秋篠宮文仁親王の出自を仮説に基づいて考察してみる(妄想)
大正天皇に子種がないという説
大正天皇
もうすでにインターネット上では有名な話だと思いますので、サラッと書きます。
よりまとめると
貞明皇后から生まれた人たちは下記になるようです。
1・昭和天皇(裕仁親王)の父親:西園寺八郎
2・秩父宮雍仁親王の父親:東久邇宮
3・高松宮=光宮宣仁親王の父親:父は有栖川宮、母は女官
4・三笠宮崇仁親王の父親:有栖川家の人或いは有栖川家の人を養子に貰った。
5・こっそりと生んだ。1924年頃に産んだ子ども。の父親:牧野 伸顕
見事にバラバラですね。
下記の画像はネット上から適当に拾いました。
もし不都合がありましたらいつでも削除します。
まず
昭和天皇(裕仁親王)
秩父宮雍仁親王
高松宮=光宮宣仁親王
三笠宮崇仁親王
似てないですね。
ただ、どの人も朝鮮半島系か中国系のどちらかだと思いますので、欧米の人々が見たら見分けつかないと思います笑
公式には大正天皇と貞明皇后との間には、4人の皇子があった事になっています。
でも、多分実質は0人でしょうね。
しかもそれぞれ違う相手をあてがっているからか、誰もほとんど大正天皇に似ていないどころか、とても兄弟とは思えないくらい似てません。
ここまで無茶苦茶だと、じゃあ、今の今上天皇(継宮明仁親王)も本当に昭和天皇の息子なの?って疑問が出てきちゃいますね。
インターネット上ではこんな説もあったりします。
下記のブログをご参照ください。
結構リアルなので思わず信じそうになりましたが、冷静に考えると、大正天皇には子種があるという事になってしまいますので、誰も大正天皇に似ておらず兄弟ですらみんな特徴が違うという現実を考えると、辻褄が合いません。
となると、大正天皇に子種がないという説の方が正しいという事になると思います。
でもまぁ、よくそこまでするよなーと普通に庶民は考えると思うのですが、ドルイド教を信じていたり、噂によると日頃からいかがわしい行為(乱交)をしているそうなので、もう感覚が麻痺しているんでしょうね。
どう考えても頭がオカシイとしか思えません。
いっそ天皇制度そのものを廃止にしたらいいのにと心底思います。
昭和天皇が本当に貞明皇后の息子の場合
貞明皇后
ややこしいので、昭和天皇が本当に貞明皇后の息子であるという前提で話を進めていきます。敬称もここでは省略します。
より一部抜粋します。
同年7月、東京府東多摩郡高円寺村(現:杉並区)近郊の農家の大河原金蔵・てい夫妻に里子に出され、“九条の黒姫様”と[1][注釈 1]呼ばれるほど逞しく育ったという。
農家の風習のなかで育ち、栗拾いやトンボ捕りをするなど裸足で遊んだ。[2]彼女が健康であることは、病弱な嘉仁親王(大正天皇)の妃となる大きな決め手にもなったようである。
抜粋ここまで。
健康である事は良い事ですが、そのおかげで子どもを産む道具みたいにされるのは悲しいですね。
本題に入ります。
昭和天皇の血縁関係を少し整理します。
昭和天皇にとって貞明皇后が実の母親という事になりますと
貞明皇后の同腹の妹である菊麿王妃範子は昭和天皇の叔母になります。
詳しくは下記をご参照ください。
それから、菊麿王妃範子の娘である浅野安子は昭和天皇の従姉になります。
詳しくは下記をご参照ください。
そして、菊麿王妃範子の息子である山階芳麿は昭和天皇の従兄になります。
詳しくは下記をご参照ください。
あと山階芳麿は山階鳥類研究所の創設者です。
詳しくは下記をご参照ください。
それから、浅野安子の息子である山階芳正は昭和天皇の従甥となります。
ということで
貞明皇后、菊麿王妃範子、浅野安子、山階芳麿、山階芳正の5人は昭和天皇と血縁関係があるという事になります。
どうして昭和天皇の血縁関係を調べたかというと、これらの5人が秋篠宮文仁親王とも血縁関係があるのではないかと考えたからです。
次はそう考えた理由と根拠を説明していきます。
徳仁親王の名前には昭和天皇の呪いがかけられている?
最近はだいぶ暖かくなりました。時期的にまだ肝試しをするにはちょっと早いのです
が、調べ物をしていて少々怖い記事を見つけました。
下記のブログから写真を拝借しました。
上のブログより一部抜粋します。
徳仁親王の、お名前を付けたのは、昭和天皇陛下。
疑問に思うのよね。
なんで、将来の天皇になる親王に「徳」という漢字を与えたんだろう。
皇室において「徳」という名前は「怨」を封じる「呪」に値するのに。
抜粋ここまで。
どう考えても大事な跡継ぎに縁起の悪い名前を付けるなんて通常は考えられないと思うのですが
徳仁親王が美智子皇后の托卵であり、天皇家の誰とも何の血の繋がりもないという認識を昭和天皇が持っていたとしたら、呪うという説も十分あり得ます。
先ほどのブログでも同じような写真がありましたが、下記のブログも併せてご参照ください。
上記のブログから写真を拝借してます。
何気ない一家団らんの写真にも見えますが、少し違和感を覚えませんか?
