保育園からの教育≒しつけ≒洗脳を受けたか受けなかったかで、人生に対する考え方が大きく左右される
私の腰の容体は多分99.9%回復しました。
まだ微妙に痛みが残っているというか、雨降りだと多少痛む時もあります。
ただ、日常生活には支障のない程度なのでそろそろブログの更新をしますね。
日本の保育業界の闇:人手不足→職人気質の人が新人を潰す→さらに人手不足という悪循環が続く
保育士不足の原因に低賃金、重労働、過剰な責任を負わされるというのは周知の事実となっているようですが、保育業界ならではの原因にはあまり触れられません。
サラッと流されて終了です。
保育園での保育を担う保育士は、保育園の子どもたちにかなりの影響を及ぼします。
おそらく、子どもたちにとっては自分の親の次位に、インパクトのある存在だと思います。
でも、その保育士の中には疲弊し心が荒むどころか精神が病み、どうしようもないところまでいってしまう人も増えています。
日本国民の愚民化政策の一環ともいえる洗脳教育は保育園からすでに始まっていますので、それらの保育業界の闇を語らずして保育や教育、洗脳の事を説明できません。
ですので、そこから書いていきます。
保育の現場での人間関係は園にもよりますので一概には言えませんが、おどろおどろしい空気で満たされている場合が多々あります。
私が以前、私立保育園でフルタイムとかで働いていた時は、本当に辛くて辛くて仕方がありませんでした。
大半は公立での勤務なので、私立の保育園で働いていたのはトータルで1年半位しかないのですが、当時はサービス残業、仕事の持ち帰りなどが当たり前で死にそうでした。
自分が何のために働いているのか、どうして保育の仕事をしているのか、どうしてこのような理不尽な扱いをされなければいけないのかと常に悩み苦しんでいました。
この仕事を続けるくらいなら死んだ方がマシだ。
お願いだから誰か殺してくれと本気で考えることも普通にありました。
私流にわかりやすい言葉で表現するならば、民間の保育園は人間扱いされない事が多いので強制収容所。
公立の保育園は臨時職員でも準公務員扱いで、一応それなりに人権は尊重されるので刑務所。
みたいな感じでしょうか。
※ただ、私は真面目に真っ直ぐに生きてきましたので、それらの施設のお世話になった事はありませんのであくまでもイメージです。
私は民間の保育園を多少経験した後に公立の保育園で働きましたが、あまりの待遇の違いに非常に驚きました。
同じ仕事でも公立か私立かでこんなにも違うものかと心の底から思いました。
かといって公立の保育園なら働き続けたいと思えるかと聞かれたら、無理。
短い期間の期間限定、1日数時間だけの勤務、1日だけとかの単発とかでの働き方ならば、死にたいと思いつめたりするほど心身を病むこともないので、辛うじて可能です。
と答えます。
それはなぜでしょうか。
確かに労働環境は良くなりますが、それはあくまでもマシになっただけで保育業界の闇が無くなるわけではありません。
ですので、根本的な事は変わりませんし、公立は私立とは違った空気がありますので別の問題もあったりするからです。
短い期間だとできるのは、単純に先が見えるからです。
この過酷な状況がいつまで続くのかと、不安と失望に苛まれて生きていくのはものすごく辛いのです。
これは保育の仕事に限った事ではなくあらゆる仕事や人生全般にも言えると思います。
公立の保育園は基本的に公務員待遇でお役所気質なので、サービス残業や仕事の持ち帰りは私立の保育園と比べればほぼ無いに等しいレベルです。
といっても、私のように気が強くて自分の意見をハッキリと言う性格ならば、それは十分に可能です。
でも、気の弱い、自分の意見をあまり言えない人だと、私立の保育園よりはかなりマシですが、環境によってはそうとも言い切れない場合もあるようです。
園によっては自分の意見をちゃんと言わないと、要領がいい人にいいように利用されてしまいます。
それから、保育士は嫌になる位に社会的地位が低いように言われていますが、一応は専門職なのです。
保育士の仕事を続けてきた期間が長ければ長いほど、職人気質みたいなものがより強くなります。
公立の保育園だと私立よりも働き続けられる環境が整っているので、そういう職人気質の人が多くなります。
さらに公務員という事で世間の目は厳しいという現実もあります。
