外国籍の子どもたちの保育を通して気付いたこと

メモ外国語, , 母国語

最近、もちろん地域差はあるでしょうが、日本の保育園や学童において、日本以外の国籍を持つ子どもたちがだいぶ増えてきたように思います。

今回は保育の現場にて、日本以外の国籍の子どもたちを見ていて、ふと気付いたことを書いていきますね。

 日本語が全く話せない状況で、日本の保育園に入れられた子どもたちの様子

私が、関西の某保育園にて出会った中国籍の子どもたちの話です。

当時、私はフリー保育士として、1年以内の契約で働くことになっていました。

4月の最初の園全体の職員会議にて、中国籍の2人の子どもが入園することになったが、子どもたちは日本語が全く話せない状態であり、どのように対応したらいいのか?という議題がありました。

園には既に、数年前から英語圏の子どもが数人おり、日本語は園生活を送るには支障がない程度にそこそこ話せる状態だったそうで、これといって大きな問題はなかったそうです。

でも、中国語をわかる職員が誰もおらず、通訳を頼むしかないのか?と様々な意見が飛び交っていました。

当時の私は、中国留学から帰国して既に10年以上経っており、それなりに覚えていた筈の中国語をかなり忘れていた状態でした。

過大な期待やビジネスレベルの対応を求められても困る。無理だな。と考えていたので、勤務終了までひたすら黙っていようと、しばらく静観していました。

でも、母国語が中国語で、日本語が全く話せない子どもを入れるのは初めてで、どうしたらいいのかわからない。

というクラス担任のかなり困惑した様子がとても印象的で、さすがに気の毒に思えてきました。

意を決して、下記のように申し出ました。

10年以上前に語学留学していたので少しだけ話せます。
しばらく中国語を使っていないので、かなり忘れています。堪能ではありません。
何とか日常の基本的な会話は辛うじて可能なので、ないよりはなんぼかマシかもしれません。
対応可能な範囲でよければ、お手伝いできるかと思います。

するとその場で、それなら良かった。お任せしましょう。ということになり、私がその子たちが園生活に慣れるまでの必要最低限の手伝いをすることになりました。

園生活が始まり、例の中国人兄妹が来ると、案の定、延々と大声で泣き続けていました。
日本に移住してから5年近くになるということだったので、日本語の聞き取り位はできるかもしれないと、しばらくは様子見をしていました。

でも、職員の誰が話しかけてもひたすら泣き続けるだけで、全く耳に入らないようでした。

そういえば、海外留学しても日本人同士でつるんで、言葉をろくに話せないまま帰国する日本人もザラにいる。という事例もあります。

ですので、この子たちもこれまで中国語圏だけで生活していたとすれば、似たような感じなのかもしれないと思いました。

普通に考えて、そりゃ、中国語が一切通じない、知らない人しかいない、外国の保育園にいきなり放り込まれたら、当然怖くて泣きたくもなるよなぁ。と考えながら、

4歳未満のお兄ちゃんにどうしたの?と中国語で話しかけてみました。

すると、お兄ちゃんの方は、すぐ泣き止み、私の顔を見て自分の気持ちを話してくれました。

お母さんは家にいて、僕たちに内緒でチョコレートを食べているんだ。ずるいよ。
どうしてなの。
何で僕たちはここにいるの。お家に帰りたいよ。
何で妹とお部屋が別々なの?一緒がいい。何で?

と、少々予想外の返答が返ってきました。

お母さんと離れて寂しいとか悲しいとかではなく、チョコレートを食べている云々は子どもならではの発想だなぁと考えつつ、こう答えました。

お母さんはこっそり一人でチョコレート食べているんじゃなくて、あなたたちの為にお仕事に行っているの。

だから、その間、お家には誰もいないの。誰もいないと寂しいから、あなたたちをここに連れてきたの。お母さんはあなたちのこと愛しているよ。必ずここにお迎えにくるからね。

ここでご飯食べて、お昼寝して、おやつ食べて、いっぱい遊んでいたら、お母さん必ず迎えに来るからね。大丈夫だよ。

と答えましたが、妹と一緒云々の質問には、答えようがなかったので、こう言っておきました。

それは私にもわからないんだよね。でも、妹とは、あとでお庭で一緒に遊べるよ。と。

妹とは年齢が違い、年齢別保育なので当然クラスも違います。
年齢別にクラス割しているのは、あくまでも保育園の運営上、限られた環境下で効率良く保育するという、管理上の問題で、大人の勝手な都合でしかないので、それについてはそう答えるしかありませんでした。

妹は、人見知りが激しいタイプで、中国語を話す私を特に警戒しており、余程困ったことがない限り近づかない。といった状況でした。

女の子だし、誘拐事件とか考えると、防犯上の観点からすれば、それ位でちょうどいいかなと思い、とりあえず、お兄ちゃんの方に話しておけば妹にも伝わるだろう。と考えることにしました。

