中途半端な優しさ(偽物の愛)は自分と相手をも滅ぼす悪事となる 乞食ビジネスや夫婦関係、親子関係と共通するもの
乞食ビジネスの非常にわかりやすい事例
日頃から私と私の配偶者で出歩いていると、よく道を聞かれたり気さくに話しかけられたりすることが多いのですが、なぜかみんな私に話しかけてきます。
私は方向音痴で地理に疎く道を教えるのが苦手なので、もし間違えて教えてしまって相手が困るようなことがあったら大変ですので、道を聞かれた時のほとんどは配偶者に振って対応してもらっています。
世間話の場合は、相手がニコニコと嬉しそうに話しかけてくるので、私もそれに対してニコニコと穏やかに対応しています。
どうして私なのか?
私が女性だから話しかけやすいのかな?と漠然と考えていました。
最近、こんなことがありました。
朝のお散歩の途中でいつも手を洗っている公園があるのですが、公園の真ん中あたりにあるベンチに薄汚れた感じの身なりをした親子が座っていました。
ホームレスの人かなと思いつつ、いつも通り水道で手を洗った後にそのままそこを去ろうとすると、母親らしき女性が私に話しかけてきました。
母親らしき女性:今何時ですか?
私:7時40分頃ですよ。
母親らしき女性:ありがとうございます。
といった感じで会話は終わりそこからは離れましたが、一緒にいた娘さんらしき中学生位の年齢の子どもが、私をじっと見つめていたのが気になりました。
何らかの事情があって一時的に家がないのか、DVの旦那さんから逃げているところなのか、どちらかなのかな。と考えていました。
でも、それにしては何か不自然だし、こういう場合はどんな事情があるかわからないので、何かあった場合に責任をとれないし何もしてあげられないので、警察と福祉の保護を受けた方が良いよねと、そこからだいぶ離れた場所で配偶者と話していました。
その公園を通る度にあの親子らしき人たちのことを考えていると、頭にふと、乞食ビジネスのことが浮かびました。
乞食ビジネスについては以前の記事に書いてありますので、興味のある方は防犯の為にも是非ともご参照ください。
大人だけなら大抵はスルーされることが多いと思いますが、子どもが一緒だと心配になってしまう。
という人が多いのではないかと思いますし、それを悪用した一例が乞食ビジネスなのではないかと考えました。
パッと見は何となく似ているかな?と思ったのですが、同じ民族なら多少似ていても不思議ではありませんし、親子ではない可能性もあります。
もしかすると、親の借金のカタに乞食ビジネスに加担させられているか、家出をして悪い人たちに関わって弱みを握られて脅され、加担している可能性もあると思います。
X(旧ツィッター)でこのようなツィートを見て、今となっては海外のみならず日本においても、予想以上に乞食ビジネスが蔓延しているのかもしれないと感じました。
乞食ビジネスの対象は一見気の弱そうな、騙しやすそうに見える女性や男性であり、可哀想な人を演じて同情を誘い、施しや募金という形で搾取するという構造です。
それに引っ掛かった人たちは、搾取しやすいカモ認定され、ありとあらゆる場面で搾取するターゲットとして狙われるようになります。
赤い羽根共同募金、ユニセフ募金、日本赤十字社の募金と同じ手口ですね。
ほら、このように非常に胡散臭い、多国籍ファミリーの中にいるアグネス・チャンとかがわかりやすい事例ですね。
そして、もしかすると乞食ビジネスなのかな?という人たちに出会った際には、下記のような対応が無難だと思います。
中国における乞食ビジネスでも、近くに黒幕の悪人らが潜んで指示しているということが明らかになっていますし、お花畑思想の日本人なら余裕で騙せると高を括っているのでしょう。
それから、乞食ビジネスとまではいかなくても、子どもを使って人を自分の都合の良いように利用したり、搾取することしか考えず乞食行為を行っているDQNは一定数存在します。
そういう人たちが関わっている可能性が少しでもある場合は、警察に相談するか通報して記録を残しておき、極力関わらないことが肝要です。
以前、記事にも書いた記事(詳細はコチラ)ベビーシッターの利用者の口コミの中に
都合が合わないからと依頼を断ったベビーシッターさんに対し
自分の生活よりも子どものことを最優先に考えて予定を空けておくべき。
みたいな文言があったのを目にしたことがありました。
普通に考えて、大して関係が深くもない、仕事でしか関わらない他人の子どもよりも、自分の都合を優先にするのは当然のことです。
子どものことで責任を負うのはあくまでも親であり、ベビーシッターさんは自分の可能な範囲でお仕事として子どものお世話をしているだけです。
それがわからない親は、人から搾取して得をするのが頭が良いとかカッコイイ!とか、非常に恥ずかしい壮大な勘違いや激しい思い込みでしか物事を考えられないのかもしれません。