私立の園よりは安定して働ける環境なので、その既得権益ともいえる地位を何とか保持しようと躍起になっている人もいれば
保育よりも、保護者からどう見られるかにこだわるなど、意識が違う方向に行ってしまっている人もいます。
職人気質だと自分のやり方にこだわりを持つので、他の人のやり方に耳を傾けない人も少なくありません。
それは正職員か非常勤職員か臨時職員かにかかわらず、同様の傾向が見られます。
職人気質の人が保育園に何人もいると、それだけ対立が激しくなりますので、人間関係も非常に殺伐としてきます。
それらの職人気質の人は、保育経験のない新卒かそれに近い位の新人が自分の思うように動かない場合に、鬼のように怒りまくりネチネチと陰湿にいびり続けます。
自分の思い通りの保育の方針を貫くことに重点を置きすぎて、新人を育てる気も余裕もあまりない人が多いようにも思います。
でも、新人が最初は仕事ができないのは当たり前ですよね。
最初は誰もが新人時代を体験して現在に至ったにもかかわらず、それをきれいさっぱりと忘れたかの如く、渡る世間は鬼ばかりなどのドラマみたいな感じで、鬼のような姑が嫁をいびるようにとことん苛め抜くのです。
私が新人の時代は公立保育所(園)で人員の配置に余裕があり、定年間近のベテラン保育士が仕事を教えてくれたので比較的マシだったとは思います。
それでも、私とは相性の悪かったベテラン保育士からの執拗な嫌がらせやいじめがものすごく辛かったので、自分をいじめる相手に対して殺意が芽生える事も普通にありました。
ただ、0、1歳児クラスで複数担任制だったのもあり、ある一人の保育士と所長(園長)に私はかなりいびられましたが、同じクラスのもう一人の保育士と他のクラスの保育士がいつも私を守ってくれたので、なんとか雇用期間までは我慢して働き続ける事ができました。
でも、今は昔と違って都会は比較的労働環境のマシな公立の保育園でも人手不足です。
それに加え、昔は障害やアレルギーがある子どもは対応できないと入園を断っていましたが、今は受け入れるのが普通になっていますので、さらに手がかかります。
元々、保育士の配置基準自体に無理があり、ただでさえ手が足りないのに、やるべき事が膨大に増えてさらに業務がハードになります。
そして不思議な事に、集団保育なのにベビーシッターレベルの対応を求められる親御さんも時々おられます。
自分の子どもが一番可愛いのは理解できますが、それはどの親も同じです。
あくまでも集団保育なので特定の子どもだけを特別扱いする事は出来ません。
人員配置もギリギリかむしろ足りない場合が多いので、物理的にも無理なのです。
その環境下では、それなりのキャリアのあるベテラン保育士でも、新人保育士に仕事を教える余裕はない場合がほとんどだと思います。
例えばこの記事がわかりやすいかと思います。
認可保育園でも幼児虐待。叩く、突き飛ばす、転ばせる…実際に働いていた女性に話を聞いた
新人、ベテランに関係なく子どもに虐待行為をしています。
むしろベテラン保育士の方が虐待する例も多いという話も聞きます。
それは何故でしょうか。
新人保育士は仕事内容がまだよくわかっていないので、指示がないと動けません。
その分ベテラン保育士がカバーすると同時に、仕事も教えなければなりません。
今は保育の研修制度も昔よりは充実していると思いますが、子どもは生身の人間なので一人一人いろいろな個性を持っており、座学通りにはいかないことが大半です。
その場その場で臨機応変に対応していくしかない場合がほとんどです。
ですので、仕事の負担がベテラン保育士の方に過剰にかかってきます。
それだとベテラン保育士は保護者からのプレッシャーや余裕がない状況が続くので、精神がおかしくなってきます。
必然的にストレスがたまり、その分、新人保育士を過剰にいじめるようになります。
本来ならば、穏やかな性格で人をいじめるようなタイプではなくても、過剰な仕事量、過剰な負担を負わされたら人格も変わってしまいます。
社会経験の少ない新人にはそういう事情がわかるはずもなく、自信や気力、希望を失っていき、心身を壊して辞めてしまいます。
私は実際に、新人保育士が一生懸命に真面目に働いているにもかかわらず、ベテラン保育士から理不尽なくらいにいじめられて潰されていく例をいくつか見てきました。
たしかにゆとり教育を受けている世代だったり、温室育ちの人だと教える側からするとしんどいと感じる事もあると思います。
