何を基準に考えて行動するかで人生は大きく変わる。意味不明な人生のサイクルから神様の存在を感じるようになった出来事

雑学録カルト宗教, キリスト教, 信仰の証, 聖書

前回は保育園から洗脳が始まっていますよという記事を書きました。
物心つくまでの時期は人格形成において非常に重要な期間です。
自己肯定感の有無、高低によって人間の考え方や思想、人生にまで大きく関わってくるからです。
でも、イルミナティという支配者層どもが気が遠くなる程の長い年月をかけてきた洗脳によって庶民が物事の本質を見えなくなるようにさせてきたのです。
今回はそれに絡めて私のRAPTブログとの出会いまで、出会った後の変化を書いていきますね。

HSP(Highly Sensitive Person)の私が自分の意志で自分の考えを持ち、自分の思うように生きて行こうと思ったきっかけ


HSPってなあに?っていう方も普通におられると思いますので、簡単に表現すると
生まれつき刺激に敏感で、周りからの刺激を過度に受け取ってしまう人のことを指すそうです。
詳しくはコチラをご参照ください。

私は今はそれなりに我が道を突き進む人生を送っていますが、子どもの頃は非常に後ろ向きな性格でした。

理由が何なのかはわからなかったのですが、小学生の頃から常に「死にたい」と考えながら生きていました。

生きるのが本当に辛くてたまりませんでした。
幼稚園の頃までは超マイペースで生きていたのですが、小学校に入ってからはよく

何で自分なんかがこの世に生まれてきたのか、自分は苦しむ為に生まれてきたのだろうか、お父さんとお母さんは何で私を産んだのか、どうしてこんなに苦しい思いをしてまで生きていかないといけないのか、とずっと悩んでいました。

今思えば洗脳教育を本格的に受け始めた頃=小学校と一致するなぁと考えています。

小学校に入ってからは親からよく、周りの人と同じようにしなさいとしつこい位に言われてきました。
少しでも周りの人と違う行動をしようものなら、もの凄く批判され場合によっては怒られました。

どこどこの〇〇ちゃんが〇しているから、同じようしなさい。
そんなことは女性がやるものではない。やめなさい。など。

学校にはちゃんと休まずに行ってましたし、勉強も科目によってバラつきはありましたが小学生の頃は普通位、
中学生の成績は中の上程度、高校生の頃は取れる資格は全て取り、受験勉強をしていたので上の方でした。

別に悪いことをしていたわけでもなく、周りの人がしないような事をしようとしていただけです。

親のいう事さえ聞いていれば怒られない、批判されないということを「学習」してからは、自分のやりたい事を抑えて親の望むような人になろうと考えるようになりました。

私は子どもの頃から野生の勘が鋭いので、親が子どもに対して何を望んでいるのか、どういうものが世間受けするのかがわかっていました。

つまりは、世間一般の人たちが行ってきた(いる)普通に学校に行って、普通に就職して、普通に結婚して、普通に子どもを産んで育てなさい。

という事です。

短大卒業後は保育士になる気は全くありませんでした。
私が何で短大に進んだのかについての詳細はコチラをご参照ください。

両親は安定を一番に臨んでいたのもあり、当時の沖縄は本当に仕事がなかったので私は仕方なく両親が喜ぶ公務員試験に挑むことにしました。

当時は本当に生きているのが苦痛でしかなく、何を食べても何を見ても心が動かないほど失望の中で生きていました。

私はベビーブーム世代且つ就職氷河期世代でもあるので、当時の公務員試験は恐ろしいくらいの倍率で熾烈な競争の中を勝ち抜かなければなりませんでした。

浪人生活1年目はやる気もなくほとんど勉強せずにいたので普通に落ちました。
浪人生活2年目は真面目に勉強したので、地元の役場の行政事務職の一次試験に受かりましたが、二次試験で落ちました。

その後に看護助手の現業職の試験にも受かりましたが、面接で話を聞いて心の奥底からやりたくないと思ったので、余程変な事さえしなければ誰でも受かるという噂の二次面接をすっぽかしてそのまま辞退しました。

両親にはかなり批判され、受かるまで受け続けるように言われましたが、私は仕事がないから仕方なく公務員になろうとしていただけなので、苦痛でしかありませんでした。

その後は適当にアルバイトをしながら、一応公務員試験の勉強を続けていました。
でも、ある日、どうしても精神的に耐えられなくなり父親にボソッと本音を言いました。

「何で公務員じゃないといけないの。このまま公務員になるしかないんだったら、これからの人生、もう生きていこうとは思えない。」

父親はようやく私が精神的に限界がきている事を悟ったようで、少し慌てた様子で

「公務員にならなくてもいいから。自分のやりたいようにしなさい。」

と言ってくれました。

それ以降、私は吹っ切れました。
自由だ!公務員にならなくてもいいんだと考えると希望の光のようなものを感じたのでたちまち笑顔になりました。

親はそれ以降、私に公務員を受けなさいとしつこく言うことはなくなりました。

普段、死んだ魚の目のような表情で生きていた私が、水を得た魚のように元気になったからでしょう。

実は私の父親も私と同じHSPでした。関係があるかはわかりませんが、家族の中で私たち2人だけ血液型も同じです。

子どもの頃から、母親と他の兄姉たちとは明らかに性質が違うなとは感じていました。
時々普通に会話がかみ合わない事があったのです。今もですが。

父親とはとても相性が良く仲良しで、実家にいた頃は時々自宅で、それぞれの好みの綺麗な女優さんの事から世界経済の事まで幅広い内容の話題をお酒を飲みながら楽しく議論していました。

