基礎と自発心がないと理解できないし覚えられない 悟るのに必要なモノ

ビジネス価値観, 信仰の証, 基礎, 自発心


基礎の上に積み重ねていくことが重要

 

数ヶ月前に、うっかりブラック企業でパート労働をしてしまいましたが、退職して以降は穏やかで幸せな日常生活を送っています。

ただ、あのブラック企業で働いたおかげで気付けた事も多々ありました。

気付けた事をいくつか事例で挙げますと

・改善という言葉の裏には「隠蔽」がある

口では改善、改善と頻繁に言いつつも、日常的に、法に触れる可能性の高い書類を従業員に作らせていました。

●資格が必要な仕事なのに、資格がない人でも「あるという設定」にし、資格ありの金額で取引先に請求する。

●受託しておらず発生していない仕事なのに、「取引先と設定されている企業」に代金を請求する。

例えば

請求書とか請求書とか請求書とか。

その会社にとっての、改善という言葉は、知られたくないことを隠蔽する為のカモフラージュでしかないように思います。

 

・世代間ギャップは、相手の価値観にある背景を知ると対処方法がわかるようになる

60代(私より一回り上)くらいの世代だと、冗談は普通に通じるし無理なく会話ができ、アホなやり取りも楽しめます。

70代(私より二回り上)くらいの世代だと、冗談が通じない時が普通にあります。
場合によっては、言葉の意味をイチイチ説明する必要があることも。

公私混同という概念があまりないのか、プライベートな領域にずかずかと入って来ようとします。
私が明らかにドン引きしているのに気付かないのか、距離感がバグり過ぎているのか
めちゃめちゃグイグイ来るのでものすごくコワイです。

私にとって、この方のあまりにも不思議な言動に、一体、会社に何をしに来たのかと、疑問を抱くようになりました。

おしゃべりをしに来られたのですか?
お仕事をしに来られたのではないですか?

ここはパソコン教室ではありませんし、私もパソコン教室の先生ではないのですよ?

ここは大企業ではありません。少人数で業務を回さないといけない中小企業ですよ。

基本的なパソコンの使い方くらいわかっていないと仕事になりませんよ。

いつ覚えるのですか?
誰があなたの分の仕事をするのですか?

事務職歴ウン十年の経験者ということで中途採用枠で入社し、私と同じ労働条件で入った方に、私の労力と時間を捧げてまで、パソコンのごく基本的な操作から手取り足取りお教えしないといけないのですか?

百歩譲って、新卒やそれに近い若年の新入社員ならまだわかりますし、ここが大企業で、私が研修担当で、私が研修で余裕がなく、さばききれない仕事を他の方がフォローしてくださるのなら構いませんが、そんなことはあり得ないのですよ。

と何度も言いそうになりましたが、

お互いの生きてきた時代背景が違い過ぎるから、価値観が大きく違うのだろうなと感じました。

その方の活躍されていた時代には、パソコンで仕事をするのは一般的ではなかったのです。

悪気はないとは思いますが、搾取されたくありませんし、理不尽な要望に応じる義務も義理も私にはありません。

 

・何事も基礎ができていないと、何度教えられても覚えられない

60代の方に、何度もパソコンの基本操作をお教えしたのですが、同じようなところで躓いたり、思い出すのにやたらと時間がかかっていました。

前任者の方々の多大な尽力と私からの愛の指導とその方自身の努力あってか、なんとか入社して半年過ぎたあたりくらいで、ようやくその会社の仕事において必要な最低限の基本操作は一通りできるようになりました。

70代の方にも、私が基本操作から少しずつ教えようとしたところ、テンパっているのか時折、私の顔をじろりと見ては、歳だから、入ったばかりだから。お手柔らかに。と言い訳を連発し

パソコンの画面を見てはフリーズしていました。

それを見て私は、前の会社にいた時の年配の同僚のことを思い出しました。

 

以前私は、東京の新宿にある会社で半年間程、アルバイトをしていたことがあるのですが

その時に隣の部署で仕事をしていた、私よりも二回りくらい上の年齢の方が、パソコンの操作で躓くことが多く、パソコンの前でフリーズしているのを何度も見かけました。

結局、誰が何度教えてもその方はパソコンの操作を覚えられない状態が延々と続いたので、パソコンを使わなくても何とかなるような部署に移動になったようです。

 

60代の方と70代の方はお二人とも

パソコンのような専用端末に、データを入力するだけのスキルしかない
パソコンの初歩的な基本操作すらおぼつかず、Excel、Word?それって何ですか?