でも、そもそも新人を育てる環境がほとんど整っていないので、誰が悪いとか一概には言えないのです。
一般世間ではあまり認められていないようですが、保育士も人間です。
保育のプロという言葉だけが独り歩きして、それだけが過剰に強調されていますが、適正かつ余裕のある配置基準やまとも環境があってこそ、保育のプロという言葉が初めて有効になります。
でも、保育の現場の現状はそれとは程遠く、人間として耐えられるだけの環境で働けていない状況で「保育のプロ」の基準の仕事を求めるのは無理があります。
さらに職人気質の人だと新人の教育はより難しくなり、自分の思い通りの保育を追求しながら業務を回すのにフォーカスします。
でも、新人は慣れるまではなかなか思うように動くことが難しいので、ベテラン保育士はイライラします。
結果、新人に過剰にきつくあたるようになり、新人がすぐに辞めていくので人が全然育たない、人手不足が延々と続くという悪循環に陥っているのです。
日本の保育業界の闇:経営者が利益を出すために結婚や出産を機に辞めるように促す→人件費が安い若い人を使い倒す
仮に保育園の環境がある程度整っていたとしても、経営者の方針で、ある程度の年齢になって結婚や出産を考える時期になった保育士を辞めさせる場合も普通にあります。
これも保育の仕事に限った話ではありませんね。
企業にとっては出産や育児で休まれると面倒でしょうし、キャリアが長くなればなるほどそれ相応の水準の給料を出さざるを得なくなります。
実際に、私が資金稼ぎの為に一時期、大阪のある認可保育園に派遣で4か月位、期間限定で働いていた時にも、初日にハッキリと園長から言われました。
結婚したら辞めてもいいから。と。
もともと私は最初から長く続ける気は全くなかったので、適当に受け流していましたが、他の結婚している人に対しても、子どもができたら辞めてもいいよ。とか普通に言っていたのを聞いて、あーなるほどね。と納得しました。
さすがに全員が新人だと保育園の運営に支障をきたすので、ある程度のベテラン保育士は残しているようでしたが、ある時期を境に直接雇用ではなく、派遣会社からの人材で保育の運営をするようになったようです。
一応は派遣会社には正職員になる為の紹介予定派遣という形で人を募集しているようでしたが、途中から正職員の数を今のままにするから、直接の雇用はできないという方針に変えたとも聞きました。
私が雇用契約期間終了でその園を去った後にも、おそらく紹介予定派遣で来た筈の、他の派遣会社から来た新卒に近い若い人を、安い時給(ほぼ最低賃金)で派遣として継続雇用するという話を聞きました。
要は賃金の安い若い人材を派遣会社経由で働かせる事により、利益を出す方針に切り替えたんだなと思いました。
もしかしたら、紹介予定派遣という話自体が実はウソで、人を集める為の方便だったのかもしれないと私は考えています。
でなければ働く日の最初に結婚したら辞めていいとか、子どもができたら辞めていいとか言わないと思いますので。
それらの状況から、よく私立の認可保育園の多くが70%ほど若い人で占められているとも聞きますが、それは保育士の意志ではなく、経営者の都合で辞めるように仕向けている場合も多いのではないかと思います。
さらに今は、深刻な保育士不足という事で安倍晋三首相が無資格の人も働けるようにしたり、保育士の配置基準を緩和したりしているおかげで、より保育の現場は混乱しているようです。
派遣会社としては無資格者よりは有資格者を派遣した方が利益になるでしょうから、有資格者及び経験者を血眼になって探しているところが大半のように見受けられます。
でも、私を含め多くの元保育士がその生き地獄でしかない保育の現場を嫌という程知っているので、単発や期間限定で保育の仕事に一時的に復帰する人はいても、この仕事を生涯の仕事として続けようと考える人はあまりいないでしょう。
そうなると、今の保育制度を維持するには、新卒で若く社会経験や知恵が少なく保育業界の闇を知らない人や、保育士よりも過酷な環境で働いてきた情報弱者の人たちを取り込んで、低賃金で使い倒していくしかないのだろうなとも思います。
保育の質よりも利益をひたすら追い求める企業や社会福祉法人の保育園の経営者が、人手不足と保育の質の低下をより加速させているともいえます。