よく、思春期の女の子がお父さんの洗濯物と一緒にしないで!みたいな話を聞きますが、私にはそれが全く理解できませんでした。

父親が私にとっての一番の理解者だったのです。

母親とは折が合わずに衝突しては精神が病みそうな時も、父親が支えてくれていたから私はそれまで自殺せずに生きてこられたのです。

自分のやりたい事をしようと考えると、今までには考えられなかったものすごいパワーを発揮できる


私はその後、元々勉強は好きな方だったのと、何人かの人に短大は中途半端だと言われたので、それならば大学くらい行ってやろうじゃないかと考え、通信制の四年生大学に編入学する事を決めました。

通信制大学を選んだのは単に学費が安いからです。

短大までの学費は親に出してもらいましたが、大学に行きたいのなら後は自分で稼ぎなさいと言われました。
親の言う事はごもっともです。

でも、さすがに普通の大学だと学費が恐ろしく高いし、その学費の分をペイできるかと考えるとすぐに無理だと思いました。

というのは、近所の秀才だった幼馴染や友人、知人が本土の有名大学や大学院に行って沖縄に帰ってきましたが、就職できない人がゴロゴロいるのを目の当たりにしていたからです。

しかも、女子だとその傾向が顕著で、ただでさえ男尊女卑思想の強い沖縄ではどう考えても厳しいだろうと考えたのです。

フルタイムの仕事をしながら、通信制の大学の3年次に編入学して勉強している内に、自分でもよくわからないのですが、テレビで見たパンダの可愛さに異様に惹かれ、無性に中国に行きたくなり留学を考えるようになりました。

それ以前に、私が学生時代に乗っていた車が故障し買い替える必要があり、父親からお金を借りて軽自動車の新車を一括購入し、父親に月に5万円ずつ分割で返済していました。

留学に行くまでの限られた一定期間で、車の購入費用、その維持費、大学の学費、留学費用をすべて自力で稼ぎながら勉強しなければいけません。

最初の時期はお役所で臨時職員として週5のフルタイムで働きながら大学の勉強をしていましたが、残業もほぼなく定時で帰れるので比較的余裕のある状態でした。

私は商業高校出身で日商簿記3級はすでに取得済でしたので、余裕のあるうちについでに日商簿記2級もとっておこうと思い、気合を入れて勉強したら無事に取得できました。

それから、一時期、私立幼稚園に正職員としてフルタイムで働きながら、夜は運転代行のバイトを掛け持ちし、その合間に大学の勉強をするという3足のわらじをはくという無謀な生活もやりました。

でも、さすがに睡眠不足で何度か死にそうな目(事故りそうになる)に遭ったので、3ヶ月で運転代行は辞めました。

沖縄は47都道府県で最低賃金額が最下位を争うくらいの所得の低さなので、お金を稼ぎながら大学の勉強を同時進行で行うのは容易な事ではありませんでした。

大学に編入学した当初は2年で大学を卒業しようと考えましたが、通信制大学は普通の大学と違って入るのは簡単でも、まともに勉強しないと卒業できないシステムになっています。

なので、働きながらだと厳しいという現実を身をもって知り、3年かけて卒業しようと決め、それを何とかやり遂げました。

ただ、私は実家住まいでしたし、母親がご飯を作ってくれてましたのでそれが可能だったのです。

何よりも、やりたくもないことを我慢してやっているのではなく、自分のやりたい事の為にやるならば自分でも思ってもいなかったくらいのパワーが出ます。

ただ、周りがやっているから、親が望むから、世間体を考えるとこうした方がいいから、無難に生きていくしかないと考えながらだとここまでの成果は出なかったと思います。

といいますか、私の場合、あのまま公務員になっていたら自ら命を絶っていたか衰弱死していたと思います。

人によって置かれている環境は違うと思いますが、実家に帰れるという環境にある人で、もし今の現状を変えたいという考えがあるのなら、世間体とか周囲の目とか気にせずに実家に帰ったらいいと思います。

給与水準の低い田舎でも実家住まいなら何とかなります。
実家には数万円程の食費を入れて、家事を時々手伝うなどすればいいと思います。

実家に帰れない人、実家のない人はシェアハウスを利用して住居費を安く抑えるとか、世間体や見栄の為に使っている月々の無駄な出費や時間を削れば、直ぐには無理でも少しずつ自分のやりたい事、望む方向に行ける確率が高くなると思います。

よく、マイルド貧困という言葉がありますが、都市部の家賃の馬鹿高い場所に住んでいたり、見栄の為の洋服や化粧品や付き合いに過剰にお金をかけていたりする場合も多いようです。

安くても小奇麗な清潔感のある服は買えますし、ブランドもので見栄をはっても自分の価値が上がるわけではありません。

付き合いにしても数か月に一度だけにするとか、一次会で切り上げるとかやりようはあると思います。

私も一時期、行政書士会関連の行事に出たり、所属する支部の付き合いで飲み会に参加していたりしていた事もありましたが、現在は必要な研修を除けば飲み会の類に行くのを一切止めました。

