目に見えないものを感じる=野生の勘=波長を感じる。は同じではなかろうか

雑学録ミナのラジオ, 信仰の証, 波長, 電磁波


北千住駅近くの歩道橋の画像です。

先日、私の配偶者が美容室で散髪をした後に、南千住辺りのスーパーに「夕ご飯に食べるお寿司を買い物に行こう!」ということで、乗換駅である北千住駅西口近くの歩道橋で待ち合わせをしていました。

その間、私はルミネで買い物をして過ごし、歩道橋のベンチ近くで成城石井で買った豆乳を飲みながら立っている時に、見知らぬ女性から声をかけられました。

おそらくその女性は普段は他府県に住んでいて土地勘があまりない方らしく、私に電車の乗り換え方法が正しいのか否かを聞いて確認したかったようです。

私は関東に引っ越して4年になりますが、電車に乗る頻度はあまり多くないので関東の電車にはそんなには詳しくなく内心ドキドキしていたのですが、自分が知っている範囲でその女性の質問に「〇〇ですよ」等、何とかご案内しました。

後で、私の配偶者と合流し、自分の案内は正しかったのか否かを確認すると、ちゃんと合っていました。

このような感じで、知らない人から道を聞かれたりすることが多いのですが、私自身、土地勘が未だに微妙で方向音痴な上に、時々電車の乗り換えに悩むことがあるので、間違った情報を教えたら相手に申し訳ないと考えていたので本当に安心しました。

基本的に、私も土地勘のない場所で道に迷った時は、近くにいる人に素直に聞くようにしているのですが、野生の勘でこの人かな?と感じた、聞きやすそうな人を選んでいます。

すると、その人がその情報を持っていなかった場合を除けば、かなりの確率で親切丁寧に教えてもらえますので、問題なく目的地にたどり着くことが出来ています。

そして先日、野生の勘は大事だよねーと考えながらRAPT理論プラスαの記事を読んでいると、そのサイトで私の中では一番のお気に入りのカテゴリーのミナのラジオでRAPTさんとミナさんの対談の回で、波長の話が出てきました。

私は以前の記事(コチラ)でも書いているように、目に見えないもの、特に幽霊とか目に見えない世界に興味津々なので日頃からちょくちょく研究しており、ミナのラジオ第6回はまさに私にとってドンピシャな内容でした。

それは下記の回になりますので、ご参照ください。

【第6回】ミナのラジオ – RAPTさんが普段から感じている波長とは何か? – ゲスト・RAPTさん

この回で、ミナさんが

幼い頃の自分は母親の感情に敏感だった

という話に対してRAPTさんが

子どもの頃は親が本音を喋っていないと本能的にわかっている
相手の腹を探るので、子どもはそういう力を発達させている

と答えられています。

それから大体8:12~からミナさんが

こうして欲しい、ああして欲しいとイライラしている時に、子どもの態度が急に変わり出したりする

という話に対してRAPTさんが

子どもは敏感に察知している

と答えられています。

 

それを聞いていて、以前、保育園で仕事をしていた時のことを思い出しました。

4年以上前に、大阪で1歳児クラスの担任の先生の補助をしていた時の話です。

ある天気の良い日、子どもたちは園庭で遊んでいましたが給食の時間になったので、ほとんどの子どもたちは保育士の声掛けでお部屋に入りました。

でも、1歳半位の男の子一人(以下M君とします)だけが園庭で遊んだままで、そこから動こうとしませんでした。

担任の先生たちは他の子どもたちの世話で全く余裕がなく、補助に入っていた私がM君をお部屋まで連れていく必要がありました。

ただ当時の私は、一つのクラスのみではなく、必要に応じて全てのクラスに回って担任の先生を補助をするフリー保育士として仕事に入っていたのと、その園にも来たばかりで、まだ子どもたちとの信頼関係はできていませんでした。

無理に抱っこして連れて行こうものならば、機嫌が悪くなって大泣きし、ご飯を食べさせるのが大変になってしまいます。

個人差はありますが、1歳半位ともなると少しずつ自我が出始める頃であり、さらにM君は人見知りをするタイプだったのもあって、どうしたものかと少し悩みました。

時間にあまり余裕がなかったのもあり、その時の私は、焦って早くM君を連れて行かないと!と考えながら、「ご飯だよ。お部屋に入ろうね」と何度か声掛けしましたが、M君は聞き入れようとはしませんでした。

ふと、もしかするとM君は、私が仕事を時間通りに進めようと焦っており、M君の気持ちよりも仕事をどうにか上手く回すことを優先に考えていることを察知しているのかもしれない。と頭に浮かびました。

そこで私は反省して考えを改め、M君に本音で話しました。

あのね、M君、もう、ご飯の時間だから、みんなお部屋に行ったよ。
このままここで遊んでいたら、ご飯食べられなくなっちゃうよ。
ご飯食べなかったら、お腹が空いて元気に遊べなくなっちゃうよ。
M君が元気なくなっちゃったら、先生もお友達もお母さんもみんな心配するよ。
ご飯食べて、お昼寝したらまたいっぱい遊べるから、お部屋に行こうよ。

とM君の目を見て言うとM君は納得してくれたようで、自分でお部屋に戻りました。

その出来事以降、M君は私に対して心を開いてくれるようになりました。この経験から

 

子どもの察知能力は、元々人間が生まれ持った野生の勘であり、それによって波長(電磁波)を感じているのではないか。

でもそれは、大人になるにつれてコミュニケーション能力も発達していく関係から、野生の勘をそこまで鍛える必要がなくなり、本人がそれを意識して生活しないと鈍っていってしまうのでは?

などと、見えない世界のことを、日常生活と照らし合わせて深く考えるようになっています。

真理の探究はとても楽しいですし、物事を深く考えられるようになるので、日々、大小様々な悟りを得ることができています。

真理を深く悟ることで視野が広まり、より日常生活が充実しています。

その真理を具体的にわかりやすく教えてくれるのはRAPTブログとRAPTブログの有料記事と聖書です。

ただ、それらは真理をいろいろな角度、視点からわかりやすく説明している関係で、膨大な量となっています。

その量に圧倒されて、なかなか読み進めるまでにはいかないなぁという方は、とりあえずRAPT理論プラスαをどうぞ。

いやいや、先ずは世の中のカラクリを知りたい!という方はRAPTブログを。

世の中のカラクリよりも、目に見えない世界の方に興味津々!という方はRAPTブログの有料記事を読み進めながら聖書を読む事をおススメします。