営業の極意が聖書に書かれてあるのをみつけた時、いかに聖書が奥が深いのかを感じた事
昨日、自分の価値観を一方的に押し付けて逃げたまま、私の見えないところで悪口を言いふらしている非常に面倒くさい人との間接的なやり取りを通して悟った事があります。
何度もブロックを外して欲しいとツィートで意思表示してもブロックを外さないので、私は仕方なく自分の考えをここで書いています。
その事に対して、私の事を悪口を書く悪人だとか好き放題言っているのが、さらに面倒くさいというか厄介だなと思います。
それが嫌ならブロックを外せばいいのにと思うのですが、おそらくその人はやましい事があるから逃げるしかないのでしょう。
さらに見えないところで、他の人も巻き込んで私の陰口をツィッター上に書いています。
ただ、それらの人たちはある一定の不思議な共通項がありますので仲間同士の可能性もあります。
でも、確実にそうであるという確信がない限りは名指しして晒す気はありません。
といいますか、そのようなしょうもない工作員認定活動に時間を費やすよりも、情報拡散の記事と証(信仰してからの人生の変化や経験談)を書く方がとても有意義なので害がない限りは放置します。
その前にその人(以下Sとします)の特徴がそのまま書かれてあるかのような秀逸なサイト記事がありましたのでご参照ください。
自分ではわからない「自己流完璧主義者」の特徴
「俺のルールはみんなのルール」になっている
正しくSの事をそのまま表現しているかのような内容です。
Sは自分の解釈が正しいと考えているようで、それに反する言動があれば、私を含めていろんな人たちにしつこく指摘し訂正を求めるなど、自分の価値観を一方的に押し付けてきます。
人間には自由意志というものがあり何をどう考えるかは人それぞれなので、あなたは勝手にそうしてください。
でも、鬱陶しいのでそれを人に押し付けないでくださいとしか私には思えません。
聖書にもこう書かれてあります。
以下聖書より、該当すると思う部分を引用します。
ローマの信徒への手紙
5
また、ある人は、この日がかの日よりも大事であると考え、ほかの人はどの日も同じだと考える。各自はそれぞれ心の中で、確信を持っておるべきである
10
それだのに、あなたは、なぜ兄弟をさばくのか。あなたは、なぜ兄弟を軽んじるのか。わたしたちはみな、神のさばきの座の前に立つのである。
引用ここまで
その人の行いを裁くのは人間ではなく神様です。
人間は環境や状況によっては心変わりする事もあるので、間違いがないとはとても言い切れないからです。
Sはこれを理解していないからこそ、しょうもない工作員認定活動を精力的にしているのでしょう。
他の人からそれを止めるように言われても、聞き入れようとしないのでそう考えざるを得ません。
しかも、このタイプの人は一般的に多くの人たちから疎ましがられているようです。
私の知る限りはやはり○○民族の人たちと特徴が非常に似ているので、そうなんだろうなと勝手に解釈しています。
といいますか、日本人でそのような人に会った事が私はありません笑
それから私の記憶が正しければ、RAPTブログの一般記事の動画音声と有料記事の音声の両方でRAPTさんが仰っていたと思うのですが
伝導(正統なキリスト教を延べ伝える事)は営業みたいなもの。と聞いた覚えがあります。
私は以前営業職を長くしていた事もあり、もしかしたらあの部分がそれに該当するんじゃないかな?とふと頭に浮かんだので聖書を調べてみると、パウロの書いたコリント信徒への手紙の聖句を思い出しました。
以下聖書より、該当すると思う部分を引用します。
コリント信徒への手紙
19 わたしは、すべての人に対して自由であるが、できるだけ多くの人を得るために、自ら進んですべての人の奴隷になった。
20 ユダヤ人には、ユダヤ人のようになった。ユダヤ人を得るためである。律法の下にある人には、わたし自身は律法の下にはないが、律法の下にある者のようになった。律法の下にある人を得るためである。
21 律法のない人には――わたしは神の律法の外にあるのではなく、キリストの律法の中にあるのだが――律法のない人のようになった。律法のない人を得るためである。
22 弱い人には弱い者になった。弱い人を得るためである。すべての人に対しては、すべての人のようになった。なんとかして幾人かを救うためである。
引用ここまで
奴隷になったというのは、自分の考えをひとまず置いといて相手に合わせる事を意味するのだと思います。