今思うと、かなりの金額が飲み会とかの付き合いで消えていましたし、止めたおかげで出費が激減しました。

ホントに無駄な出費だったなとしみじみ思います。

スマホにしても格安スマホも十分に使えるレベルになっているようですし、ゲームをする時間を読書とか何かの勉強や練習に充てれば無駄な時間も出費も減らせるどころか、別の能力が身に付くと思います。

もし、自分の現状を何とか変えたいという人は、それらを見直すだけでもだいぶ違ってくるのではないでしょうか。

留学から帰国後、就職の為に大阪へ移住すると意味不明なサイクルの人生に巻き込まれたが、それらの経験が自営業の為の基礎を作っている


中国(北京)から帰国して一度は会計事務所に就職したのですが、かなりのブラック事務所だったので2か月で辞めました。
この時の経緯はコチラをご参照ください。

当時はアルバイトすらろくに選べない地元と違って、選びすぎなければそれなりに仕事があるという事をインターネットの情報より知ったので、身内が住んでいた家に転がり込む形で大阪に就職する為に移住しました。

とりあえず繋ぎの仕事用として登録した派遣会社には事務職か販売職など保育園以外を希望しますと履歴書や経歴書にも書き、面接時にも口頭でハッキリと伝えたのですが、派遣会社が私に持ってきた仕事は保育園の保育士の仕事でした。

しかも、正職員になる為の紹介予定派遣という事でした。

でも、私にはその仕事をする気が全くなく、断る口実で

「社会保険加入で交通費全額支給で手取りが〇〇万以上ないと私は絶対やりません。」

と当時の相場からいえばべら棒な金額を提示したにもかかわらず、それでもやって欲しいと提示してきた待遇が、私が適当に言った条件を全てクリアした、本気ですか?といいたくなる位の金額でした。

担当者にはこれがギリギリの額ですからとも言われました。

とりあえず、当時の私には手元にある資金にそんなに余裕はありませんでしたし、正職員になる云々も双方の合意が有って初めて有効になるので、どうにでもなると考えお金の為にその仕事を受けました。

沖縄から大阪に移住して2週間目でとりあえず繋ぎの仕事は決まったのです。

その保育園は私が前回書いた記事の保育園になります。
私が無事に契約期間終了となったのは、普通に私が保育能力不足で思っていたより使えなかったのと、他に最低賃金レベルの水準で働く安くて若い人材が確保できたからだと思います。

結局は紹介予定派遣といっても、安い賃金で使い倒す為の人材募集の為の口実でしかなかったと思います。

話を元に戻しますが、その次の仕事は途切れる事なくすぐに見つかりました。
それを機に私は身内の家を出て一人暮らしを始めました。

次の仕事は紹介予定派遣で3ヶ月間問題なく働いたら正社員登用になる前提というもので、当時のその会社はテレビでバンバンCMを流すような大手企業でした。

私は真面目に働きましたし、仕事を教えてくれる社員の方も正式採用前提にきっちりと教えてくれました。

3ヶ月経つまであと2週間という日には、もうすぐ正式採用だねと社員にも言われていました。

でも、その数日後位に、その会社が業績不振により数千人規模のリストラをする事が発表されたのです。

多くの正社員、契約社員がその対象となる中、紹介予定派遣といえども派遣社員でしかないので、私を含めた全ての派遣社員が当然リストラ対象となりました。

当初の予定の3ヶ月後直ぐに契約終了というのも大変だろうから、一ヶ月派遣として期間を延長して働いて、その間に次の仕事を探してくださいと言われました。

同じ派遣会社に所属していた人は、リストラを言い渡された日にすぐ辞めましたが、私は仕事が見つかってから辞めようと考えていたので、必死に就活をしていました。
1週間ほどで次の会社での採用が決まったので、区切れのいい時期の2週間位働いてそこを退職し、直ぐに次の会社へ移りました。

不動産広告関連のベンチャー企業に正社員の営業職として就職しました。
起業したばかりの会社のオープニングスタッフという事でしばらくは研修三昧でした。

その内容は不動産業界の裏側とか非常に興味深いものもありましたが、所々、スピリチュアル的な要素も混じっていました。

社員間では、この会社大丈夫か?何かヤバイ宗教と絡んでいるじゃないの?と社長のいないところで話していた程です。

ちなみに社長は神道を信じていました。
その関係もあって、わざわざ大阪より費用は会社持ちの全社員総出で、伊勢神宮にお参りにも行きました。

私は、あーこれが有名な伊勢神宮かぁ~程度にしか思っていませんでしたが、今思えばあの時からあの会社の運命は落ちる方向へ一直線だったのかなとも思っています。

それに関して書くと話が戻せなくなるので別の記事で説明します。

当時の会社の事業としては、最初は無料お試し期間という事で様子を見て、効果が出たら本契約という流れで営業活動をしていました。

でも、社長があまりにも高い理想を追求し過ぎるため、その無料お試し期間が必要以上に長くなり、気が付いた時には会社の財政状態は火の車となっていました。

社員からはその前のかなり早い段階で、特定の場所で課金するなり、別のところで課金するなりして収益化を急いだほうが良いという提案が何度もありました。

収益化するにしても公告にそれなりの投資をする必要があったにも関わらず、最悪の事態に気付いた時には資金不足により結局はまともな投資が出来ずじまいで、収益化を図ろうにも図れないという泥沼に陥っていました。