でも、今の若い保育士は当然のようにライフラインとしてスマホを持っている人が大半ですので、インターネットでいくらでも情報を得る事ができます。
最初は保育の仕事に夢と理想を持っていた若い保育士たちが、保育業界の闇を知るのも時間の問題でしょう。
そうなりますと、頑張って働き続けても搾取されて終わるだけという忌まわしい現実に気付き、この保育の仕事を生涯の仕事として選ぶ人は確実に減少していくものと思われます。
それから、公立の保育園でも体力的な理由による定年前退職や介護などの事情で、仕事を止めるベテラン保育士も以前よりもかなり増えてきていますので、職人気質の人も自然と少なくなっていきます。
職人気質の人がいたからこそ、これまで保育の質を保ってこられたような保育園でも、公立、私立問わず時間の経過とともに変質していくでしょう。
あとは自分には保育士以外にできる仕事がないと思い込んで、仕方なくこの仕事を続けているという人が大半を占めるようになります。
普通に考えても大してお給料も休みももらえない上に奴隷のようにこき使われるだけという状況下で、自分の人生を犠牲にしてまで真面目に働こうという人は滅多にいないと思います。
そういう人たちが過酷な労働環境下において、よりよい保育をしようと考える可能性は低くなりますので、保育の質がますます劣化していくのは明らかです。
新人保育士が育たず、ベテラン保育士が辞めていき、保育士の仕事に情熱と希望を持てない人が増えていく保育園ではまともな保育は極めて難しいです。
そういう方向に向かっている保育園の保育士が考える事は、いかに効率よく業務をこなして自分たちが少しでも楽をするかという考えに至るのは想像できます。
それらの事情から、保育園ではいかに大人のいう事をよく聞くように子どもを誘導していくか、という保育にならざるを得ないのです。
結果として、子どもの為の保育とは別次元の保育となる可能性が非常に高くなり、子どもの個性や才能を伸ばすとか尊重するというような保育とは程遠いものになります。
すなわち、現在、安倍政権が推進している政策により
これまで以上に子どもの為の保育をおざなりにしてでも、管理のしやすい大人にとって都合の良い子どもになるような洗脳教育をしないと、保育業務を回すのが難しいという現状へとなりつつあるのです。
私は児童虐待を決して肯定しませんが、起こるべくして起こっていると思います。
周りの子と違う事をするとみんなの前で怒られる、嫌な顔をされる→出る杭は打たれる→本来の自分を出せなくなる
私は沖縄、大阪、東京で私立の認可保育園、無認可保育園、幼稚園、公立保育園、子育て支援センター、学童保育などで、短期間の契約や単発での契約で数多くの園で働いた経験があります。
配偶者の仕事の都合で引っ越してばかりいるので、保育の仕事だけでも、全部履歴書に書くのは無理なくらいに広範囲で細かい職歴となっています。
よく保育士は専門職で職人気質の人が多く、井の中の蛙になりやすいとも言われています。
でも、私は保育士の仕事よりも営業職を含めた別仕事の方が圧倒的に長いので、保育の専門性や能力は微妙である事は自覚していますが、幅広い見識と視野は持っている方だと思います。
実際にどんな職場に行ってもよほど極端な事がない限りは、常に客観的に物事を見ることができますので、割と冷静に対応できる事が多いです。
普段はなかなか人に懐くことが少ないと言われている個性的な子どもから、初対面でいきなりよく懐かれることがあります。
それは決して私が人格者であるというわけではなく、単に私自身の個性が強いので、ほとんど本能で生きている子どもが、自分と同じものを野生の勘で察知したからなのかなと思います。
つまり、類は友を呼ぶといった感じで笑
それらの様々な事情もあって、現場の保育士が気づかない細かい事に気付くことも結構ありますが、言わないとマズイかなと思う時を除けばほとんど言いません。
あくまでも私は一時的な保育要員に過ぎず、長期間働き続ける気もないので責任をとれる状況にもなかったからです。
以前、私が子育て支援センターで働いていた時の話ですが、そこには基本的に保育園に預けていない世帯、すなわち家庭で保育している世帯の親子が遊びに来る施設でした。
それぞれの子どもが家庭で育てられていますので、自由奔放に伸び伸びと行動する子どもが多かったです。
