人から指摘され、拒否反応が出た時と素直に受け入れた時の違いは何か
人間という生きモノは、生きている限り、子どもから大人に至るまで大小様々な失敗をします。
その失敗に自分で気付く時もあれば、人に指摘されてようやく気付く時もあります。
人から指摘された時に
どう考えてもお門違いで、下の画像のようにあたおか(意味はコチラ)レベルで全くもって意味不明な場合は
は?何を仰っているのですか?頭湧いてる?となりますが
その指摘は正しい、間違いない。という場合は、悔い改めて軌道修正すれば成長できます。
でも、いくらその指摘が正しかったとしても
●頭ではそれとなくわかっているけど、拒否反応が出て受け入れられない時
●そうか、その通りだな。と素直に受け入れられる時
があります。
その違いは何でしょうか。
拒否反応が出ている時の例でわかりやすいのが、日本国民ならば誰もが知っているであろう、このシーンですね。
一人だけ次元の違う怒り方をしてくるのび太の母
こんな怒られ方をされると、うるさいのが終わるまで、ひたすら我慢、我慢と、耐え忍ぶしかなくなります。
聖書にもこう書かれています。
より
愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。
要するに
愛がないと相手の心に響かないどころか、騒音でしかない。ということですね。
ただ、のび太のママには、愛が全くないわけではないとは思いますが
のび太のことよりも、世間体を気にしている。という愛以外の邪まな気持ちが入っているので
その時点でのび太は、騒音から自分を守るために、耳を塞ぐしかなく、頭にも心にも入らない。
ということになるのではないでしょうか。
それから、親子間のみならず、男女問わず、大人同士でも同じようなことがあります。
例えば
間違いを指摘されるのは、相手の性格やその場の状況によっては、ものすごく辛くて屈辱的な場合もあります。
それなのに、相手の話をまともに聞くことなく、いきなり頭ごなしに感情的に指摘すると、
何でこんなことを言われないといけないの。
そんなつもりじゃないのに、いきなり勝手に決めつけないで欲しい。
と相手も感情的になって反発心が出ます。
いくら指摘が正しくても、指摘される人にも、その人なりの言い分があるので一筋縄ではいきません。
指摘する人が自分よりも年下だったりすると、その傾向はより高くなりますが、相手が同性か否かにかかわらず、先輩や年上の人からの指摘だったとしても、状況はあまり変わりません。
特に、信頼関係があまりできていない場合だと、最悪、人間関係のトラブルにまで発展してしまう可能性もあります。
さらに、指摘する側に、何でこんなこともわからないの?空気読めないの?という怒りの感情が入っていると
たとえそれを言葉に出さなかったとしても、相手にその怒りがダイレクトに伝わります。
その時点で相手は心を閉ざしてしまうので、指摘する側の意図が伝わり難くなります。
特に、女性がよくやってしまうパターンの一つでもあります。
それでは、どのようにすれば相手にわかってもらえるのでしょうか。
まずは、指摘する側が冷静に、相手を気遣いながら
どうしてそのような言動に至ったのか、もし差し支えなければ聞かせてくれませんか。
と、相手の話をじっくりと聞いてください。
共感できる部分があれば
あなたがそう考えるのは理解できます。
と同意し、共感できない場合でも
そうなんですね。あなたはそういう認識だったんですね。
と相手の気持ちを一旦受けとめます。
その後に言葉を慎重に選んで
こういう理由で、私はこうした方が良いと思うのですが、どうでしょうか?
と自分の気持ちを伝えます。
相手は、最初に自分の気持ちをしっかりと聞いてもらっているので、指摘された内容を落ち着いて冷静に考えることができます。
仮に、相手から指摘されたことを直ぐには受け入れられなかったとしても、
自分はこう思っていたけど、もしかすると間違っているのかもしれない。
相手は自分のことを考えて指摘してくれているんだな。ありがたいな。
と好意的に受け止めてくれるようになります。
言いにくいことでも冷静に落ち着いて、言葉を慎重に選んだ上で真心を込めて伝えると、相手には愛がちゃんと伝わりますので、指摘を受け入れてもらえる可能性も高くなります。
相手の年齢や性格にもよりますので一概には言えない部分もありますが、その後の人間関係が悪くなったり、トラブルに発展する可能性もぐっと下がります。
相手のことがどうでもいいのなら、指摘しない、必要以外関わらない、もしくは、そのまま疎遠になるという選択肢もあります。
それでも、言いにくいことを敢えて指摘するのは、相手に変わって欲しい、成長して欲しいという、相手に対する愛があるからそうするのではないでしょうか。
RAPTブログの有料記事の御言葉の中に
全てを愛で行いなさい
という言葉がありました。
愛を理知的に与えると、愛が返ってきます。
愛の循環が生まれますね。
そしてそれは、私が日々モットーとしている、
蛇のように賢く、鳩のように素直に
という聖句にもピッタリと当てはまりますね。
最後に、この世の全ての人が、神様からの深くて大きな愛を受けて、癒されて欲しい、幸せになって欲しいという想いを込めて、下記の動画をご紹介します。
【NANAの歌】Vol.2 – 鹿のように〜As The Deer