終いには広告効果の期待できないものをハッタリで売り、有料契約をするように社長から要求された時は、さすがにそれは限りなく詐欺に近いだろうと思い、私も非常に苦しみました。

結局はその会社には1年半近く働きましたが、途中で社員全員の給料が減額されていったあげく、最後の2か月分は給料は貰えませんでした。

一応、退職後にその中の一部は払ってもらえましたが、それ以降は連絡がつかなくなりました。
その社長がどうなっているのか、不動産業界はヤ〇ザと繋がっていますし生きているのかどうかもわかりません。

少なくとも表舞台では活躍していないようです。

その会社を退職後は、ある体育会系の会社に営業職として就職しました。
そこは8日間が試用期間でした。
私は8日間で無理だと悟り、速やかに辞めました。

その後、体調を崩してしまったので、半年間ほどは無職のままこれまでため込んでいた貯金を切り崩しながら自宅で静養していました。

体調が回復したころ、ある有名企業の直の下請け会社(大手企業)に契約社員の営業職として就職しました。

そこでの仕事は大手の看板を背負っての営業だったので、比較的契約がとりやすく、私が女性だからというものあったらしくお客さんの反応も悪くはなく、ノルマは悠々とこなしていました。

契約さえとれれば結構自由に動けたので、このまま契約社員から正社員を目指そうかなと考え始めていました。

その仕事は渡されたリストを元に電話でアポを取ってから直接行って営業したり、その場に直接行って交渉する事もあるという営業方法でした。

でも、ある時期からそのリストの通りに連絡してもすでに契約済の案件だったり、連絡が取れず直接行ってみたところ、物件自体がすでになくなっていたりと、営業しようにもリストの内容がほとんど信用できない程にまでなっていました。

市場が既に飽和状態に近づきつつある時期だったのかもしれません。

これでは契約どころか無駄足を踏むだけで終わるという状態が続いたため、インセンティブなんてとても望める状況にないと失望した多くの社員が辞めて行きました。

私もしばらくは何とか踏ん張っていましたが、このままだとインセンティブどころかノルマすら達成できず、この仕事には先はないと判断し退職しました。

次は前の会社で営業中に、偶然、以前8日間だけ試用期間で働いて辞めた会社の専務とバッタリと再会し一緒にある事業をやらないかと誘われたのをきっかけに、個人事業主に雇われて電話営業のアルバイトをする事になりました。

そこでの仕事は最初は順調でアポもそれなりに取れていて、かなりの売り上げを上げていたようです。
でも、時間が経つにつれ営業成績は微妙な状況になりました。

今になって思えば、やればやるほど慢心し私の中に邪気みたいなものが出てきて、それを察知したお客さんが逃げるようになったのかもしれません。

私に限らず一緒に働いていた人の調子も同じように悪くなって、結局はその個人事業主は電話営業のバイトを解雇という形で終了しました。

その電話営業をしていた時期に、その個人事業主が仕事を貰っていた会社の社長が私の営業電話の様子を時々聞いていたようで、私に電話営業ではなく、訪問販売をしないかと熱心に持ち掛けてきたのです。

ちょうど失業した時期でもあり、契約さえとればインセンティブによりそれなりの金額の給料になるし、正社員として雇用するという言葉につられて私はその会社に就職しました。

試用期間の3ヶ月間は全く契約が取れませんでした。

不思議な事に4か月目から大きい案件を取れるようになりました。
月に1件の契約でしたが、取れた案件の額が大きかったので利益が大きかったらしく、会社としては私に営業幹部になるようにと期待をかけていたようです。

ただ7か月目までは何とかその状態を維持できていましたが、8か月になった頃には私の体調に数々の異変が起こり精神そのものも病み始めていて、契約がとれなくなっていきました。

営業は契約がとれてナンボの世界なので、私もそろそろ潮時かなと考えて悩んでいました。

その頃ちょうど一時的に体調を崩して一年程無職だった私の配偶者の転職先が決まりました。
その場所が何と、北海道だったのです。

最初はそれを聞いて悩みました。
一応は正社員だしもう少し頑張ろうかなと考えていたので、配偶者には一人で北海道に移住してもらい半年近く別々に暮らしていました。

でも、ある日、私の精神状態がとうとう限界を超えてしまい、最悪の状態にまで陥りました。

仕事中でしたが人気のない場所に移動し、泣きながらもう無理だ。このまま死んでしまおう。どうやって死のうか。と1時間くらい考えていました。

その時、泣きつかれた時に一瞬冷静になり、頭の中にフッと「自営業として独立すればいい」と浮かびました。
あ、そうか。とそれで吹っ切れました。

そうだ、仕事で死ぬなんてアホらしい。仕事なんてどうにでもなる。
そこまでして働き続けるような仕事でも会社でもないよな。

と冷静に考えられるようになり、その場で上司に退職の意志を伝えてその日で辞めました。

そして住んでいた大阪の物件を引き払い、私は配偶者のいる北海道へと引っ越しました。

 

