ここ最近、上海での体験から国内外で目に見えない力が動いているのを感じた事

雑学録サービス精神, 上海, 中国人, 信仰の証

ここ最近、ツィッターアカウントが利用制限され、同じ家にいる私の配偶者は全く問題なくインターネットが出来ているのに

私のiPadやサーフェス、ノートパソコンの、どのデバイスでも接続状況が頻繁に思わしくない状態になるなどの状況が続き、ブログの更新が滞っていました。

その他にも別の仕事が入ったので、その作業に追われていてあまり余裕がありませんでした。

今回は上海での体験や不思議な現象が起きた事により、気付いた事を少し書きますね。

 

年末年始は所用で上海にて過ごしましたので、久しぶりに「外国人」の気分を味わう事ができました。

私が15年前に北京留学していた時期、沖縄から北京間の飛行機の直行便がなく、当時、島に帰るには大阪か東京を経由するしかありませんでした。

それでも上海と沖縄間の便はありましたので、帰国時は旅行がてら、北京から上海まで列車で移動し、上海を数日間観光した後に飛行機で帰国したという経験があります。

上海はその頃から北京よりもかなりの都会で、日本とほぼ変わらないと感じるような便利な街でしたが、15年ぶりの上海はものすごく変化していて、当時とは比べ物にならない程の大都会になっていました。

でも、中国は貧富の差が激しいので、富裕層ではない一般庶民の人たちの生活は15年前とそんなに変わらないようにも見えました。

観光客や富裕層が行くようなビジネス街や観光地、ショッピングセンターなどは、日本と変わらない位のレベルにまで物価が上がっていました。

上海で有名なショッピングエリアの徐家匯にも行きましたが、日本の百貨店やデパートで買い物するのと変わらない程の品ぞろえとクオリティの高さを感じました。

  

この2つの写真はそれらのショッピングセンター内の写真です。

ちなみに上海では1月2日になってもクリスマスツリーが飾られ、普通にクリスマスソングが流れていました笑

その適当さと緩さが面白くて最高だなと思います。

ただ、物価が上がっているといっても、15年前の北京でも日本と同じようなクオリティーの商品を購入したければ、日本と同じか少し高い位のお金を出せば普通に手に入りました。

ですので、物価が上がったというよりは、経済的に豊かになった人たちが増えて購買力が上がり、そのような大型ショッピングセンターも比例して増えているという事だと思います。

ただ、それ以外の一般庶民が行くようなスーパーや個人商店にも行ってみましたが、15年前の北京の物価とあまり変わらないレベルでした。

中国は日本と違って規制がそんなには厳しくはありませんので、規格外のものが多く出回っており、クオリティーが微妙なお値段の安い商品を扱っているお店も普通にあります。

物価が高いエリアもあれば、そうでないエリアも混在しているという状態です。

国策により、日常生活に必要なバスや地下鉄などの公共交通機関は安くで利用できますので、車がなくてもそんなに困りませんし、収入がさほど多くない人でも贅沢をしなければ、普通に生活する事は可能だと思います。

一応、庶民的なエリアの写真も撮ったのですが、私の配偶者がカメラとして使っていた個人スマホを落としてしまったので、現時点においてはまだ見られません。

そのスマホで撮った画像データが無事ならば、別の機会にインスタグラムかブログなどでUPしようと思います。

実は、12月30日の上海に着いたその日、それなりに名の知れた外資系の会社に勤めるエリート層の方々とランチをご一緒しました。

個人情報が特定できないように敢えてぼかしますがざっくりと、上海人が1人、中国の北の方、真ん中の方、東の方のご出身の3人の方がおられました。

その方々と私と配偶者の5人で、IT系の有名企業が立ち並ぶエリアにあるレストランで上海料理を堪能しました。

3人とも外資系の会社で働いているだけあり日本語を普通に話せるので、ほとんど日本語で会話をしていました。

日本語のレベルは人それぞれ違いましたが、職種にもよるので一概には言えませんけれども、話していると、語学が堪能とまではいかなくてもある程度意思疎通ができるレベルなら、ビジネスでも十分に通用するんだなと感じました。

その外資系の大手企業で働けている時点で、中国の熾烈な受験戦争勝ち抜いてきたエリートだけあり、話の内容からも、意識が高いのみならず頭の回転もかなり早いように思いました。