ですから、親御さんのいろいろな相談に応じながらも、その近くで遊んでいる子どもたちに怪我やトラブルのないような環境作りや配慮にかなりの神経を使っていました。
それぞれが自分の好きなように遊ぶので、当然喧嘩やおもちゃの取り合いも多くて大変な事も多少はありましたが、何よりも楽しそうに遊んでいるので見てて微笑ましいなと思う事も多かったです。
ある日、近くの保育園の子どもたちが、何かのイベントの帰りに先生に連れられて遊びに来た事がありました。
その子どもたちは自分の事は自分でやり、おもちゃの取り合いやトラブルを起こす事もなく、片付けもきちんとするなど、ほとんどが決められた場所でお行儀良く遊んでいました。
明らかにものすごく統制がとれているのです。
それをみた家庭保育のお母さんの一人が
「保育園の子どもたちはとてもしっかりしていますね」と感心しつつ、自分の子どもを見て「この子はお片付けがまだできないし、私の言う事をなかなかきいてくれないんです」と思いつめたような表情で呟きました。
それを聞いた職員が
「保育園では集団生活をしているから、自分の事は自分でやるという習慣がついているんですよ。今はできない事があったとしても、個人差がありますから大丈夫ですよ」
とやんわりと答えていました。
私はそれを聞いていて違和感を覚えました。
家庭保育で育った子は本来の子供らしさを残したまま順調に成長しているだけで、決して保育園にいる子どもたちよりも劣っているわけではないのになと思いました。
むしろ自分らしく伸び伸びと振舞えるのは小さいうちだけで、日本では集団生活に入ると場合によっては、自分の気持ちを無理に押し込めないといけない時の方が多いのではないでしょうか。
小さいうちに自分の本音を過剰に抑えることなく、思う存分納得のいくまで遊んだり、親にたくさん話を聞いてもらうという体験をしてこそ、自己肯定感が高くなると思うのです。
むしろ恵まれた環境で育てられているなと私は感じました。
保育園の子どもたちのほとんどは、先生のいう事をちゃんと聞いて行動すると褒められるからそうしているのです。
毎日そういう生活をしているからそれが普通になり、慣れているのであって、必ずしも本人の意思ではなく、時には我慢していたりして、仕方なく周りに合わせているだけだったりします。
実際に以前、働いていた保育園で5歳の女の子がボソッと
「どうせみんなと同じようにやらなければいけないから、我慢するしかない」と悲しそうにつぶやいていたのが印象的で今でも覚えています。
現実的にそうしないと保育園ではやっていけませんし、保育士から褒められることが少なくなります。
保育士のいう事を聞かないと、みんなが今何をやっているのか見てごらん。と言われたり、場合によってはみんなの前で怒られるだけなので、従わざるを得ないのです。
小さな子どもたちが長い時間を過ごす保育園において
寂しさを感じながら自分の事を認めて欲しいと大人の関心を必死に引いたり、時には仕方なく保育士の言う事を聞いている子どももいるのだと考えるととても悲しくなりました。
逆に保育士の言う事を聞かない超マイペースな子どもがいると、しんどそうな表情をする保育士も時々いました。
その子は自由奔放に動き回るので、その子の対応に手をとられてしまい、他の子に対する声かけや関りが疎かになってしまいます。
そういう子どもの大半が発達障害ではないかと疑われていました。
実際にそうかもしれないなという子どももいましたが、中にはどう見ても違うなと思うような子どももいました。
でも、これは仕方がないと思いました。
保育士一人にできる事は限られています。人手不足で本当に余裕がないのです。
常に正しい判断をするのは非常に難しいです。
「大人のいう事をよく聞き礼儀正しい子が良い子」のような考え方が日本ではまかり通っていますが、それは子どもを管理する大人にとって都合の良い考え方なのです。
大人にとっては管理をするのが楽になりますので良いかもしれませんが、子どもにとっては本来の自分を押し込め、常に周りに合わせて生きるしかない状況なので、良い事とは言えません。
日本における本来の集団保育そのものが、個性を伸ばし才能を磨くという目的を達するには無理がある仕組みとなっているのです。
そもそも日本の保育士配置基準は他の国と比べてもとても少ないと言われていますし、かなり昔に決められた基準なので、より今の時代にそぐわないとも思います。