北海道ではせどりを中心に薄利多売の自営業を細々と営んでいました。

Amazonのマーケットプレイスのアカウントが未だに残っています。
(Amazon側の都合で未だ消せていない)
そのアカウントを元に楽天からの出店の誘いがしつこい位にありました。
(電話番号変えたので今はなし)

最初は何とか収支トントンでやれていましたが、いろんな反日在日朝鮮半島系の情報商材販売業者の誇大広告に騙されてロクでもないボッタくり商材を購入してしまい、一時期それなりの額の借金を背負いました。

そこで私は冷静になり、破産を考えるまでの金額ではなかったので、素直に身内の助けを借りて金融機関への返済を一括で終わらせて、それ以上増えないように債務整理をしました。

その頃、私の配偶者の父親(私の義理の父)が肺癌という名の病気で他界しました。
残された母親(私の義理の母)がものすごく落ち込んで、心配なので大阪に戻る事になりました。

大阪に戻ってからしばらくは、いろいろなアルバイトを掛け持ちしながら、私が自営業で販売していた商品の在庫を売り捌いていくという生活をしていました。

ある程度在庫が捌けてきたので徹底的に稼ごうと、これまで避けてきた保育の仕事に戻りました。

大阪は自治体にもよりますが、時給や日給が東京よりもそれなりに高いので、効率よく稼ぐ方法はそれ以外にないと思ったからです。

私にとってはものすごく辛くて死にたくなるレベルの仕事内容でしたが、何とか耐え抜いて雇用期間まで働きました。

しばらくすると、配偶者の仕事の都合(転職)で東京に移住する事になりました。

東京に移住してからは、細々と超マイペースで行政書士として開業しながら、時給の高いアルバイトを意図的に選んで必死に働いたので、身内から借りていたお金も分割でほぼ返済し終えました。

まだ少し、残っていますがそれは今、行政書士として受けている仕事で完済できる予定です。

その仕事はいろんな意味でやっかいな案件で、完遂するまでに気が遠くなる程の期間を要しますので、実際に報酬を受け取るのは仕事が完全に終わってからにしています。

でも、扱う金額がかなり大きいのでそれなりの金額が報酬として入ってきます。

必要経費はちゃんと前もって貰っています。

そのまま他の士業に丸投げするとべら棒な報酬を請求されることは確実なので、個人として、行政書士として私がやれる分は私がやっています。

身内の案件なので、身内としてやるのが可能なものは私個人の名前で手伝い、行政書士としてできるものは行政書士としてやっています。

例えば捜索願関連の警察との交渉や家庭裁判所とのやり取りのサポートは行政書士の業務範囲外ですが、私はクライアントの身内でもあるので、私が個人で行っています。

遺産相続に関する事は行政書士の業務範囲内なので行政書士として行っています。

遺産相続の案件なので、財産目録の作成とか相続税の概算金額の確認、遺産である不動産関連の情報収集や財産調査など、今まで私が会社勤めでやってきた仕事の全てが今の仕事に役立っています。

 

ここに書いてきた仕事以外にもいろいろなところで繋ぎで働いていました。
その時は普通に契約期間まで働き続けられました。

でも、私がこの仕事を正社員、契約社員としてずっと続けていこうという意思でもって定職に就くと、うんざりするくらい
会社の業績悪化でリストラされたり、給料不払いで退職せざるを得なくなったり、精神を病んで退職するに至るのです。

しかも契約社員、正社員として就職した会社にはどれも8か月程のサイクルで退職するに至っています。

ベンチャー企業で働いた期間も途中で減額されたのを含めて給料がきちんと貰えた月日は
一年と4ヶ月、つまり8か月×2になるのです。

私が定職に就くと必ず業績不振で会社が傾いたり、働き続けるのが困難な状況に陥るのです。

一時期はどうしていつもこうなるんだろう、何でこんなに苦しまなくてはいけないのだろう。
と真剣に悩みました。

でも、ある時ふと、これは私に会社員はやめなさいと言っているのではないか。
私に自営業をしなさいと言っているのではないか。

と漠然と考えるようになりました。

ひょっとすると私のこれまでの、わけのわからない人生のサイクル

・定職に就くと仕事が続けられなくなる状況に陥る
・やたらと引っ越しばかりしているので仕事がよく変わり、定職に就くのが厳しい
・いろいろな種類の仕事を経験しているので、知識や経験はそれだけ多くなる

今となっては、それらはもしかしたら今の仕事の為に起こるべくして起きたのではないかと思うくらいです。

そしてこれだけではなく、私にはもっとやるべき事があって、今の状況はそのトレーニングの一部なのかもしれません。

偶然にしては出来過ぎていますので。

身内の死から若い頃の願望を思い出し、偶然とは思えない出会いから漠然と神様の存在を感じるようになる


私が大阪に住んでいた時、父親が「肝臓癌」という病名で他界しました。
最初は肝硬変だったのが癌に変わったとの説明を医者から受けました。

当時は余命があと半年だと言われ、手術をした方がいいとの事で手術を受けました。
でもその後、数か月早く容体が悪化してその1週間後位には他界しました。

予定より早くに亡くなったのは、高齢の身体に手術そのものが負担だったのかもしれないとも言われました。

確かに私の父はかなりの飲兵衛でしたが、健康管理には十分に気を遣っていました。
実家で飼っていた犬の散歩を毎日1時間程していました。

ただ、気を遣い過ぎる余りに多少の不調(高血圧)を指摘され、病院から貰った薬を言われた通りに律義に、何種類もの薬を大量に毎日飲み続けていました。

癌ではなくて、薬の大量服用で肝臓をやられただけではないかと私は考えています。

RAPTブログの癌というものは存在せず、よくわからない病気や単なる良性腫瘍を癌だと偽る事で、医者や病院、薬品業界などぼろ儲けする為の茶番ではないかという説の方が、より現実的で納得がいくように私は思います。

