俯瞰すると嫌なこと苦しいこと等があっさりと消えるので悩みが無くなる

メモ信仰の証, 俯瞰, 次元, 解放


俯瞰する

 

以前、大阪府に住んでいた時に、大阪の某市にある小学校の学童保育の支援員の補助のアルバイトを単発でしていたことがあります。

一つの現場だけではなく、電車や自転車で通える範囲で区域内のいろいろな小学校に行っており、毎回違う現場に行くことも多かったので、場所が変わるたびにその都度道順を確認する必要がありました。

雨降りの日以外は大体自転車で通勤しており、その日も自転車でした。

当時の私はちょっとしたこだわりがあってガラホを愛用していたので、自宅のパソコンで事前に道順を調べておき、道に迷ったら持参している地図と行先の住所を見せて人様に尋ねる。ということをしていました。

スマホでGoogleマップとかの地図アプリで道順を調べる。ということをしていませんでした。

その日も初めて行く現場で、進む方向がよくわからなくなってしまった時、すぐ近くに交番があるのを見つけ道を聞きに行きました。

最初に若いお巡りさんが出てきたので、行先の住所と地図を見せ、私は

ここに行きたいのですが方向がわからなくなり道に迷っています。
どう行けば良いか教えてください。

と聞きました。

するとその若いお巡りさんに

スマホでGoogleマップ使って調べたらいいんじゃないですか?

と平然と言われました。

私は心の中で

え?ここは交番だよね。交番って道を聞いたら教えてくれるところだったと思うんだけど、違うのか??

と困惑し、呆然としたまま十数秒間ほど固まっていました。

これまで私は日本各地の交番で道順を聞いてきましたが、このように言われたのは初めてでした。

私たちの会話を聞いていたらしい中年位の年齢の、上司と思われるお巡りさんが奥から出てきて、若いお巡りさんを軽く叱った後、申し訳ございません。と私に謝り、交番に貼ってあった地図で親切丁寧に教えてくださいました。

 

交番に来る人は子どもからお年寄りまでの幅広い世代であり、みんながみんな必ずしもスマホを愛用しているとは限りません。

他にも、バッテリーが切れた、突然壊れてしまった等、何らかの理由で一時的にスマホを使えない場合もあるのではないでしょうか。

相手の置かれている状況や立場に対する思いやりや想像力が足りないな。と残念に思いましたが、もしかすると今考えれば

道順はスマホを使って調べるのが普通だと思っているような、Z世代と呼ばれる若い人で、低い次元でしか物事を考えていなかったから、なのかもしれません。

その若いお巡りさんについては、まあ、若気の至りだろうな。仕方ないな。としか思っていませんし、今となっては、それなりに貴重なネタの一つとして笑い話にしています。

ちなみにその交番は下記の事件があったところで、幸い、被害者はその若いお巡りさんではありませんでした。

吹田警察署千里山交番警察官襲撃事件

 

それから、私は身内の遺産相続の案件で5年程関わってきましたが、この案件の内容を全て把握しているのは私だけです。

トラブル続きで意味がよくわからなくても

何で?これはどういうこと?
これはどういう意味?
どうしてこうなったの?

と、5年もの時間をかけて地道に調べてきたことの積み重ねにより、今の私があるのです。

身内にも逐一、報告と説明はしていますが、あまりにもトラブル続きでかなり複雑な内容だからか、思考停止したまま全体像はイマイチ理解できていないようですが、重要なことだけはしっかりと伝えています。

専門的な内容もあり、普通に話が通じるのは時々仕事を手伝ってもらっている私の配偶者と、仕事でお世話になっている士業の人たち位なので、仕方ないかなと開き直っています。

それから、まゆみの財産を自分たちの思い通りにしようと目論んでいる、まゆみの長男夫妻(詳細はコチラ)にも逐一、報告と説明をしてきました。

でも、面倒な事は私に全部押し付けてくるのに、自分たちにとって都合の良い話しか聞こうとせず、妄想の世界に入ってしまっているので、何を言っても話が通じません。

しかも私は、この夫妻にはあることないことで誹謗中傷され、一時期かなり不快な思いをしていました。

夫妻は自分たちの立場を守ろうと嘘を嘘で塗り固めているので、言動に一貫性がありません。

ただ、この夫妻が次から次へと墓穴を掘っているのを見ているうち、次第に

このまま放置しておけば自滅するのも時間の問題だな。

と憐れに思うようになりました。

世間体を過剰に気にしながらも、利益を得ようと必死のあまり、低い次元のままでしか物事を考えられないのか、自分たちが置かれている状況や立場を客観的に見ることができないのです。

住んでいる次元が違う人たちを相手にしても、時間と労力の無駄だとも考えるようになりました。

 

私が余裕で構えていられるのはこの案件の全体像を事細かく把握しているからであり、俯瞰する視点が身についたおかげで、悩みや心配や不安や絶望などの暗い考えに囚われることはなくなりました。

そういえばRAPTブログの有料記事にも俯瞰についての内容があったことを思い出しました。

VOL.670 考えの次元が高い人は、全ての苦悩・心配・不安・絶望といった暗い考えから完全に解放される。

 

私が5年もの間、暗い考えから解放され俯瞰する視点が身についたのは、御言葉(神様の言葉)にある真理を基準に考えて判断し行動するようにしてきたからです。

そしてそれは、仕事に限らず日常生活においても同じようなことがいえます。

世の中にはたくさんの間違った情報が氾濫していますので、真理を知らないと世の中の全体像を把握できず、どう生きれば良いのかがわからなくなります。

そこで世間体や人目を過剰に気にするのをやめ、御言葉にある真理に目を向け、それを基準に生活することを心掛けていけば、世の中の全体像を把握できるようになります。

そうなると俯瞰する視点が身につきますので、低い次元から抜け出すことが可能になり、苦悩・心配・不安・絶望といった暗い考えから解放されるようになります。

そして真理を学ぶには、全ての知識の土台でもある聖書を読み込むのが最適です。

でも、聖書はそのままだと解読が難しいので、RAPTブログの有料記事を手引きに聖書を読んでいくことを推奨しています。

 

最後に、一人でも多くの日本人が御言葉にある真理を蓄え、俯瞰する視点を身に付けて苦悩・心配・不安・絶望といった暗い考えから解放されるようになりますことを切に祈ります。

メモ信仰の証, 俯瞰, 次元, 解放

Posted by sanae