これを読むとパウロは、キリスト教を誰彼構わずこれは正しい教えであると一律に一方的に伝えたのではなく、伝える相手の立場や背景などを考えた上で、自分を相手に合わせる事で相手の懐に飛び込み、伝導をしていたのではないのかなと思います。
その考えが正しいとすると、パウロは優秀な営業マンのように上手に立ち回っていたのではないでしょうか。
Sのように正しい事であるからと、相手の状況や気持ち、立場を考えずに一方的に押し付けるようにしたら、どんなに正しい事や事実であったとしても相手は受け入れないどころか大抵は拒絶すると思います。
それに対して感情的になって相手を否定するような言動をするから、相手も感情的になり余計に拒絶するという悪循環に陥ります。
下手すると押し売りみたいな感じになって、カルト宗教と間違われてしまう確率が非常に高くなると思うのです。
私の営業職時代には法人営業や訪問販売などを経験しましたが、ほとんどの場合、お客さんとは初対面です。
なので、そのお客さんにただマニュアルトーク通りに話すだけでは、なかなか受け入れてもらえませんでした。
普通に考えても、良く知らない人からいきなり何かを言われて信用しろと言ってもやはり無理があり、警戒されるのは当然だと思います。
そこでいろいろと試行錯誤した結果、世間話をして相手の心を和ませた上で、商品やサービスの説明をするようにしていました。
すると意外に受け入れてもらえる事が多くなり、受注や契約に繋がる確率が上がったのです。
私はその時の経験があったからこそ、このブログを書く時にもどのような人にどのような内容をどう書けば受け入れてもらえるだろう。と思い浮かんだ構想をある程度練ってから書いています。
思い浮かばない時は聖書を読んだり、有料記事の御言葉の音声を聞いたりしていると構想が出てくる時もあります。
出てこない時もあります。
下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるのようなやり方だと効率が悪いだけではなく、変に誤解や偏見を与えてしまう可能性もあるので、ある程度方向性を決めているのです。
どのようなジャンルの記事にするかは、グーグルアナリティクスのデータやその日にふと書いた方がいいかなと頭に浮かんだモノ、話題になっている事などを考慮して決めています。
実際に書いてはみたものの、その時はプレビュー数がイマイチだった記事でも、何かの時期やきっかけでびっくりするくらいの数になる事もあります。
おそらくFacebookやどこかのブログなどにリンクを貼られているのだと思いますが、記事によってはプレビュー数が桁違いに多いのです。
その中の一つに、はてなブログからこのワードプレスのブログに記事を移行する前に、書いた記事
政治家と天皇家と生長の家に見られる共通点みたいなもの が
↑これは多少リライトしました。
Kawata no Blogの
【地下鉄サリン事件の真相】オウム真理教を操っていたのは、生長の家と天皇家だった!!
でも引用されています。
それからRAPTブログの一般記事や有料記事の御言葉の音声で、RAPTさんが聖書を読むと地球が小さく思えてくると仰っていたのですが、その意味が私にも少しずつわかってきました。
今回取り上げた営業の極意のようなモノに限らず、ありとあらゆる人間関係や悪人や偽善者、工作員の手口など、そのパターンのようなものが聖書には書かれてあるのです。
私はブログに情報商材販売業者や頭のオカシイA氏の悪質な手口や心理を、善良な人ができるだけ被害に遭わないように防犯に役立てて欲しいという願いを込めて、割としつこく書いていますが
笑えるくらいに聖書に書かれてあるのと同じなのです。
それがわかるようになってからは、聖書を読むのが楽しくなってきました。
有料記事の御言葉にしても聖書にしても、解釈するにあたり私の思い違いや勘違いもまだまだあるかもしれませんが、それでも回数を重ねて読めば読むほど新たな発見があるのです。
ただ聖書は普通に読むと難しいので、私がそうなるまでには多少時間がかかりました。
でも、本当にこの世の真実を追求しているような人なら、RAPTブログの有料記事の解説を最初からきちんと読んだり聞いたりすれば徐々にわかるようになってくると思います。
私自身が最初から順序立てて読むタイプなので、最初から読む事をお勧めしていますが、場合によっては途中から興味のある記事から読むのもいいかもしれません。
興味のある方は下記のブログ記事を参考に購読するかどうかをご検討ください。
聖書の正しい読み方を分かりやすく解説されています。
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