下記の漫画動画がわかりやすいので参考にご視聴ください。
【漫画】友達「可哀想なんだから家に入れてあげるべき!」私の家で鍋パーティーの日に買い出しから戻った友人が迷子を連れてきた→家に入れようとするので断って警察を呼ぶと…(スカッと漫画)【マンガ動画】
このような親は、周囲の人間が自分たちに都合の良いように従うのが当然という、壮大な勘違いや激しい思い込みで行動しており、それを一度でも受け入れてしまうと、より一層、傲慢かつ罪深い悪人に成り下がってしまいます。
それのみならず、放置すると他のいろいろな人たちに害悪をまき散らすようになるでしょう。
さらに、子どもは親を見て育ちますので、このままの状態でろくな躾もされないまま大人になると、親と同じようなDQNになってしまう可能性が非常に高くなります。
このように自分を良く見せようと、物事を深く考えることなく行った見せかけの中途半端な優しさにより、自分が疲弊するのみならず、相手をも悪人にしてしまうのです。
自分をよく見せようと人に優しくする人は、おそらく母性本能というものを履き違えているのでしょう。
本当に相手のことを思うのならば、自分が周囲にどう見られようとも、どんなに批判されようとも毅然とした態度で対応するべきですし、それが本当の愛というものです。
下記のブログ記事をご参照ください。
RAPT有料記事227(2017年11月25日)自分をよく見せるために人前で善を行ってはいけない。
一般的に介護や保育とかの福祉の仕事は、やりがい搾取で成り立っている部分がまだまだ多く、一部の、物事を深く考えることなく偽善を行う非常に残念なオツムしかない人たちの言動の影響もあって、社会的地位が低い上に給料が低く待遇も悪い。というのが当たり前のようになってしまっています。
これは福祉の仕事のみならず、育児や家事においても言えることです。
例えば
共働きなのに家事を丸投げする夫や妻
あるいは
専業主婦(主夫)だとしても、家事と育児を全部押し付けてくる夫や妻
もしくは
親を家事マシーンやATMとしか考えずに好き放題、わがまま放題する子ども
それらのモンスターに対し
不満を持ちながらも、自分さえ我慢すれば丸く収まると相手の我儘を受け入れ続けたら、自分の心身が壊れるのは時間の問題です。
そして一見大丈夫なように思えても、長期的な視野で見ると子どもの将来にも必ず悪影響が及びます。
そして相手をも、傲慢、見下し、自己中心、無知、最悪の場合には、調子こいて不倫するようなお猿さん並みの知能しか持たないお馬鹿さんにしてしまう可能性が高くなります。
一方的に負担ばかりを押し付けられている側は被害者と言えますが、それを許容し我慢し続けることにより、相手は付け上がってさらに悪に染まっていくことになりますので、相手を堕落させる加害者とも言えます。
負担が大きすぎて苦痛で仕方がないのならば、相手の要求を拒むか、誰かに相談するか助けを求めるなどしてその状態から抜け出すようにもがいてください。
自分の気持ちをしっかりと言葉や態度にして何度も具体的に伝えても相手が変わらない場合、いつかは変わってくれるかもしれないという妄想をきっぱりと捨てて、相手の要求を受け入れるのをやめてください。
会話自体が成立せず言葉や腕力等での暴力があるのなら別居する、どこかに避難する等、一旦距離を置き、第三者を挟みましょう。
会話が成立する状態でも、お互いに妥協点を探し出そうとどんなに話し合っても相手が全く譲ろうともしない場合、自分が心身ともに壊れそうだと感じたら、そこで初めて自分や子どもを守るためにも離婚を考えてもいいのではないかと思います。
同調圧力の強い日本において、人間関係を円滑に進めるために角が立たないようにしたり、その場をやり過ごそうとすることは、時には必要なこともあります。
でも、自分をよく見せようとして理不尽な要求に応えたり、我慢し続けて辛いのが常態化する状況は自分のみならず、相手の為にもならないのです。
お互いに成長し、成熟した人間になるにはどうしたらいいのか。
自分のみならず、相手を堕落させないようにするにはどうしたらいいのか。
という視点で物事を考えて判断するようにすれば、被害者意識で自己陶酔して落ち込むことも無くなっていくと思いますし、相手を甘やかして堕落させる(ダメな人間にする)ようなことは無くなると思います。
何を基準に考えて判断したら良いのか悩んだ時は、神様の御言葉を基準にすることを推奨いたします。
神様の御言葉(神様の言葉)には本物の真理と愛がわかりやすく書かれています。
神様の御言葉は聖書とRAPTブログの有料記事に書かれてありますので、真理と愛を追求したい人は是非とも学んでいただければと思います。
まずは無料で読めるRAPTブログの一般記事からでもいいので、興味のあるものから読み進めてくださいね。
この地上から、偽善でしかない偽物の愛が完全に無くなることを心から願います。