もし、本当にお酒の飲み過ぎで肝臓癌になるのならば、全ての飲兵衛がそうなっていてもおかしくありません。

健康に全く気を遣っていない私の知り合いの老害が、浴びる程お酒を飲んでいるのに未だにしぶとく元気に生きている時点で、怪しさ満点だと考えていますし

私の友人のお母さんが医者から胃癌だと宣告されたそうですが、手術する事なく10年以上経っても元気に暮らせているという話を聞いていると、癌なんてものは嘘としか思えないのです。

父が他界した時点ではRAPTブログはまだ存在していなかったのですが、その時から私は現代医療に関する不信感を持ち始めていました。
それが私が健康マニアになるきっかけとなったのです。

私にとって父はこの世で一番の理解者だったのでものすごくショックでした。
私が父の死から完全に立ち直るのに3年かかりました。

父が他界してから数か月後に、私が溺愛していた実家で飼っていた犬まで病気で他界したのですが、その時は本当に自分はこの世で生きていても仕方がないと本気で思いました。
当時の私はペットロス症候群にも陥っていたのだと思います。

でも、当時、恋人関係にあった私の配偶者に支えられて、何とか前向きに生きて行こうと考えるようになり、少しずつ立ち直る方向に行くことができました。

付き合っている当時は、彼は周りに対して俺に近寄るな!オーラを発していたようなタイプだったので、よくわからなかったのですが、一緒に住むようになってから平和オーラを発するようになっていきました。

その時に初めて彼が私の父親とよく似ているタイプだという事に気が付きました。

よく、娘は父親に似ている人を選ぶという話を聞いた事がありますが、まさか自分の相手がそうだったのだとは思いもしませんでした。

実は私が12歳位の頃、どうしてそう考えたのかという理由は自分でも思い出せないのですが、何故かSEや京都人に漠然とした憧れを持っていって、将来結婚するんならそういう人が良いなと何となく考えていたのを思い出しました。

実際に私の配偶者と知り合うまでは、その事をきれいさっぱりと忘れていましたが、一緒になってからそれを思い出しました。

彼は私が幼い頃に漠然と考えていた理想のタイプであり、実際にも父親とよく似たタイプでもあると。

しかも、出会ったのが心の拠り所だった父親が他界する少し前だったという絶妙なタイミングで、出会ってから(結婚前から)現在までトータル10年もの付き合いになります。

彼とは父親と同じように議論できるし、日頃のちょっとした疑問をぶつけてもちゃんと父親のように丁寧に答えてくれるしで、本当に父親みたいだなとしみじみ思います。

もしかして、私が自ら命を絶たないように神様が私の配偶者と出会わせてくれたのかもしれないと最近は考えています。

あまりにも偶然が重なり過ぎているので。

RAPTブログを知ったきっかけと聖書を読み始めた動機、それらに伴う思考の変化から聖書の効用を分析する


私がRAPTブログを知ったのはさゆふらっとまうんどのブログが最初のきっかけです。

まず、どうしてさゆふらっとまうんどのブログに行きついたかといえば、インターネットで健康関連の情報収集をしている時にふと、何故かJAL123便の事故の事がフッと頭に浮かんだんですね。

そういえば、あの事件の真相はどうだったんだろうと検索すると、さゆふらっとまうんどのブログが目に付いたのです。

そのブログのコメント欄に書き込まれていたコメントの一つに、RAPTブログのリンクが貼られてあったんです。

何となく興味が湧いてきて、そのリンクから飛んでRAPTブログを読むと、さゆふらっとまうんどのブログがちゃっちく思えるくらい内容が濃くて、わかりやすい文章だったのでびっくりしました。

他の記事を読めば読むほど、私がこれまで疑問に思っていた世の中の事、神様や悪魔などの霊的な存在、私がこれまで気づかなかった新たな視点など、濃い内容の記事ばかりだったので、貪るように読んでいきました。

かなり膨大な量の記事がありますので、何回かに分けて少しずつ読みました。

トークラジオとかも最初はよく理解できないものもありましたが、何度か聞いていると、あ、そういう事だったのか!と少しずつ霊感みたいなものが浮かんできました。

そして、今まで何となく不思議だな、どうしてなんだろう?と考えていた事が次から次へと繋がっていくのを感じたのです。

でも私は、しばらくは一般記事だけをひたすら読んでいました。

途中で有料記事の存在に気付いていましたが、当時の私は反日在日朝鮮半島系の情報商材販売業者に騙されて苦労した時の経験から、有料記事という言葉に嫌悪感をかなり抱いていたのと

創価学会系にはかなり嫌な思いをさせられた経験があるので、かなりの宗教アレルギーになっていたのです。

キリスト教=宗教なんてとんでもない。心の弱い人が信仰するものだ。宗教なんてどれも同じようなものだ。と決めつけていたので、私は自分には必要ないものだと避けていました。