しかも私の配偶者曰く、その人たちは普段から、仕事をするにもとても真面目で一生懸命なのだそうです。

中国の熾烈な受験戦争については下記のサイトが分かりやすいのでご参照ください。

900万人が勉強地獄。中国の「ヤバい受験」が生んだ人材の末路

中国の受験制度に置かれている受験生は、日本よりも極めて過酷な状況にあるようです。

3人ともみんな女性で、国や文化が違うので事情は多少違いますが、話していると母親として、妻として、日本人女性と同じように働く女性ならではの悩みや苦しみや葛藤を抱えているんだという事を知りました。

中国の共働き事情については下のサイト記事をご参照ください。

中国人は夫婦共働きが当たり前!子育てはどうするの?中国人と結婚したい人は必見です

確かにこのサイト記事にもあるように上海を歩いていると、おじいちゃんおばあちゃんなんだろうなと思われる人たちが、ベビーカーに子どもを乗せて歩いているのを普通に見かけました。

保育園に預けなくても面倒を見てくれる人がいれば働けますので、同じ共働きでも日本とは事情が大きく違いますね。

それから、来たついでに上海の会社のオフィス内の見学もさせていただきましたが、男女の比率は同じくらいで、男女とも同様に働き、日本のようにお飾り雑用的な仕事をするOLのような女性は見られませんでした。

ただ、これらは富裕層に近い層の人たちの話で、日本よりは幾分かマシなようですが、一般庶民の女性たちは男性と同様に働いているにもかかわらず、家事や育児をするのは女性だけという家庭も未だにあるようです。

私の地元である沖縄も、昔から現在に至るまで所得が低い地域柄なので、中国の一般庶民の人々と同様に、共働きは普通で女性も男性と同様に働いているのに、稼ぎも変わらないのに、家事や育児をするのは女性だけという理不尽な状況が未だにまかり通っています。

男尊女卑思想がかなり根付いているので、男性は所得が低かろうが、無職で飲んだくれて暴力を振るっていようが、男だというだけで重宝され、ウンザリする位わがまま放題の男性も割と多いです。

悲しい事に多くの女性が未だに、女だというだけで会社でも家庭でも奴隷のようにこき使われます。

飲み会に行ってもお酌をしたり料理を取り分けるのを、当然のように半強制されるにもかかわらず、飲み代はキッチリ割り勘というのも普通だったりします。

女性に反強制的にそれらの奉仕をさせるのならば、奢るまではしなくてもいいから、せめて多目に出す位はしてくれよと個人的には思います。

全く持って意味がわかりません。

だから沖縄は離婚率がワーストワンとかいわれているんでしょうね。

沖縄は日本と中国とアメリカの文化が入り混じったチャンプルー文化なのもあり、何かと複雑な事情も絡んでいますので、女性にとってはかなり生き辛い部分も少なくないなと私は感じます。

思いっきり横道に逸れたので中国の話に戻しますが、日本人の「中国人」に対するイメージは人それぞれだと思います。

中国には多種多様な民族がいますし、人口がかなり多い分、とても一括りにはできません。

悪い事ズルをするような頭のオカシイ人は普通にいますが、とっても真面目で真っ直ぐで善良な人も確実にいます。

富裕層か庶民かどうかではなく、まともな人やとっても優しい人はどの層にも、一定数、確実にいます。

今回の旅行中は基本的に、インターネットでの口コミでの情報をもとに、飲食店を探し当ててからそこに向かうようにしていました。

でも、着いた時には営業が終わっていたり、何らかの理由で臨時休業だったりしたために、それ以外のインターネットには載らないような、地元民が気軽に行くような店に入る事も何度かありました。

私は中国語の日常会話は普通に可能ですし、相手の言っている事の8割はわかりますので、今回の旅行では言葉が通じなくて困る事はほとんどありませんでした。

でも、15年前もそうでしたが、中国で地元民が日常的に利用するようなレストランに行き、注文をする際には、大声で店員さんを呼ぶ必要があります。

観光客や富裕層が行くような高級レストランではほぼそんな事はないのですが、庶民が行くような店は安い分、サービスもそれなりの場合が大半です。

料理のクオリティは十分に高いので、何の問題なく美味しいものが食べられるのですが、普段お店で大声を出して注文するような習慣のない日本人には、注文する事自体が一苦労となります。

