来て、「いったいだれが、天の国でいちばん偉いのでしょうか」と言った。
2そこで、イエスは一人の子供を呼び寄せ、彼らの中に立たせて、3言われた。
「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。
4自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。
5わたしの名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。」
幼子(幼い子ども)は、正しく愛されたら素直に受け取りますし、相手にも愛を真っ直ぐに返してくれます。
そこでふと、以前、保育園でアルバイトをしていた時に、年長クラスの子どもたちが歌っていた下記の歌を思い出しました。
ぼくのたからもの 歌:NEUTRINO(歌詞付き)
この歌の歌詞には、子どもたちの素直な気持ちがそのまま表現されていて、邪な考えは入っていないからか、聞いていると心が暖かくなります。
特に下記の部分がそれぞれ、園のお友達や自分の両親に対する素直な愛が表れているなと感じました。
きみがわらうとうれしくなるよ
きみがなくとかなしくなるよ
きずつけあうことあったけど
ほんとはいっしょにいたかった
ーーーーーーーーーーーーーーーー
あなたがわらうとうれしくなるよ
あなたがなくとかなしくなるよ
しかられることもあったけど
それでもあなたがすきなんだ
相手のことを真っ直ぐに想っているのが伝わってきます。
幼子のような人とは、相手のことを真心で愛する人という表現がわかりやすいかもしれません。
子どもは純粋で余計な考えや固定観念がほとんどないので、御言葉(神様の言葉)を偏見なく素直に受け入れることができるのだと改めて思います。
そこで下記のRAPTブログの有料記事の文章や音声を視聴して、肉性というものがいかに無駄なのかを痛感しました。
RAPT有料記事688(2022年10月8日)肉性が強い人は、神の人が現れても神の人だと理解できず、神の言葉を聞いても神の言葉だと理解できない。
の見出し部分より一部抜粋します。
この世の多くの人々は、神様の御言葉を聞いても、その素晴らしさが理解できません。
彼らは、この世の中で培ってきたサタンの価値観や考え、あるいは様々な余計な欲望で心が満たされていて、それらが御言葉を悟ることを妨げてしまっているのです。
ですから神様は、私たちに先ずは自分の考えを空にして、肉性をなくしなさいと仰います。
そうすることで、それまでどんなに御言葉を聞いても悟れなかった人も、とたんに深く悟れるようになるからです。
そして、御言葉を悟ってこそ、私たちは神様が用意して下さった救いと祝福を余すことなく受けることができるようになります。
抜粋ここまで。
洗脳されてサタンの間違った価値観や考えを持ったままだと、頭が混乱して何が正しくて何が間違っているのかが判断できなくなり、物事を深く考えられなくなります。
物事を深く考えられないとわからないことだらけになってしまい、悩みや不安や心配に苛まれ続ける苦しい人生を送ることになってしまいます。
洗脳から解放されるには、下記のお決まりの聖句
蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい
にも書かれてあるように、御言葉から正しい知識を学んで賢くなり、神様を素直に真っ直ぐに愛すれば邪な考えも無くなっていき、神様からの愛がたくさん返ってきます。
神様は、私たち人間がそれぞれに必要なものを全て与えてくださいますので、本当の意味で幸せに生きられるようになるのです。
子どもの頃に好きだった歌を歌ったり、自然の豊かなところでお散歩をしたり、何かに挑戦してみたりといろいろと試してみてください。
そうして、子どもの頃の新鮮な気持ちを少しでも取り戻せた時に、心の中で神様にお祈りするようにしていくと、神様の愛を少しずつ感じられるようになっていくと思います。