でも、一般記事を読むだけでは自分でもよくわからない心のモヤモヤとか、漠然とした不安や心配の正体がわからずにいて、時々悩んでもいました。

そうして、世の中のカラクリはわかってきたけど、それを知ったからといって一体どうしたらこの嫌な世の中を変えられるんだろう。

もしかしたらこの有料記事の中にそのヒントがあるのかもしれないと考えるようになり、有料記事を読んでみました。

最初は何となくいい内容が書かれているなーと、心が少しずつ楽になっていくような感じがしました。
でも、当時はイマイチその内容を理解できていませんでした。

読み進めていけばそのうちわかるようになるかな?と、ついつい試験勉強のような感じでどんどん読み進めていました。

そんな時に、RAPTさんのこの世を変えるために協力してくれる人を募集していますといった内容の記事を見て、私にもできる事があるかもしれないと応募し、RAPTさんとスカイプで話をしました。

その会話の中で私はRAPTさんの、聖書を読むと頭の回転が速くなり、記憶力が良くなるという言葉に強く興味を惹かれたんですね。

私はその頃ちょうど、行政書士試験に向けて勉強していましたが、イマイチ集中力が続かないし、雑念が入って頭にあんまり入らないし、覚えてもすぐに忘れちゃうしでどうしたものかと悩んでいたのです。

以前書いた記事でも書いていますが、とある速読法の訓練の一つに、「新聞記事のように短い段落構成の文章を、速いスピードで目で追っていくのを繰り返す」というやり方があるのですが

聖書なら短い段落で構成されているから、速読の練習に最適かもしれないという信仰とは違った意味で、試験勉強に役に立つのではないかという実利的な目的の為に読み始めたのです。

当時、実際に読んでみた私の正直な感想は、ファンタジーみたいな感じだな。でした。

でも、ファンタジーみたいなものを読んで試験に受かるんなら儲けものだなーという軽い気持ちでどんどん読み進めていきました。

昔の人はこんな生活をしてたんだなー、実質的には今とそんなに変わらないかもなー、ファンタジーにしては話の内容がとても簡潔だし、そう考えるとファンタジーとも違うなーと、一つの小説を読むような感じで読んでいました。

区切れのいいところで読み終えて試験勉強にとりかかると、びっくりするほど雑念がなくなっているのです。

難解な日本語が延々と書かれている判例集を読んでも、不思議な位に頭に入っていくのです。
正直、まじっすか?!と思いました。

そういえば、聖書は論理的思考を養うのに役立つという話を聞いたことがあります。

おそらく日本の法律の条文は、どこかのお偉い学者さんが、庶民に簡単に理解できないようにするのを目的に、敢えてわかりにくくする為に、独特の言い回しで書いたものだろうだと私は考えています。

庶民が簡単に理解できてしまうと、支配者層どもの都合の良い法解釈によって判決を下すのに支障をきたしますからね。

実際に、今の日本の裁判は、特に上級国民どもの事件や事故に関するものは、屁理屈としかいいようのない意味不明な法解釈により、一般国民には納得がいかないような判決が下っています。

例えば、福島原発事故で東京地裁による東電の旧経営陣3人への無罪判決や、山口敬之氏のレイプもみ消し事件など。

まだ裁判にもなっていませんが、将来ある2人の親子をひき殺した池袋暴走事故の飯塚幸三容疑者が未だに逮捕も起訴もされていない件もわかりやすい例ですね。

ですから、感情的にならないように冷静にその独特の言い回しの特徴を掴みながら、論理的思考でもって解釈しないと条文の意味は理解できないのです。

そう考えると、聖書は単なるファンタジーでは決してなく、実際には事実を元に書かれており、科学的見地からも神様が予め計算して人間に書かせたものとも言えるのではないでしょうか。

事実を元に書かれているからこそ、説得力があり、日本以外の国の多くの人々に受け入れられているのではないでしょうか。

だからこそ、史上最大のロング・ベストセラーにもなっているのだと思います。

現在私は聖書を試験勉強時の速読のように読むのではなく、じっくりと条文を解釈するかのように読んでいます。

といっても、読み始めた時は通しで三回読んでもイマイチ意味が理解できていませんでした。

でも、RAPTブログの有料記事にはその聖書の読み方をわかりやすいように具体例を交えながら解説していますので、今は以前と比べるとだいぶ理解できるようになりました。

時間をおいてまた同じ個所を読むと、また別の違った視点を得られることも徐々に増えてきました。
でも、実際にそう思えるまでにはそれなりの時間がかかりましたし、直ぐには難しいかもしれません。

でも、聖書は私のように論理的思考を求める人のみならず、この世の真実や真理、本当に進むべき正しい道とは何なのか?などの人生を生きる為に必要な事を知るのにも大いに役立つと思います。

現在の私の実生活においても聖書を知る前の頃と比べると、物事の本質をより見抜く事ができるようになりました。

結果として、感情に溺れる事なくかなり冷静に物事を判断し行動できるようにもなりました。

相手が警察だろうが家庭裁判所調査官だろうがどっかのお偉いさんだろうが、政治家だろうが、頭のオカシイ老害だろうが臆することなく正面から向き合う事が可能になりました。