長男である徳仁親王を差し置いて、次男である秋篠宮文仁親王を自分と一緒のソファに座らせています。
可愛くてたまらないといった雰囲気を感じます。
この写真でも似たような感じで
この写真も秋篠宮文仁親王を嬉しそうに自分の膝の上に乗せています。
この写真は次男である秋篠宮文仁親王を、一番前の真ん中にして写真を撮っています。
まるで秋篠宮文仁親王が、跡継ぎの長男のような扱いをされているようにも見えてしまいます。
でも、まあどう見ても
佐伯晋氏とそっくりで平成天皇には全く似ていないので、やっぱり気づきますよね。
次はいよいよ秋篠宮文仁親王の秘密?に迫ります。
山階宮と秋篠宮文仁親王との繋がり
これは山階宮芳麿王殿下の写真です。
下記のサイトから拝借しました。
miyake.yaekumo.com文字化けしてますが、山階宮家の人たちの画像があるサイトです。
以前私は、秋篠宮文仁親王が、美智子皇后と深い仲だった入江相政侍従長の子ではないかという説を否定するような記事を書きました。
どう見ても似てないと思いますし、やはり山階宮家の人たちにそれとなく似ているように感じるからです。
それと前々から、昭和天皇の秋篠宮文仁親王への態度のみならず、美智子皇后の秋篠宮文仁親王や黒田清子さん(旧名は清子内親王)に対する対応が、私には演技にしか見えないのです。
いくら長男が大事だからといっても、美智子皇后の秋篠宮文仁親王や清子さんに対するよそよそしい態度がかなり不自然に感じます。
本当に美智子皇后が自分のお腹を痛めて産んだのかな?
仮に試験管ベビーだったとしても、雅子さまの愛子さまに対する様な感じの、もっと親しみのある雰囲気になるんじゃないかなー?と思うのです。
でも、そこで視点を変えて、「秋篠宮文仁親王は宮家からの養子である」という設定にすれば、美智子皇后の不自然な態度にも納得できます。
宮家とは元々親せき関係があり、皇室がこれまで近親婚を繰り返してきたという事情もあるので、何らかの血のつながりはある筈だとずっと調べていました。
山階宮家と秋篠宮文仁親王との共通点を1つ見つけました。
を見ると
秋篠宮文仁親王のいくつかある役職の一つに
山階鳥類研究所総裁 があります。
山階鳥類研究所の創設者は山階芳麿です。
もし、秋篠宮文仁親王が山階宮家の誰かの息子だとすると
昭和天皇とも血のつながりがある事になります。
そうなると昭和天皇の秋篠宮文仁親王に対する、とてもわかりやすいほどの可愛くてたまらないという態度も腑に落ちます。
それでは一体秋篠宮文仁親王は山階宮家の誰の息子になるのか?
物理的に可能性のありそうな選択肢を一つ一つ探っていくと
ウィキペディアに浅野安子の次男(芳麿からすれば甥)の山階芳正を養子に迎えたと書いてあるのを見つけました。
もし、秋篠宮文仁親王が山階芳正の息子だとしたら山階宮家の人々と容姿や雰囲気が似ているし、年齢的にも時期的にも不自然さはありません。
秋篠宮文仁親王が山階鳥類研究所総裁という役職についているのも偶然ではなく、山階宮家の人間と血の繋がりがあるからなのかもしれません。
でも残念ながら、なぜか山階芳正のページは作られていないので、それ以上の詳細はわかりません。
不思議なことに今回に限らず、皇室や生長の家や政治家などの有名人の出自を調べていると、
主要人物ではないかと思われるような人の情報、例えば
稲田朋美氏の旦那さんの稲田龍二氏
稲田朋美氏のご両親とされている椿原夫妻
谷口純子氏や今上天皇の娘である黒田清子さんの旦那さん
などの情報はないか、あっても本当に少ない。と感じる事が多いです。
もしかすると知られたくない情報があるから敢えてウィキペディアのページを作らず、情報を出さないことで真相を隠そうとしているのかなとも思いました。
でも、皇室ではおそらく複数の影武者が常に働いているようなので、一体どれが本物なのかがよくわかりません。
もしくはもう本物は表舞台にいないケースも多いのかもしれません。
といいますか、皇室は不要ですので一刻も早く天皇制度そのものを廃止して欲しいです。
税金の無駄です。
最後にこの動画をどうぞ。
綺麗なお姉さんが爽やかに税金の無駄で害悪でしかない、旧皇族と朝鮮王族の解説をしてくれています。
あと、一見この動画の登録者数や視聴回数が少ないような印象を受けるかもしれませんが、これはYouTubeの隠蔽捏造工作です。
その証拠動画もじっくりとご覧ください。