店員さんはとても忙しそうで、バタバタしているのは見てわかるのですが、メニュー表を持ってきてくれない事には何も注文できません。

私の配偶者は私が教えた必要最低限の一部の中国語以外はほとんど話せませんので、注文は私がするしかありませんでした。

それで、私なりに大きな声で「メニュー表ください」と言いましたが、なかなか届きません。

それに気づいた隣のテーブルに座って食事をしていた見知らぬ50代位の男性陣が、店員さんにに向かって「メニュー表持ってきてって言っているよ!」と、とても大きな声で代わりに伝えてくれたので、店員さんがようやく気付き、無事に注文する事ができました。

私がお礼を言うと「礼は要らない」とばかりに何事もなかったかのように食事を再開し、見返りを一切求める事なく、みんなで楽しそうに雑談をしていました。

それ以外にも、メニュー表は壁に書かれてあるものだけという別のお店に入った際に、私がメニューを見ると一部読めない漢字があって、どうしようかと悩み注文に苦心していると、近くにいた見知らぬおじいさんが、さり気なく助け船を出してくれた事もありました。

それから、飲食店以外の上海の代表的な観光地を回る際に、予めインターネットでそこまでの行き方や具体的な場所を調べてから行くようにしていました。

でも、変化の著しい上海では、それらの情報そのものが古くなっていたりすることも普通にあり、目的地に辿り着けない事も度々ありました。

その度に、たくさんの人たちに道を尋ねました。

一見すると仏頂面の取っ付きにくそうなタイプの人でも、私が尋ねるとどの人も丁寧に親切に親身になって教えてくれました。

このような感じで上海では、道に迷ったり困った事があっても、必ず助けてくれる人が絶妙なタイミングで現れたり、天候にも恵まれ、トラブルに遭う事なくとても充実した時間を過ごす事ができました。

でも逆に、何故か私の配偶者には不思議な現象が起こりました。

彼の個人用スマホは、落としたという因果関係により、何らかの不具合はあるのは仕方ないにしても

彼の会社用スマホ帰国する前日位から徐々に、特に落としたとかぶつけたとかでもないのに、ファームウェアの更新の不具合か何かの要因かは知りませんが、勝手に再起動を繰り返すような状態になり使用不可能になりました。

それから彼はスマホとは別に、以前からガラケーも持っているのですが、自宅に置いてあったガラケーも、偶然にもそのタイミングでバッテリーの寿命で充電ができなくなり、使用不可の状態になっている事に帰宅してから気付きました。

個人スマホ、会社用スマホ、ガラケーの3つほぼ同時期に使えなくなったのです。

会社用スマホは会社経由で修理に出しましたが、修理に2週間かかり、代替え機はないとの事。

個人用スマホはauショップに持ち込んだものの、修理時に中のデータを初期化するのが基本ですと言われました。

彼の意志で、上海で撮った画像データは何とか残そうと、東京のとある修理屋さんに出す事になりました。

彼曰く、修理に出す時にお店の人に説明する際には、データの吸出しとか彼の専門分野である技術的な知識が必要との事で、さすがにそれを私がするのは無理なので、彼が自分で直接行くしかありません。

でも、彼は仕事が忙しくてなかなか出しに行けず、来週初め辺りに有給を取って行くそうです。

ただ、誰もが1台は携帯を持つようになったこの現代社会において、短期間と言えども電話無しで過ごすのは公私ともに支障をきたします。

ガラケーはバッテリーを交換さえすれば何とか使えるだろうと探してみましたが、古い機種なので新しいバッテリーはなく、楽天で中古のやつしかないのを何とか見つけて注文していました。

私にはガラケーとは別に事務所用のIP電話がありますので、注文したバッテリーが届くまでは私のガラケーを彼に貸しました。

そして、昨日ようやく注文したのが届き、バッテリーを交換するとガラケーは問題なく使えるようになりました。

それにしても、電話が3台とも同時期に使えなくなるという経験はそう滅多にあるものではないと思います。

何か見えないものに呪われているか、上海から何かを連れてきたとかなのかと考えると、小心者の私(←ホントか?)でもさすがに怖くなりました。

私は日頃からツィッターやブログ、たまにYouTubeの動画などで、悪い事をする反日在日朝鮮半島系の人を徹底的に批判するような事をしています。

そして、特にそれらに関連する、このブログの特定の記事に対する桁違いのアクセス数を考えても、それらの人々に逆恨みされたり、呪われている可能性は十分にあると思います。

怖いー!こわいー!コワイー!