ある意味、肝が据わってきたとも言えるかもしれません。

借金の返済の為に死にそうになりながら必死に働いていて辛かった時や、頭のオカシイA氏に散々振り回されて悩み苦しんでいた時は正直言って

どうして私はこんなに苦しまなくてはいけないんだろう、神様がいたとしても自分は嫌われているのだろうかと絶望した時もありました。

でも、それらのものすごく苦しかった出来事を乗り越えたおかげで、詐欺や詐欺まがいの商品やサービス、人物などをかなり的確に見分けられるようになりましたので、無駄なお金や時間を浪費する事もなくなりました。

人間関係においても、自分にとっては全く必要のない付き合いやイベントには参加する事がなくなったので、煩わしい思いをする事も激減しました。

論理的思考で生活するのが標準となりつつありますので、知識のみならずいろいろな知恵も確実についてきています。

人間はある程度痛い目に遭わないと理解できない生きモノなので、実体験によってようやく悟ることができるようになるものなのだなと改めて思います。

これこそが、禍を転じて福と為すという事になるのではないでしょうか。

これまで真面目に真っ直ぐに生きてきた人が何らかの苦しい体験をするのは、本人が未熟だからという事も当然あると思います。

ただ、それだけではなく、その人が人間としてこの世に生まれてきて成すべき使命があり、それを果たす為に、神様から鍛えられているという可能性も十分あると思います。

物事の本質を見抜くことができるようになる人が増えれば、必ずこの腐敗しきった世の中を変える事ができる


これまで支配者層であるイルミナティども、日本では特に極悪ユダヤ系の末裔でもある李家が日本社会を牛耳ることができていたのは

奴らの気が遠くなる程の長い期間をかけて行ってきた洗脳工作により、多くの庶民が愚民化してしまっていたからです。

でも、一人でも多くの人がこの世の真実を知り、洗脳から完全に目覚め、常に物事の本質を見抜いて考え行動していく人が増えれば必ず、李家一族及びその小間使いでしかない反日在日朝鮮半島系の工作員どもはこれまで通り好き勝手できなくなります。

一人でも多くの人がイルミナティを始めとする支配者層どもに騙されることなく、賢く生きていけば、奴らの餌食にならずに生きられますし、奴らを自滅へと向かわせることも可能です。

奴らはこれまでは、大した実力がなくても、詐欺或いは詐欺的な手法で誤魔化したり、コネや人脈、庶民から搾取して得てきた財力の力と悪魔の力によってのし上がり、のさばってきたのです。

その辺の新興宗教や神道、仏教のような人間によって意図的に作られた嘘の宗教を信じても、不幸になることは事はあっても幸せになる事は絶対にありません。

私はこれまでいろいろな宗教を信じる人たちを観察してきましたが、一時的に人脈やお金で成功しているように見えた人でも、後になってから悲惨な人生を歩んでいる人をたくさん見てきました。

私が以前書いた全能神についての翻訳記事は、それを信じた人たちがどのような末路を辿るのかというわかりやすいサンプルにもなっています。

その翻訳記事はできるだけ全能神についての新しい情報を知っておいた方がいいという考えから、今の段階での最新の情報だけをピックアップしています。

それ以外にも日本語での多少古い情報邪教全能神に警戒に加えて、そのサイトの下部にあるリンクの記事などもあります。

お読みになればどれを見ても大した違いはなく、ほとんど変わっていないのをご理解いただけるかと思います。

RAPTブログ及びその有料記事からの情報によれば、日本にたくさんあるキリスト教会は全て気が遠くなる程の長い年月をかけて、支配者層どもに乗っ取られてきた(いる)そうです。

ではどうして支配者層どもは教会乗っ取りなどという、時間もお金も労力もかかるような面倒くさい事をしてきたと思いますか?

世の中に嘘のキリスト教を広めて浸透させる事により、全知全能の神様の事を信じる本当の宗教はキリスト教であるという事実を隠したいからです。

本当のキリスト教が広まると、これまで気が遠くなる程の長い年月をかけて洗脳してきた庶民が真実を知る事になります。
そうなれば奴らの支配体制は確実に崩れます。

奴らは自分たちがこれまで行ってきた悪事や、悪魔を拝んで力を得てのし上がってきた悪魔崇拝者である事などがバレると庶民から迫害され
さらに、神様に徹底的に裁かれて滅びるか、自滅するかのどちらかでしかないとわかっているからです。

悪魔と悪魔崇拝者
神様と義人(神様を信じて愛する人)

これらの霊的な存在と肉的な存在(人間)はこの世に確実に存在します。

そして、どうして聖書が世界のロング・ベストセラーとなっているのでしょうか。
本当の神様の事が書かれてあるからです。

キリスト教こそが全知全能の神様の事を知る手がかりであり、聖書によってそれを知ることができるからです。

それから、人間としてこの世に生まれてきたからには論理的思考でもって冷静に考え行動する事の重要性を認識し

本当のキリスト教というものを知ってより賢く生きる事で、一人でも多くの人が人間としての本当の幸せを掴んで欲しいと心から願っています。

これらの事を具体的により深くはっきりと知るには、是非ともRAPTブログ及び有料記事の解説を元に聖書をお読みいただければと思います。

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