人手に余裕があれば子どもに寂しい思いをさせる事も減らせますし、必要以上に我慢を強いる事もないのです。
子どもの個性を尊重することよりも、安全管理にフォーカスせざるを得ない状況下では子どもの自己肯定感は低くなる
基本的に、子どもは常に親や大人に認められたい、他の子を押しのけてでも自分だけを見て欲しいと必死です。
それが子どもの本来の姿だと思います
そのような過程を経ながら徐々に成長していくものです。
当時、私は保育園で5人の子どもからいっぺんに話しかけられて、どうしたものかと困った事が何度かあります。
そういう時はとりあえずニコニコしながら聞き、ここは相槌を打った方がいいなと思うところで適当に返事して何とか会話を成立させようと努力しました。
まだ小さくて活舌が悪い子や自分の言いたいことをひたすら喋っているだけの子もいて、私には正直なところ、何を言っているのかほとんどわかりませんでした。
まぁ、それでも何とかそれぞれの子どもたちが自分の話を聞いてくれた事に満足したらしく、ものすごく嬉しそうな顔をしていたのを今でも覚えています。
理想としては一人一人の話をじっくりと聞いてあげられたらいいのですが、大人の人数が少なくて子どもの方が圧倒的に多いので物理的に無理なのです。
担任の保育士は他の仕事や子どもの安全配慮で余裕がなく、とても一人一人の話を聞いてあげられるような状況ではありませんでした。
今の保育園では子どもが転んだり、子ども同士の喧嘩などで、ちょっとでも擦り傷を作ったりしようものなら、親によってはものすごいクレームが飛んでくる事もあるからです。
担任の保育士はそれ相応の責任を求められるので、常に気を張って神経をすり減らしながらも必死なのです。
私は担任ではなく、フリー保育士として働いていたので、担任の保育士が休んだ時とか行事とか食事の時間帯などその場に合わせて、補助が必要な時に各クラスにヘルプで入っていました。
私が子どもたちの話をある程度じっくりきいてあげられたのは、補助として入っていて比較的余裕があったからです。
私のように保育の能力が微妙な人間でも、いないよりはいく分かマシなレベルであれば、1人いるだけでも全然違うのです。
子どもたちは比較的余裕のありそうな、保育士を見ると嬉しそうに近づいてきて、自分の話を聞いてもらおうと一生懸命話しかけてきます。
多少、問題行動があると言われていた子どもでも、じっくりと話をきいてあげる事によって落ち着いてくる事もよくありました。
他の子どもよりも余計に手がかかるから問題があると、大人が勝手に思い込んでいただけで
後から思うと単にその子は自分の話を聞いて欲しい、認めて欲しいというサインを他の子よりも強く送っていただけだったのかもしれません。
でも、今は人手不足なので子どもたちの話をじっくり聞いてあげられるような環境にはない園も多いと思います。
今の保育の現場では子どもたちを一定の場所に集めておもちゃを与え、怪我や喧嘩をしないように見守るのが精一杯かもしれません。
人手があれば多少は遊びの幅や広くなりますが、そうでない場合が多いと、子どもは自分のやりたいことが十分に出来ずに不満を抱くこともあるでしょう。
子どもたちはその環境下で、決められた範囲で決められた遊びをするしかないのです。
説明してどうにかわかってくれる子どももいますが、納得できずに泣きわめいたり、いう事を聞かずに走り回ったりする子も当然います。
でも、保育士がいっぱいいっぱいで余裕がない状態だと、そこでついきつめの口調になったり、怒鳴ったりするようになってしまうのかもしれません。
そういう現実の中で、子どもの自主性や個性を尊重するのは到底無理な話ですし、不必要に我慢を強いる事にもなりますので、保育士と子どものどちらも心が荒んでいきます。
でも、やはりこれは大人の都合でしかありません。
子どもからすると、自分の事をちゃんと見てもらえない、自分の話をちゃんと聞いてもらえない。という事が続けば子どもは自分が認められていないのだと考えるようになります。
そうなるとどうしても自己肯定感は低くなってしまいます。
でも、人手不足が続いている保育園の状況では、何とかしたくてもできないのです。
保育園の経験がない→同調圧力に屈しない→超個性的な性格→洗脳の度合いが比較的少ない
他の兄姉たちはみんな保育園に預けられたのですが、なぜか私一人だけ家庭保育で育ったのです。