お兄ちゃんの方といろいろと話してみて、頭の回転は早く、年齢相応の母国語の語彙力はある。とみたので、登園から退園までの一通りの流れを簡単に話し

ご飯、トイレ、お昼寝、おやつ、お昼寝後の園庭あそび

等の園生活に必要な必要最低限の日本語のみを中国語で教えました。さらに

保育園の先生たちはみんなとっても優しいから大丈夫だよ。
だから、お母さんがお迎えに来るまで頑張ろうね。
何かわからないことがあっても、他のお友達と同じことしていたら大丈夫。

と何度か説明すると、とりあえずは納得してくれたようでした。

数か月間程は、園生活に慣れるまではよく泣いており、その度に私が呼び出されましたが、何度かそれを繰り返しているうちに、少しずつ泣く頻度が減っていきました。

毎日、同じ事を繰り返す生活を送っているうちに、自分の置かれている大まかな状況(現実)がわかると、安心して園生活を送るようになり、泣かずにのびのびと自由に過ごすようになりました。

後半くらいからは、片言の日本語で上手に話せるようになり、他のお友達と一緒に楽しそうに遊ぶようになりました。

妹の方は、3歳未満でしたが、片言の日本語を適度に使って園生活を楽しめるようになっていましたが、相変わらず中国を話せる私にだけは警戒していました。
もしかすると、親からそういう教育を受けていたのかもしれません。

お兄ちゃんの方は時々、私に中国語で話しかけてくれましたが、それに対し、私は満面の笑みでひたすら日本語で答える。といった会話を続けていました。

傍からみると異様な光景だったかもしれませんが、ここは日本なので、日本語を話せないと困るのはその子たちなので、それがベストなんじゃないかなと思います。

ただ、保護者に対し、予防接種の説明とか、各種行事の説明とかもするように職員から言われましたが

そこまでの語学レベルはありません。無理です。ときっぱりとお断りしました。

留学経験があって基本的な日常会話は辛うじて話せると明言していたにもかかわらず、気が付くと、勝手に語学堪能であると大袈裟に変換されていたのには、本当に困りました。

この経験により、それ以降、私はどの職場に行っても、中国語を話せることは極力隠すようになりました。

どんなに頭に血が上った状態だとしても、母国語はすんなり頭に入るらしい

私が、東京都内の某公立保育園で出会った中国籍の子どもたちの話です。

年長クラスに保育補助で入った時、そのクラスには英語圏、中国語圏、日本語圏の子どもたちがいましたので、クラスの真ん中辺りで、作業をしながら子どもたちを見ていると、

前からは英語が、左右からは日本語が、後ろからは中国語が聞こえてくるような、国際的な雰囲気の漂うクラスでした。

東京の保育園では、国際化がここまで進んだのかーと新鮮な気持ちでそれらの会話に耳を傾けていると、話している言語は違っていても、話している会話はやはり、子どもらしい年齢相応の内容でした。

ある年長の中国人の男の子(以下A君とします)が時々中国語の混ざった日本語を話しているのが印象的だったので、他の職員にバレないように、こっそりと中国語で話しかけてみると、嬉しそうに中国語で答えてくれました。

日本語を学ぶのにとても熱心な子で、時々私に、これは日本語でどう言ったらいいの?と聞いてくるので、その度に小さめの声で教えると、とても喜んでくれました。

A君には、特に仲良くしているB君というお友達がいました。
いつもは2人で仲良く遊んでいるのですが、その日は少し様子が違いました。
それぞれ2人は中国語で話していました。

A君:僕のお母さんはこうしてくれた

B君:僕のお母さんはああしてくれた

A君:お母さんは僕のことを愛してくれているんだ

B君:僕のお母さんもそうだよ

と、愛され自慢でもし合っているいるのかなーと、気軽に聞いていました。
でも、次第に

A君:僕はこんなにも愛されている、でも、B君のお母さんは、僕のお母さんとは違うね

B君:僕のお母さんはこうしてくれるよ。僕の方がA君よりもお母さんに愛されているよ

A君:いや、違う。僕の方がB君よりもお母さんに愛されているよ

なんだか険悪な空気になってきたなー、と感じ、少し心配になりました。

といいますのは、その園では、園児同士の喧嘩で少しでも怪我をしようものなら、強烈なクレームでもくるのか、怪我になるような喧嘩になる前に、力ずくでも止めるか、引き離す。

という方針だったからです。

A君はそれなりに流暢に日本語を話せますが、B君はほとんど話せません。

でも、普段の中国の子ども同士の会話を聞く限りでは、B君の母国語の語彙力は他の中国の子と変わらないので、単純に、日本に来てまだ日が浅いから、話せないだけなのかもしれない。

と考えているうちに、A君とB君の口喧嘩はさらに過熱してきました。

どう見ても、二人の世界に入り周囲が見えなくなっている。と感じました。

取っ組み合いの喧嘩が始まろうとする瞬間、あ、ヤバいかもしれない。

もしB君が日本語を聞き取れなかったら、怪我を負うかもしれないと考え、中国語で

喧嘩は止めなさい!

