聖書のお勉強。結婚について。聖書でパウロが語っている言葉が身に染みた瞬間に矛盾点を感じた事
冬はこたつでみかんを食べて、ビタミンC補給しちゃいましょう。
「結婚について」
(Ⅰコリント7:1~16)
より一部抜粋します。
※読みやすいように適当なところで改行しています。
大事だと思う場所は太字にしています。
3.片方が信者でない場合
「その他の人たちに対しては、主ではなくわたしが言うのですが、ある信者に信者でない妻がいて、その妻が一緒に生活を続けたいと思っている場合、彼女を離縁してはいけない。
また、ある女に信者でない夫がいて、その夫が一緒に生活を続けたいと思っている場合、彼を離縁してはいけない。
なぜなら、信者でない夫は、信者である妻の故に聖なる者とされ、信者でない妻は、信者である夫のゆえに聖なる者とされているからです。
そうでなければ、あなたがたの子供たちは汚れていることになりますが、実際には聖なる者です。
しかし、信者でない相手が離れて行くなら、去るにまかせなさい。
こうした場合に信者は、夫であろうと妻であろうと、結婚に縛られていません。
平和な生活を送るようにと、神はあなたがたを召されたのです。
妻よ、あなたは夫を救えるかどうか、どうしてわかるのか。夫よ、あなたは妻を救えるかどうか、どうしてわかるのか。」(7:12~16)
抜粋ここまで。
聖書を読み始めて最初の頃、この聖句の意味がよくわからず、どう解釈すれば良いのかと悩んでいました。
当時、RAPTさんが絶妙なタイミングで2016年2月22日の有料記事の音声配信で解説してくださいました。
相手から離れていく分には別れても構わないけれども、
相手に対して、自分から別れたいと言ってはいけない。とパウロが言っていると仰っていました。
ん?確か、どなたかの信仰の証で、初めて「離婚したい」と言えました。とそれが如何にも素晴らしい事であるかのように誇らしげに書いている人がいたのですが、矛盾していますね。
その方はクリスチャンではないのでしょうか。
もしかすると、有料記事をちゃんと読んでいない或いは読んでいても、内容を理解できていないのかもしれません。
それから、RAPTさんはだいぶ前の有料記事で「自分のレベルを知るようにしなさい」とも仰っていましたが、それは自分のレベルを知る事で傲慢にならないように賢く知恵をもって行動しなさいという意味だと思うのですが
どなたかは自分は無力だと仰っている割には、以前、独自の理論で当事者の話をまともに聞く事なく、一方的に工作員認定した人のツィートに対して「いいね」を押す人(Zさんとします)を敵対視し
Zさんは朝会の音声を聞いていないのかもしれないので、フォローは外しますがブロックはしませんとわざわざツィートしてまで自分の主張を積極的に広めていました。
それ以外にも、他の仲間の人たちのミスや落ち度を積極的に、上から目線で未だに指摘し続けているのはどうしてでしょうか。
どなたかは、人のミスや落ち度を積極的に指摘する程、自分はレベルが高いのだと仰りたいのでしょうか。
他人を指摘する人の事をわかりやすく書いているサイト記事をご参照ください。
本当にそうだなと共感します。
おそらく、どなたかは自分の事を客観視できていないのかもしれませんね。
そして一見すると、どなたかが有料記事をしっかりと読み込んでいる熱心なクリスチャンのような印象を受けてしまう人もいるのかもしれませんが
ではどうして、パウロの書いた結婚の聖句の内容をちゃんと理解せずに、信仰の証でわざわざ誇らしげにそれに反するような内容を書いているのでしょうか。
しかも、相手に対する配慮や思いやりがほとんど感じられず、信仰するのに邪魔な存在であるとでも言わんとするような内容の文章に違和感を覚えてしまいますし、愛を感じません。
これは決して揚げ足取りではなく、明らかな矛盾だと思うのは私だけでしょうか。
昔は、稼ぐのは夫で、妻は家を守るのが当たり前の時代だったと思いますが、稼ぎ頭の夫と別れると母子家庭になるから、貧しい生活を強いられる事になるから悩むという、現代風の損得を考えるような極めて俗的なものでは決してなく
聖書に書かれてあるのは
「何よりも相手の気持ちを大事にしなさい。できる限りお互い譲り合い、支え合って離婚は極力しないようにね」との配慮なのだと思います。
聖なる子どもがいる場合は尚更ですね。
ご縁あって一緒になったのだから、お互いの気持ちを思いやりながら一生仲良く添い遂げましょう。
相手の条件が良かったからなどの俗的な理由で結婚したわけではなく、一度はお互いの事を好きになったから結婚をしたというのなら尚更ですよね。
という感じで、安易な離婚を戒めつつ、子どもの心を傷つけないようにとの深い配慮もあるのだろうなと思います。
新約聖書は愛で溢れていますね。
私の配偶者もキリスト教を信仰してはいないけれども、せっかくのご縁があって夫婦となったので、彼を一生大事にしたいと思います。
実は、私が信仰を持つようになってからいろいろと心境の変化があり、それまで以上に私自身が心穏やかに過ごせるようになったからなのか、気が付くと彼もいつもニコニコととても穏やかになっていました。
結婚前のお付き合いの期間を含めて、彼と一緒になってほぼ11年になりますが、いまだに新婚と間違われる位、とても仲良しです。
私たちが結婚したのは信仰をする前でしたが、彼から信仰の事で非難されたり妨害されるような事は一切なく、時々、上野恩賜公園とかの美術館の絵画展に一緒に行った時などに、絵画を見ながらキリスト教の話を普通にしています。
「あ、これが頭に油を注ぐ時に使う容器やそれを受ける為のお皿なんだね。文字だけの聖書だけだとわかりにくいけど、絵でみると一目瞭然だね。」といった感じで。
しかも、夫婦関係は信仰前よりもさらに良好になり、日頃からお互いの意見を尊重し支え合いながら、それぞれのやりたい事を自由にのびのびとできるような環境です。
我が家は富裕層ではなく一般庶民ですが
「毎日美味しいご飯が食べられて幸せだね」と庶民の生活を楽しみながら毎日を心穏やかに過ごしています。
このような穏やかな生活ができているのは、神様が見守ってくれているからなんじゃないかなと私は思っています。
神様の言葉が書かれてある聖書に出会ってから、考え方が変われば行動が変わり、行動が変われば人生も変わるというように。
もしかすると、夫婦ともども神様に愛されているのかな。なーんて思っちゃいます。
という事で、心穏やかに生きる為にも聖書を読む事をお勧めします。
一人で読むと解釈に悩んでしまうような小難しい感じのイメージがある聖書ですが、有料記事ではRAPTさんがわかりやすく解説してくださいます。
ですので、真っ新な心で読めば、真面目に真っ直ぐに生きてきた人ならば、すっきりさわやか!アハハ~!と言いながら、小躍りしたくなる位(←ホントか?)、心に染み渡るようになると思います。
※いかに楽して要領よく生きるか?!のような、俗的な生き方をしてきたような人にはちゃんと理解できないようにパスワードが厳重に掛けられているそうです。
神様の愛がいっぱいの聖書の言葉を心にたくさん詰め込むと、心穏やかに過ごせるかも?
下記のブログ記事を参考に購読するかどうかをじっくりとご検討ください。
聖書の正しい読み方を分かりやすく解説されています。
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