その理由を親に聞いても適当に誤魔化され、未だに教えてくれません。
私は特に病弱だったわけではなく、むしろ健康体でした。
物心つく時には超マイペースな性格だったので、もしかすると発達障害だと思われていたのかも?なーんて思ってしまいます。
というわけで、実際に保育園で働くまで私は、保育園に預けられている(いた)子どもたちの気持ちがわかりませんでした。
にもかかわらず、その私が保育士と幼稚園教諭の免許をとったのは本当に不思議です。
私は5歳になってから小学校入学前に幼稚園に1年だけ通いました。
でも、私は幼稚園での生活が嫌で嫌でたまらず、幼稚園の送迎バスに乗らずによく自宅の庭で一人で遊んでいました。
幼稚園での記憶はほとんどなく、あるのは私が集団から外れて一人で遊んでいるのを、先生が困ったような感じで傍で見ていた事くらいです。
基本的には素直な性格なので、小学校に入って以降は普通に集団生活に問題なく合わせることができました。
中学校の時に修学旅行に行きましたが、集団での旅行が私にはあまりにも苦痛で嫌だったので、高校の修学旅行には行きたくないと思うようになりました。
親からは、みんなと同じようにちゃんと行きなさいと言われていましたが、高校の修学旅行には断固拒否して行きませんでした。
ちなみに高校の修学旅行に行かなかったのは、兄姉間で私1人だけです。
20代の後半になってから理由は自分でもよくわからないのですが、無性に中国に留学したいと思うようになり、親の反対を断固拒否して行きました。
留学したのも兄姉間で私一人だけです。
でも、留学費用は自力で稼ぎました。
私は20代前半の頃にはすでに父親から「会社勤めには向いていない」と言われていました。
当時はその意味がよくわかりませんでした。
実際に会社勤めをしてみたのですが、事務職をしているとすぐに飽きてしまってつまらないと思うようになりました。
保育士をすると心身ともに衰弱し、自殺を考えたり食事が受け付けられなくなったりと死にそうになりました。
営業職をすると外に出て割と自分のペースで働けるし、契約さえとれば結構自由にさせてもらえる環境だったのでそれなりに楽しかったです。
一時期、ベンチャー企業で営業職として定職に就きましたが、会社が事業縮小、給料不払いの状態が続き辞めざるを得なくなり、しかたなく退職しました。
私は何故か行く先々で就職した会社が倒産したり、傾いたりするので、仕方なくその度に職を転々としてきました。
さらに、配偶者の仕事の都合で1年半~3年のサイクルで引っ越すようになり、大阪→北海道→大阪→東京などと住所がよく変わるようになりました。
またいつ、配偶者が引っ越すと言い出すかわからないので、また居住地が変わるかもしれません。
私には会社勤めは苦痛でしかなく、年齢的にも生活環境的にも定職に就くのは厳しいので、開き直って自営業をしています。
最近、他の兄姉とは根本的な考え方や発想が大きく違っている事に改めて気が付きました。
兄姉たちは会社勤めをするのが当たり前で、周囲と同じように生活するのが普通で無難であるという考え方で、今でもそれに固執しています。
私はありとあらゆる仕事を試し、公私ともに台湾、香港などの比較的近い外国にも抵抗なく旅行で行くようになりました。
今のところ、私は富裕層ではありませんが結構自由に生きています。
親兄姉たちからすると、私の生活は変化が多すぎて安定とはかけ離れていて意味不明なのでついていけないようです。
未だに、他の人とは違う、おかしいと言われます。
世間一般でいう普通の人間ではないかのようにも言われます。
でも、私からすると親兄弟のように常に周りに合わせて生きるのが正しい、無難だという考え方についていけません。
もしかすると、人格形成に多大な影響を及ぼす幼少時に、保育園に通わなかった事が大きく影響しているのかなと考えています。
保育園での洗脳教育を受けてこなかったから、この世のアホらしい現実にいち早く気付き、洗脳から目覚めてRAPTブログの価値に気付くことができたんだろうなと思っています。
次回は私がRAPTブログに出会ったきっかけと、その後の人生の変化を書きますね。
最後に、洗脳について詳しく書かれているこのブログ記事をどうぞ。
「洗脳」とは何ら有益でないことを魅力的に思わせること。また、真に有益なことを魅力的に思わせないこと。