と低めの声でビシッと言うと、二人とも瞬時に青ざめ、直ぐに離れました。

幸い、怪我になるような事態は防ぐことはできましたが、それ以降、2人とも私のことをとても怯えた顔で見るようになりました。

ん?言い方キツかったかなー。もしかすると、日頃から自分たちの親に厳しく言われていて、親と私を重ねて見ているだけかもしれないと考え、満面の笑みで優しく話しかけるようにしたら、以前と同じように接してくれるようになりました。

この件を通して

こうしてくれたら愛されていて、こうしてくれなかったら愛されていない

という、それぞれの子どもならではの基準があることを知りました。

ただ、それぞれの基準が違っている場合、つい不安になって、母親からの愛を疑ってしまうのでしょう。

B君のお母さんには会ったことがないのでわからないのですが、A君のお母さんは飲食店を経営していてとても忙しいのか、お迎えにくる度に、ものすごく疲れた顔をしている場合が多かったので、忙し過ぎて余裕がない時もあったのかもしれません。

余裕がないと、子どもに十分に構ってあげられない時もあるでしょうから、そんな時にA君は母親から愛されていないんじゃないか?と不安になってしまった可能性もあります。

日本語がまだ話せなくても、日本語をある程度聞き取れるのならあまり心配はない

関西の某小学校の学童で指導員の補助として働いていた時の話です。

ある学童のクラスに、一人だけ中国人の女の子がいました。
その子は日本語を全く話せない状態でしたが、他の子の日本語はほとんど聞き取れているなと感じました。
ただ、文化の違いがあるからか、たまにトラブルが起こることもありました。

担任の先生は、どうにか自分が中国語を覚えるか、中国語の語彙集とか作って対応しなければ!と必死になっていました。

そのような状態の担任の先生を見ている他の子どもたちは、先生はあの子をえこひいきしていると、不満を表情と態度で表していました。
不公平感を募らせているんだろうな、大丈夫かなと気になりました。

私は、担任の先生に対し

ここは日本ですし、あの子はとても賢い子なので、そのうち日本語を習得できると思います。
この子が一時的な滞在ではなく、今後日本での生活を続けていくのなら、他の子と同じように接し、特別扱いしない方がですよ。
このままだと他の子がやきもち焼いて、おかしくなってしまいます。

と意見を出してみたのですが、納得していないようでした。
決めるのは担任の先生なのでそれ以上は何も言えませんでした。

真面目で仕事に自分なりのこだわりのある先生なので、その人なりに責任感を感じているからそうなってしまっているのだと思います。

ちなみに外国語の習得は、母国語の能力がモノを言います。
母国語の能力が高ければ高いほど、外国語をより深く身に付けることができます。

ですから、小さいころから語学を身に付けさせようと、いきなり外国語を勉強させるのではなく、外国語は耳で聞かせる程度にし、文法とかは基本的な国語能力が身に付いてからでも遅くありません。

ただ、それなりに会話が出来れば良い、文法とか特に気にしない、通じればいい。という感じならそこまで拘る必要はないかと思います。

基本的に子どもは賢いので言葉の壁の心配はほとんど不要です

まとめとして、日本の保育園や小学校の学童において、外国人の子どもを必要以上に特別扱いし過ぎているように思います。

一時的に日本に滞在しているのならば、良い思い出を残してもらった方がいい場合もあるでしょうから、他の子どもたちやその保護者に事情を話した上で、おもてなしをするのもありかもしれません。

でも、今後しばらく生活の拠点を日本に移すという家庭の子どもならば、日本語の取得は避けられませんし、下手に甘やかし過ぎるとその子の為になりません。

保育園児、特に言葉をまだちゃんと話せない3歳未満児をたくさん見ていた経験から思うのですが、言葉がなくても、不思議と子ども同士の気持ちのやり取りができていたりしますし、仲良くなったお友達がいたら、言葉に興味を持ち自分から進んで学ぼうとします。

ですので、子どもがこういう場合はどう言ったらいいの?と聞いてきた時に答えてあげたり、明らかに間違っている場合には、優しく正しい言葉を教えてあげるだけで十分です。

日本人の子どもたちには、この子は外国から来て文化も違うし、まだ日本語もよくわからないから、間違うことがよくあるかもしれない。

日本語でいいから、困っていたら言葉と行動で優しく教えてあげてくださいね。と指導するだけで十分です。

子どもたちは十分に賢いので、大人があれもこれもとやってあげる必要はなく、自主性が育つように促してあげた方が、その子は個性や才能を伸ばしやすくなります。

国籍や人種にかかわらず、この子にとって本当に必要なことは何だろう。と考え、愛をこめて導いてあげると子どもにしっかりと伝わりますし、こどもの健全な成長につながります。

世の中にある英才教育とか、スパルタ教育とか、詰め込み教育とか、何ソレ美味しいの?と聞きたくなるものは華麗にスルーし

子どもが興味関心あることがあれば可能な範囲で没頭させてあげて、間違いそうになったら軌道修正できるように促し、あとは子どもの可能性を信じて見守ってあげてください。

 

最後に、国籍、民族、性別問わず、前途ある子どもたちに、反日教育をするような極めて残念な親がこの世からきれいさっぱりいなくなることを切に願います。

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Posted by sanae