ですので、それらの状況から、もしそのような目に遭うのが私ならば、ああそうかと納得がいくのですが、どうして私の配偶者なのかがわかりません。

近くにいる彼が目に見えない邪悪な存在からの私への攻撃のトバッチリを受けただけという可能性もあるのかも?なーんて考えましたが、真相は神のみぞ知る。という事で笑

でも、電話が使えないという事以外は特に不都合はなく、美味しい中華料理の食べ過ぎで一時、若干弱っていた胃腸も完全復活してるので二人とも健康そのものです。

 

中国人に対するイメージは、一部の悪目立ちする頭のオカシイ人々のせいで、人によっては最悪だったり、複雑なものもあったりするとは思います。

今回の旅行も含めて改めて感じたのは

基本的に中国人そのものは悪気がない人が大半であり、日本人のように個性を過剰に潰される事があまりなく、自分に正直に生きている分誤解されてしまう場合が割とあるのかなと感じました。

日本社会ではサービス過剰な状態が蔓延しているのもあって、サービス業で働いている人たちの多くが、どう見ても無理に笑顔を作っているな、しんどそうだなと気の毒に感じる事が少なくないです。

それとは対照的に、中国社会では一部のそれなりのお値段で高度なサービスを提供するような高級店を除けば、サービス精神ってなぁに?と思ってしまうような接客態度をとる人は多いです。

でも、私がそのような人々に対して対等な立ち位置で接し、してくれた事に対する感謝の気持ちを言葉と一緒に笑顔で表すと、相手も私に対してとびきりの笑顔を返してくれました。

彼、彼女らは、自分の気持ちに正直に、自分を偽る事なく本音で生きているという事なのだろうなと思います。

お客様は神様ですという洗脳思想に嵌ってしまっているような日本人から受ける、形だけの心が伴わない過剰過ぎる程の丁寧なサービスは、場合によっては痛々しさや空虚感すら感じる事もあります。

でも、自分の気持ちに正直に生きる中国人の、多少ぶっきら棒に見えるようなサービスでも、本音で向きあってくれるのならば、そんなに嫌な感じはしません。

そして、こちらの真意が伝わった時に、とびきりの笑顔で返してくれた時のギャップや感動は何事にも変えがたい、心に響くものがあります。

 

これらのサービス業に従事する、日本人と中国人のどちらが物事の本質を捉えていると思いますか?

 

安倍政権や上級国民どもの長年の支配と搾取体制が続いた事により、日本社会はかなり落ちぶれてしまっています。

一時期は先進国として経済的に発展し、表向きは誰もが豊かに暮らしているような時もありましたが、多くの人が人間として本当に大事な事を見失い心が貧しくなってしまっているように思います。

それらが原因で、今や多くの日本人或いは日本で生活する人たちが常に空虚感を抱き、自分自身の存在意義や存在価値を見いだせずに苦しんでいるようにも感じます。

私もかつてはそのような状況下で悩み苦しみ、何で自分なんかが生まれてきて、今も生きているんだろう、生きていく意味なんてあるの?と本気で考え、失望や不安の中で生活していました。

女性だから、就職氷河期世代だからというのもあって、理不尽な思いを嫌という程経験してきました。

でも、今は人間として幸せに生きる為に必要な事や、本当に大事な事がわかるようになったので、この世に生まれてきて本当に良かったと思えるようになりました。

それを教えてくれるのは本来の正統宗教であるキリスト教の神様であり、その神様と私たち人間を繋げてくれるのが、聖書にある言葉となります。

ただ、この世に同じ人間は一人もいませんので、人それぞれの役割や価値判断基準は異なり、一人ひとりするべき事、やるべき事、幸せになる道筋は違います。

悪人には理解出来ないように何重ものパスワードがかけられている聖書から、自分だけでそれを見出すのは至難の業です。

日本では寄生虫の如く蔓延り続ける上級国民どもとその仲間たち、それらの小間使いである悪人どもが、善良で真っ直ぐに生きる人たちが真実に辿り着けないようにと

ウンザリする位大量のデマ情報を垂れ流し、ありとあらゆるところで工作活動を行なっています。

そのような輩の悪どい活動に騙されないようにと、RAPTさんが正しい聖書の解釈の仕方を通して、この世で生きる為の知識や知恵を伝えてくださっています。

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