というレベルからスタートしています。

そうなりますと

入社当時の60代の方と同じようなパソコンスキルしかなく、当然、誰かに手取り足取り教えてもらえると思っているお花畑思想の70代の方が、その会社において必要最低限のパソコンの操作を覚えるには

半年くらいでは厳しいのではないか。
下手すると1年くらいはかかるか、もはや操作ができるようになること自体が無理かもしれない。

というのは、ある程度パソコンの操作ができる方ならば、容易に想像できるかと思います。

 

むしろ、覚えられずに

最初は、入ったばかりだから。と考え、そのうち、歳だから。と諦める。

最終的には、できる人がやればいい。と開き直る。

 

そのような状況が続いていき、仕事の負担が過剰にかかってくるのに耐えられなくなった同僚が退職し、また新しい人を募集することになる。

という負のループが延々と続いていくのでしょう。

私が入社した時点で、60代の人が原因で既にそれに近い状態になっていましたので、受け身の姿勢が強い70代の方だと、さらに状況は悪くなる可能性が高いと思います。

私は早いうちにあっさりと退職できたので、本当に良かったです。

 

このブログでも何度か書きましたが、私は、20代の頃から行く先々で職場が倒産したり、業績悪化で数千人規模のリストラになったりする、アルバイトやパートでもその傾向がある。というのを嫌というほど何度も経験しています。

もしかすると、私は

倒産しそうな会社、あるいは、業績が悪化している会社に引き寄せられていく体質?運命?なのかもしれない。

と考えますと

数ヶ月前にうっかり働いてしまったブラック企業も既に、ヤバイ状態に陥っている可能性があります。

それを確かめる意味でも、その会社は今後どうなるのか?と興味があり、その会社の求人情報を、気が向いた時にチェックしていますが、未だに求人を出し続けているようです。

仕事内容は変わらないのに、待遇が良くなったり悪くなったり、条件がコロコロ変わったりしていますので、かなり迷走しているのがよくわかります。

 

このように、ブラック企業で働いた経験を通して、基礎というのは本当に大事で、基礎知識がない状態であれやこれやと教えても、なかなか理解できずに覚えられない、身に付かないのだな。

辛うじて形だけでなんとか覚えられたとしても、何でそうするのか、そうなるのかを深く考えるということをしないので、応用が利かないものなんだな。

仮に基礎がなかった状態でも、本人が本気で自ら覚えようとしない限りは、いつまで経っても理解すらできないのだろうなと感じました。

 

最近の下記のRAPTブログの有料記事の御言葉を視聴して、改めて実感しました。

心情を身につけて成長し、神様・聖霊様の臨む体となって、神の歴史を大きく成していく。

 

それは、仕事や学問等の知識や情報に限ったことではなく、自分の人生を考える際に真理を悟ろうとする場合にも、同じようなことが言えるのではないでしょうか。

本人が知りたい、悟りたいという自発的な意志があまりないままに、ただ学んでいるだけだと表面的なことしか悟れないと思います。

知らないよりは知っていた方がいいからと、日本人のもとからの真面目な気質もあって、受験勉強の時のように頭だけで理解しようとする癖が抜けないのかもしれません。

もしくは

知りたいという気持ちよりも、周囲からどう思われるか?ということに意識が向いているから、形にとらわれて義務的な姿勢になる。

自分が納得がいくまで追求しようとしないから、本当の意味で悟ることができない。

ということではないのか。

 

例えば、試験勉強においてわからない部分、試験で間違えた部分等をとことん追求するような気質を持っている人ならば、納得のいくまで追求するでしょう。

そうでないにしても、私たち人間は、人生で失敗したり、嫌な目に遭ったり、悩み苦しんだりした場合に、ようやく、どうしてそうなったのかを真剣に考えると思います。

その答えがわかった時の、爽快感や充実感、喜びを何度か体験すると、物事を深く考えるようになっていきますし、わかった分だけ考えるのが楽しくなっていきます。

 

私は、理不尽な目に遭ったり、失敗してしまった時、RAPTブログの有料記事で学んだことを元に物事を考えるようにしています。

冷静に、相手の背景にあるものは何だろう、どうしてそのような言動になるのだろう?等

探求するような視点を持つことで、より深く物事を考えられるようになりますので、自分とは違う価値観の人と接して疑問に思うことがあっても

不思議なくらいに答えがわかってきますので、直ぐに頭と心の整理がつくようになり、悩んだり嫌な気分を長く引きずることはなくなりました。

 

御言葉(神様の言葉)を読んだり聞いたりする時に私が心掛けていることは

めちゃめちゃ重要な基礎

神様は確実に、私たち人間一人一人を心から深く愛している。ということを念頭におき

その言葉の一つ一つにはどのような思いが込められているのかを考える。

そうすることで、何度も読んだり聞いたりしているうちに、神様が悟れるように働きかけてくださいますので

ああ、そうか、そういうことか。

御言葉の通りに考えて行動すれば、悩む必要はないのだな。

という結論に行きつくのです。